弐千七年関東下向記U(目黒雅叙園)

上:2,007年4月15日、甲麓庵歌會第五回関東例会の翌日は、目黒に回った。まずは電通の友人、ゆりた。嬢たちと、フレンチのデジュネ(昼ご飯)。とても美味しかった。このあと一旦タクシーに乗って世田谷まで友人の仮面作家柴田景子女史に会いに行って、再度タクシーで目黒に戻る。優雅でありつつもとても慌しい午後であった。




上:これはお昼ご飯のメイン。




上:で、「千と千尋の神隠し」の舞台、「油屋」のモデルの一つといわれている、目黒雅叙園ホテルの玄関。玄関からしてこのように金色である。「普通の日本人のセンス」とは対極なのでとても面白い。日向燦太ことセイノとリュミ女史。




 

左:目黒雅叙園正面玄関入ってすぐ左に、かつて雅叙園美術館の入口だったエレベータがある。2002年の経営破綻後はコレクションが散逸し、よって今では常設の美術館ではなく時々ギャラリーとして使っているようだが、とにかく旧雅叙園の伝統を引き継いで、螺鈿蒔絵のものすごい扉になっている。しかもものエレベータ、通常のものよりかなり大きい。貨物用サイズであろう。
右:伯爵閣下である。僕がししよりちょっと高いぐらいだから、扉のサイズが判ろう。




上:正面玄関からホテルのレセプション、ロビーまではかなりの距離を歩かされる。その通路には旧雅叙園から移された装飾があちこちに飾られているのだが、これもその一つ。立っているのはセイノ。




上:天井にもこのように日本画が。それも昭和初期のモダンなものである。




上:雅叙園の廊下。こんな感じなのである。壁と天井に注目。




上:沢山あるので全部は撮っていないが、一つ一つはこんな感じ。鏝絵のようだ。




上:同上。




上:天井。この日は旧目黒雅叙園の一部が保存されている、「百段階段」の公開日であったのだ。ただし、旧館部分は撮影禁止だったので写真はない・゚・(ノД`)・゚・。ウワァァァン!。でもガイド役の担当者の方がものすごく面白い人で、建築も当然に素晴らしく、実に楽しいイベントであった。
 雅叙園は昭和のはじめ、石川県出身で銭湯から身を立てた細川力蔵が、肥後熊本の細川侯爵の所有地であった東京府荏原郡目黒町大字下目黒字坂下耕地一帯を入手し、1931(昭和6)年に開業した料亭で、日本で最初の総合結婚式場であった。当時から日本料理のほか、北京料理も名物であったとのこと。
 戦後の1948年、モダニズムスタイルの洋館だった坂上の部分が雅叙園観光ホテルとして分離。庭園の真ん中を境界に、全く別資本の目黒雅叙園ホテルと雅叙園観光ホテルが並ぶ状態になっていた。僕は学生時代、この雅叙園観光ホテルのほうに何度か泊まったことがある。螺鈿のエレベータが素晴らしく、「昇龍庁」という中華料理屋もとてもよかったのだが、伊藤萬事件の余波で倒産し、しかも建物も全て破壊されてしまった。
 目黒雅叙園本体のほうも、1991(平成3)年に百段階段を残し、全面的に破壊され、建て直されてしまっている。とても残念としか言いようがないが、実は現在の新雅叙園も、冒頭に述べたように「普通の日本人のセンスとはかけ離れている」建物のため、サー・リドリー・スコット卿の映画作品の中にいるような気分にさせられる、なかなかにぶっ飛んだもので、それはそれで楽しい。
 そして目黒雅叙園本体も2002年に経営破綻したため、旧雅叙園美術館の貴重なコレクションの多くは散逸し、所在すら解らないらしい。その後外資を経て、ワタベウェディングの経営になっている。つまり今では関西資本なのだ。




上:百段階段の入口に飾られていた、昔の雅叙園の鳥瞰図。かなりの急傾斜地で、手前の目黒川から奥の洋館(新館まで)徐々に高くなっている。保存されている百段階段は画面左、道路に沿って斜め左方向へ上がっている部分。その他の施設は目黒川に沿っていたことが解るが、この辺りが今では「ブレードランナー」みたいになっているのだ(笑)。要するに、ちょっと洗練されすぎてはいるが、「アジアンゴシック」なのだ。画面上のほうの帝冠様式のビルヂングが、雅叙園観光ホテル時代に僕も泊まったことのある新館である。探せば当時のアナログ写真が沢山出てくるはずなのだが。




  

