旧作補遺紀伊田辺篇



 

左:2007年4月7日、銀聲舎のヒロポンと共に、紀伊田辺を訪ねた。まずは紀勢本線の車窓から見た、すごいコピーの看板。薬局なんだろうが、薬院という屋号は初めて見た。
右:紀伊御坊駅にて、停車中の紀州鉄道のレトロ気動車。本年十一月まで現役だった車輛で、この衣既に半引退状態で休日のみの運転であった。



 

左:床は木製で、昔の学校の教室と同じ匂いがする。
右:型押し鉄板の扉の懐かしい。



 

左:運転台は電車と同じ。ワンマン運転なので運賃箱が設置されている。
右:社内はロングシートではなく、対面固定クロスシート(ボックスシート)であった。



 

左:吊革も照明も扇風機も古めかしい。
右:紀州鉄道は日本一のミニ私鉄。この車輛は大分交通耶馬渓線のお古なので、旧社章が塗りつぶされていた。



 

左:「きかんしゃ やえもん」に登場したレールバスのようであった。
右:窓越しに見た運転台。



 

左・右:総工費九億三千五百万円という、「かえる橋」。印南町は何を考えていたのだろう( ̄□ ̄;)!! しかも隣のみなべ町は萌えキャラ「びんちょうタン」を擁しているそうだし、まさに和歌山恐るべし、である(-人-)。



 

左・右:印南駅舎は渋い木造であった。



 

左:印南駅正面。戦後かもしれないが、少なくとも半世紀以上は経っている。
右:駅前広場から見たかえる橋。可愛いというより不気味である。



 

左:なんとあの多木肥料の琺瑯看板があった!!
右:朝七時半に家を出て、正午になってようやく紀伊田辺駅到着(-公- ;)。物凄く遠かった。木造跨線橋がレトロでよい。



 

左:紀南の中心都市だけあって紀伊田辺の駅はそこそこの規模で、駅舎は可愛らしい洋館風であった。



左・右:この細かい装飾からして、戦前の近代建築のようだと思って調べたら、やはり1937年の建物。



 

左:駅前にあった、洋風なんだか民芸調なんだかよく解らんレストラン「モミの木」。田辺工業高校に赴任した紀の川先生と合流して、ここで腹ごしらえした。
右:店内にて、ヒロポン。



 

左:駅弁屋さんである。非常に懐かしい。
右:駅前の「歓楽街」。といっても非常にささやかであった。



 

左:駅前のすごい名前の喫茶スナック。そもそも喫茶スナックって何だww?
右:宝塚とは何の関係もなさそうなファミリーランド。



 

左:これが紀伊田辺ファミリーランド。もうやっていないようだった。
右:飲食業組合というと旧遊廓かと思わせるが、ここはそういうわけではなさそうだった。



 

左:便所の汲み取り口。
右:電動式の便壺通風装置。



 

左:非常にいい雰囲気の路地。
右:西日本にはあまりない基督看板がこんなところにあった。



 

左:これも廃業しているので何屋だったのか判らないが、英語とフランス語ちゃんぽんで「新・お金」って、すごい屋号である。
右:なぜ土竜はサングラスをして描かれることが多いのだろうか? 以上、ちょっとうらぶれた雰囲気なのは駅前商店街ではなく、線路沿いに歩いてみたところである。



  

左:再度駅前広場に戻って、紀伊田辺駅全景を撮る。元々はシンメトリーだったのか? しかし、向かって右の饂飩屋は明らかに構成の建て増しだが、向かって左側は屋根の出窓の形状が同じだし、当初からのものかもしれない。
右:駅前広場。



 

左:そして、駅前商店街を歩く。和歌山の中心市街地、ぶらくり丁は「シャッター通り」と化しつつあって街おこしが大変なのだが、県都和歌山市よりはるかに小さな田辺市の中心市街地は賑わいを保っていた。「日帰りで気軽に難波や天王寺まで出られる和歌山市」と、「おいそれとは大阪まで出ることができない田辺市」の違いだろう。田辺の場合、自前で都市機能を一通り揃えておく必要があるのである。
右:高度成長期を思わせるマンション。紀南薬局という屋号も田辺的である。



 

左:ヨネクラ玩具店のショーウィンドウ。地方都市と馬鹿にできない、かなりセンスのいいお店であった。
右:紀伊田辺は紀州徳川家の領国、紀州藩領内だが、付家老安藤家三万八千石の城下町なので、和菓子屋も多かった。つまり安藤家は大名ではなく、あくまで大名である紀州徳川家の家臣たる家老ではあるが、大名並みの三万八千石の知行を持ち、なおかつ城主だったのである。大名でも三万石以下の小大名は城主となれず、陣屋を構えているところも多いので、大藩、特に譜代大名の家老というのは大名並みの待遇と格式を持っていたわけである。



