路上觀察・都市探險篇 其ノ五
(携帶冩メ篇A)



 

左:本編はまず「生き別れの姉妹」から紹介する(笑)。こちらは大阪市生野区、鶴橋高架下商店街にあるLLサイズ専門店「五一屋」の看板おばちゃんである。これほど親しみ易いマネキン人形も珍しいだろう。(2006年10月27日撮影)
右:基本的に撮影日時順に並べるが、これだけ特別にここに並べる。こちらは川越市、「富士洋品店」の看板おばちゃんである。この二人、生き別れの姉妹に違いないww (2008年1月20日)



 

左:2006年10月27日に戻る。これも鶴橋高架下商店街、ベビー洋品店の可愛らしいロゴマーク。
右:そして鶴橋の路地裏にある、エアコン付猫御殿!! 大勢の猫様が飼われていらっしゃる。



 

左・右:日本最大のコリアタウン猪飼野地区でも最高の焼肉屋だった「土佐屋」の解体工事現場。本当に、「日本の至宝」とも言うべき名店であった。廃業は非常に惜しまれる。学生時代から二十年以上通った馴染みの店でもあった(T_T)。



 

左:くれぴ少年映画0からの風」にエキストラ出演をした。ロケ地は阪急箕面駅前。そのあと、二人でお好み焼を食べて、箕面の瀧方面へ散策したのだが、その途中でこんなのを見つけてしまった(σ(^◇^;)。若い子には判らんだろうが、戦後日本を裏から牛耳った「フィクサー」にして右翼の巨頭だった、笹川良一の銅像である。自分が母親を背負っているところで、「自分がいかに親孝行か」を自分で日本中に宣伝していたのだ(-公- ;)。そういえば彼は箕面市出身で名誉市民なのであった(>_<)。(10月31日)
右:花の東京のど真ん中、上野駅前の大歩道橋に張られていた官製の注意書。幾らなんでも、水道もないのに洗濯をするやつはいないのではなかろうか? (11月18日)



 

左:甲麓庵歌會関東例会で時々使う、葛飾柴又の「山本亭」洋館の暖炉。(11月18日)
右:同じく山本亭前にて。「おいど」にしか見えない車止めであった(笑)。



 

左:そして京成上野駅の陶板壁画。人面魚かと思ったが、人間を飲み込もうとしている魚、らしい。なんにせよ、よくもまぁこんなキモいものを駅に設置する気になったもんだ。僕的には大変気に入っているのだが、一般受けはしないと思う。
右:松坂屋上野店横にある蛇料理専門店「救命堂」のショーケースσ(^◇^;)。



 

左:これまた恐ろしい看板である。怖すぎて入る気にならない。「とんかつ平兵衛」。
右:まさに破壊されている近代建築は、故・京成聚楽ビル。1936年築、旧京成電鉄本社だったそうである。



 

左:消滅寸前の京成聚楽ビル。
右:翌朝、11月19日。川崎市のいかがわしい街並み。元々赤線だったところである。



 

左:同日、東武浅草駅(松屋百貨店浅草店)の裏階段。
右:上野公園の重要文化財旧東京音楽学校奏楽堂でチェンバロのコンサートを聴いた。



 

左:11月20日、新大久保から路地を歩いて新宿に向う。可愛い看板だが書いてあることは怖い。
右:その並びにあった東京少年少女合唱隊の本部。戦後すぐぐらいの建物だろう。かなり渋い。写真は撮らなかったが「ホテルつばくろ」という昭和な雰囲気のビジネスホテルも界隈にあった。



 

左:11月29日、場所も京都に飛ぶ。これは建仁寺の裏手にある洋館、手越醫院である。近代建築マニアの間でもあまり知られていない隠れた名品といえよう。データは不明なるも、大正後期ではないかと思われる。
右:五條坂近くにある変な店。「面ノ家 鳥居」とあるが、お好み焼屋らしい。



 

左:参寧坂のお店にて。
右:この日は巴里から帰国していたtzangと一緒だったのだが、東山山麓、時宗靈山正法寺まで登った。景色がいい。左のほうに京都タワーが見えている。



 

左・右:いずれも正法寺にて。紅葉が美しい季節であった。



 

左:12月26日、大阪倶楽部にて。日本テレマン協会のマンスリーコンサートの模様。
右:年が変わって2007年1月3日、くれぴ少年、ヒロポンたちと訪れた石切さんにて。えらく古風な文体(漢文読み下し調)の注意書があった。



 

左:石切剣箭神社上之社境内にて。小さな池に大量の陶製龜が浮いていたσ(^◇^;)。
右:巣鴨の十倍以上の規模を誇る石切神社参道にて。



 

左:1月10日、十日戎で賑わう西宮神社にて。神社会館で上演されている、淡路の高校生たちによる人形浄瑠璃
右:そして神楽殿での神楽舞。断っておくが、僕はプロテスタントのクリスチャンである(笑)。