左:人気がないと、ちょっと不気味な雰囲気になる。
右:エレベータの扉の模様は各階全部異なっている。




上:ちょっとぼやけてしまったが、エレベータの内部もこんな感じで全部螺鈿。




上:ただで見学はさせてくれないので、和食、中華、フレンチから選んで晩餐を食さねばならない(笑)。ということで、僕らのグループはフランス料理を選択した。この日、お昼もフランス料理だったので、すごい贅沢であるww。このテーブルセッティングを見ても判るとおり、略式ではなく正式のディナーであった。会場はメインダイニングの「クラブラウンジ」。




 

左・右:んが、ディナーのスタートの前に、中華料理のグループの部屋を見学させてもらった。旧雅叙園の部屋をそっくりそのまま移築したものがあるのだ。これはすごかった。回転テーブルも全部螺鈿であり、全体的には確かに中華っぽいのだが暖炉はあるし、しかも壁は日本画なのだ。なんとも摩訶不思議な空間であった。




 

 

 

 

 

 

上十八枚:いずれも目黒雅叙園ホテル内、「東京チャイニーズ『旬遊紀 』」の個室にて。




上:「旬遊紀」入口に飾られた鱶鰭。壁面もすごかった。




上三枚:「旬遊紀」入口の装飾。




上:ということで、「クラブラウンジ」に戻って自分たちも食事である。これがまた、「イベントのおまけ」だからと全然期待していなかったにも拘らず、実に美味しかった。




上三枚:デザートまで堪能することができた。このイベント、定期的にあるようなので、東下りと重なったらまた来よう。




 

上三枚:食後、中華料理組とも合流、更に遅れてきたメンバーも加えて、ロビーにてお茶にしたのだが、このように金色に輝く巨大なアトリウムで、とてもSFチックである。




上:しかも細部にはこういう可愛いのもいる。




以降、みんなで夜11時過ぎまでわいわいと館内散策してしまったσ(^◇^;)。とても迷惑な客である(笑)。そのときの写真を以下に貼り付ける。

 

左:ここでお茶したわけである。
右:これが有名な「雅叙園のトイレ」。




上:便所の入口。




上三枚:自動ドアを入ってすぐ。ここから男女に分かれる。




上:男子トイレ。左側にはベンチまであり、太鼓橋を渡って左側、仕切ってあるのが小便器である。天井も格天井に日本画である。




 

左:男子トイレ内部。
右:天井。落ち着かないこと甚だしいトイレww。




上:奥から入口側を見る。左手の個室が大便器である。




上:並ぶ小便器。




 

左:個室の扉も螺鈿が施されていた。
右:個室の内部。




上:個室の天井もこの通り!!




上:ぼやけてしまったが、腰壁も見事。




上:これもトイレである。とにかくすごい。




 

左:トイレの自動ドア。
右:そして、通路に出る。どこもかしこも金と黒でまとめられている。




上:「ここは香港か?」と思わせる、金色のエスカレータ。




 

左:従業員通路の入口まで金ぴか。
右:ホテル棟のエレベータ。




上:エレベータ内部。




上:エレベータを撮影しているリュミ女史と猫八女史。




 

左:高層(客室)までは上がらない、宴会部門専用のエレベータがアトリウムに設置されていたのだが、これもキンキラキン。
右:そのエレベータの内部もキンキラキン。




上:宴会場が並ぶエリアは、この時間さすがにひっそりとしていた。




 

左:静まり返った廊下。天井に注目。
右:これも旧雅叙園以来のものだろう、神像が飾られていた。




上:こんな感じ。お手玉は背後の壁面である。




 

左:よって、真正面から見ないと、このようにお手玉がずれる。
右:灰皿まで螺鈿であった。




上:旧雅叙園の豪華絢爛な宴会場を移した部屋の入口。




上:中には入れなかったが、入口だけでもすごかった。




上:天井と壁面も日本画で埋め尽くされている。




 

左・右:銘木の柱。全てが「やり過ぎ」なのだが、「やり過ぎ」を極め、もはや「悪趣味など超越している」域に達している。




上:アトリウムを見下ろす。




上:どこまでも金色のエスカレータ。




上:エスカレータの最下部。




上:アトリウム内に日本庭園がしつらえてあり、そこの茅葺の建物が日本料理「渡風亭」であった。




 

左・右:ようやく帰路につく。




上:玄関からの長い通路の途中に門があり、そこには輪違いの紋章がつけられている。吉原の再現だそう。




上:その門である。




上:リュミ女史、花女女史と記念写真。




上:更に離れて門を振り返る。




上:目黒雅叙園の入口。暗いが、和風の屋根に鯱が乗っているのが見える。現在、旧雅叙園観光ホテル側にもエントランス棟を建築中とのこと。




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