 

左:店舗統合ってあんた……。田辺市から和歌山市まで、紀勢本線で二時間はかかるのだ。しかも直通電車は少なく、大抵は御坊で乗換えを要するのである。そんなところに統合とは、つまり関西アーバン銀行は「紀南から撤退、顧客を見捨てた」ことに他ならない。



 

左:とっても素敵な紳士服店。
右:非常に由緒ありげな屋号の不動産屋、「六兵衛不動産」。しかも手書き看板である。



 

左:旧市街の横断する、新しい都市計画道路の書店。このセンスは今年の総選挙に大量の候補者を立て全員落選した某新興宗教の建築と非常に似ている(-公- ;)。
右:なんと「地下街」があった。しかも二店舗しかない(笑)。



 

左:古い城下町には赤い丸ポストが良く似合う。
右:すごい名前の神社があった。



 

左:古い長屋式店舗。独自に段位を発行してくれそうな大仰な名前の碁会所であった。
右:そして、城下町の古い街並みが残る一角に、この洋館が。旧長井邸、現赤邸である。



 

左・右:丁度補修工事の最中であったのが残念だが、しかしそれだけ大切に住まわれている、ということで実に素晴らしい。大正期のものと思われる、ハーフチンバーの洋館であった。



 

左:門扉も塀もオリジナルが残されている。
右:シート越しだが、正面外壁が見える。



 

左:丁度正面に狭い路地があった。しかし、向かいにはつまらないプレハブ住宅が。
右:側面から。



 

左:丁度隣が駐車場になっていたので、撮影しやすかった。
右:複雑な屋根の造形。



 

左:粋な黒塀見越しの松に艶な姿の洗い髪♪ 死んだはずだよお富さん♪ 生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さん♪
右:旅館紀乃國屋。泊ってみたい。



 

左:「旅館 電八七〇七」と書かれているようだ。
右:まだ営業してるのかなぁ?



 

左:渋い煎餅屋さん。
右:すごい屋号の寿司屋。「蜜月」って……。新婚さん専用だろうか(笑)。



 

左:カシー化粧品ってあまり聞かないなぁと思ったのだが、検索したらちゃんと出てきた。キャシーである。
右:昔懐かしい雰囲気の駄菓子屋さん。



 

左:オロナミンCの琺瑯看板。しかし、すごくレトロに思えるが、琺瑯看板って僕が小学生の頃までは新作されていたのである。
右:同じお店。どうやらこっちのほうが正面らしい。「あめりかや」というえらくハイカラな屋号であった。



 

左:あめりかやの看板。
右:雨の中、精力的に歩いた。左がヒロポン、右が紀の川先生。



 

左:同じお宅。大規模な純和風住宅なのだが、ちょっと傷みがひどい。
右:もう一軒、ハーフチンバーの洋館が見えてきた。1928年竣工の、旧木津医院である。



 

左・右:こちらはちょっと手入れが悪いが、実に素晴らしい、レベルの高い建築である。



 

左:窓枠なども木製のオリジナルが残っている。
右:医院の玄関。



 

左:玄関庇と門燈。素晴らしい。
右:醫院ではなく医院なので、オリジナルではないかもしれない。



 

左:住居としての門は別にある。こちらから庭を通り、奥の和館に住居玄関があるのだろう。
右:和館の側面を見ると、敷地の一部を駐車場化するときに一階の一部を破壊して切り取ったのかもしれない。原爆型トマソンのように見えるのだ。



 

左:茶色いベニヤ板の部分が原爆型トマソンらしく見える。
右:正面と側面のファサード。実に素敵。



 

左:和館の妻壁が錆付いた途端張りになっていて見苦しいσ(^◇^;)。もとは焼板張りか漆喰だっただろう。復元が望まれる。
右:どう注意しろというのだろう? 自転車などを置くなというのであれば、はっきりそう書かないと。



 

左:古い商店建築。奥に洋風蔵があるようだ。
右:なんと、素晴らしい玄関破風を持つ店舗があった。「池田写真館」である。



 

左:全国の中華料理店の代表の如き、壮大な屋号の中華料理店であった。
右:実は田辺市は端正な近代建築が多く現存している。これは中部公民館。大正末の建築で、もとは市役所とのこと。確かに公民館にしては立派過ぎる。



 

左:曲がり具合が素敵な旧田辺市庁舎の階段。
右:旧田辺市役所正面。



 

左:しばらく館内で雨宿りしてみたが、やむ気配はなかった。



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