 

左:破壊直前、三信ビルヂング内の「ニューワールド」にて。(1月19日)
右:同日、国立市の妹宅にて。



 

左:旧大津公会堂。この日は甲麓庵歌會第22回関西例会だった。夜になって「春待ち燈籠」が行われているところ。
右:2月10日、大阪駅前第一ビルの地下商店街にて。「世界一複雑」だと言われている梅田地区の巨大地下街の中でも大きな比重を占めるのが大阪駅前第一〜第四ビルの地下一階、地下二階なのだが、この「フアンシークリーニング 有限会社田原号クリーナー」のマスコットキャラは非常に味わい深い。



 

左・右:くれぴ少年とよく訪れた大阪駅前第二ビルのゲーセンに、何故だかすごいレトロゲーム機が置かれていた。オーナーのコレクションだろうけど、普通に遊べる状態だったし吃驚した。(2月16日)



 

左:1970年代前半、つまり昭和40年代までのものだろう。
右:生命誌研究館へ行く道すがら、国鉄高槻の駅前商店街に面白い店があった。「点心世界」が店名らしい。(2月17日)



 

左:ダイヤ改正で新快速が敦賀まで延びたので、3月4日、ヒロポンたちと青春18切符で行ってみた。敦賀市は「銀河鉄道999」で町おこしを図っているので、あちこちにこんな銅像がある。
右:しかし一番印象に残ったのはこの「顔面が異常に肥大したプーさん」であったww デジカメ撮影分は旧作補遺日本海側篇T旧作補遺日本海側篇Uとしてアップ。



 

左:この年、シルベスター・スタローンの映画「ロッキーザ・ファイナル」が公開された。これは阪堺電気軌道で走っていた「ロッキー・ザ・トレイン」。老骨に鞭打ってリングに復帰する主人公に引っ掛け、昭和3年製の古豪電車を使ってのプロモーションである。
右:車内の吊革にはこのようにボクシンググローブが(笑)。(4月3日)



 

左:放射能汚染により人類滅亡を目論むガミラスの如き悪の秘密結社(表の顔は合法企業、実態は指定暴力団以下)である関西電力の悪辣極まりない姦計により無残に破壊されてしまった重要文化財級の名建築、ダイビル(大阪ビルヂング)本館の在りし日の姿。(4月4日)
右:ふるさと創生資金一億円の使い道、本当に珍妙なのが多い。和歌山県日高郡印南町の「カエル橋」である。(4月7日)



 

左:和歌山県田辺市にて。この日はヒロポンたちと紀伊田辺を訪ねたのである。詳細は旧作補遺紀伊田辺篇旧作補遺紀伊田辺篇としてアップしている。
右:これは和歌山ラーメンでも一番の名店であった旧「丸高ラーメン」。今はこの店はなくなり、「東丸高ラーメン」として移転して再開している。「丸高」という屋号の店は他にもあるが、暖簾分けなのか、現「東丸高」とは直接の関係はないよう。(4月9日)



 

左:目黒雅叙園の中華料理「「旬遊記」の特別室にて。幽霊のように真っ白なのはラ・リュミエールさんww デジカメ撮影分は弐千七年関東下向記U(目黒雅叙園)、そのあと実際に食事した時の冩眞が弐千八年関東下向記Y(神宮外苑聖徳記念絵画館・目黒雅叙園)である。(4月15日)
右:秋田名物ババヘラアイス。名人の手作りである。天保山にて。(6月24日)



 

左:同日、天保山の渡しに乗って此花区に渡った。USJの裏手の横断歩道で見かけた、えらく洒落た落書き。一瞬落書きと気づかないほどのクオリティである。
右:東下り中、武蔵浦和の龍丸邸近くで見つけた医院の看板。「デュエット内科クリニック」ってσ(^◇^;)。(7月16日)



 

左:京都にて、「コンブ金物店」。決して塩こぶでも出汁昆布でもなく、金物店である。恐らく姓が昆布さんなのだろう。(8月21日)
右:大阪市阿倍野区、阿部清明神社に奉納されていた萌え〜な絵馬。「メイドはアイドルじゃないことに気付いて下さい、店側も…。」などと書いてあるσ(^◇^;)。しかしデッサン来るってないし、結構絵はうまい。陰陽師の親玉を祀る神社だけに、オタクの参拝が多いのだろう。(8月26日)



 

左:くれぴ少年とたまには外食しようと甲子園市場の「大力食堂」を訪れて、何気なく注文したカツ丼がこれ( ̄□ ̄;)!! 本当に吃驚した。これはくれぴが撮影したので、夏の普段着姿の僕が写っているww (9月5日)
右:1905年に建てられた赤穂市立民俗資料館に展示されていた琺瑯看板コレクション。播州篇・其の參。(9月5日)



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