二千八年関東下向記Y
(明治神宮外苑聖徳記念絵画館歌会、目黒雅叙園再現室晩餐会)



 

左・右:北夙川不可止伯爵閣下関東下向時の宿舎は、武蔵浦和の龍丸邸である。ということで、この子は龍丸邸の近くで時々見かける野良ちゃん。伯爵邸甲麓庵にお住まいのハナ姫によく似てあらしゃる。朝早くから、歌会に向けて出発したところ。(2008年7月12日)



 

左・右:神宮外苑を吟行して回る。近代建築という視点で語られることは殆どないが、藤井寺球場、阪急西宮球場亡き今、甲子園とともに戦前からの歴史を有する文化財的野球場といっていい、明治神宮野球場(神宮球場)。1927年竣工だが、ウィキペディアでは設計者は不明とある。
※2009年6月22日追記
マイミクkayaさんが調べて下さったところによると、
外苑野球場設計、「明治神宮造営局技師」によるもので、 その中で一応「小林政一」が担当かと。
検索すると聖徳記念館の施工担当として出てきますね。東工大や千葉大の建築学科の父でもあられるようですね。
「野球場の設計は全部神宮造営局技師が各運動関係者の意見を参照して樹てた(原文ママ)もの」だそうです。
「因に旧臘、東京府市の中学校十一校及神奈川県の中学校七校の野球部学生百三十余名は、冬の休暇を利用して、スタンドの土工に懸命な労力奉仕をしたさうである」の説明文にちょっと、おお!と思ったり。
出展は「土木建築工事画報」大正15年2月号でございます。

とのことであった。



 

左・右:この界隈は明治神宮の「外苑」なので、明治神宮関係の施設が集中している。この明治神宮アイススケート場も、アーチ窓の連続する近代建築であった。



 

左:この日の歌会会場、明治神宮外苑聖徳記念絵画館。小林正紹の設計で1926年に竣工した、かなりモダンだがバロック調の建築である。
右:正面ファサード向かって右側の翼部。絵画館なので、窓がない。



 

左・右:中央部分。正面玄関は石段を登ったところでそこが一一階である。歌会は半地下になっている地下室で開催した。まだ梅雨は明けていなかったのだが、この快晴である。物凄く暑かった(-_-;)。



 

左・絵画館正面玄関前の水飲み噴水。残念ながらもう水は出ていなかった。
右:神宮外苑はシンメトリックな洋風庭園で、その正面一番奥が絵画館という非常にシンボリックな構成になっている。んが、さすが明治神宮、右翼の旗がへんぽんと翻っていた。



 

左・右:兎に角暑かったので吟行は早めに切り上げて、まずは腹ごしらえである。



  

左:食後、会場へ向かう甲麓庵歌会一行。第十回記念関東例会なのだ。歩いているのは左から221系氏、城山達郎氏、ラ・リュミエール女史、龍丸、計良誓乃(日向燦太)。
右:正面ではなく、地下へ直接入る脇玄関からの入場となった。学園というのは絵画学校である。



 

左:客用スペースではなく、事務部門と絵画学校の占める部分なので、地下の廊下はこんな感じ。
右:ちゃんとこういう張り紙が準備されていた。ありがたい。



 

左:主階段。地下から一階を見上げる。
右:地下も主階段周りは大理石がふんだんに使われている。あとからいろいろ間仕切りしてあるのが判るが、歌会会場となった会議室も広間をあとから仕切った(それでもかなり広い)部屋であった。



 

左:撮影してるのは日向夕夜くん。奥に見えているのが絵画学校の事務室だが、窓口の造作がなかなか素晴らしい。
右:主階段は正面玄関の左右に分かれている。ファサードに向かって右側の主階段は絨毯が敷かれ、賓客用らしくロープで閉鎖されていた。



 

左:そして向かって左側の階段を上る。絨毯が敷かれてないだけで、造りは全く同じである。
右:主階段一階見上げ。天井が物凄く高いことがわかる。



 

左:一階右翼(ファサード向かって左)主階段室天井。
右:そこにあった小さな窓口。非常に美しい。



 

左:正面玄関前室部分の壮麗な天井。
右:同じく下の方。正面で切符を買ってるのは関東例会幹事のラ・リュミエール女史。チケットブースの奥が、閉鎖されていた絨毯敷きの左翼主階段である。



 

左:正面玄関のステンドグラス。
右:重厚な扉とドアノッカー。しかしデザインは結構モダンである。



 

左:物凄く写真を撮ってほしそうにしていた庶卑。
右:玄関前室から玄関ホールへの扉の上も華麗なアーチになっていた。



 

左:玄関前室から外側のポーチを見る。
右:ポーチの天井。



 

左・右:大理石がふんだんに使われているので、あちこちに化石があった。



 

左:化石の説明版もあった。
右:一旦地下に降りる。歌会会場である。立っているのはラ・リュミエール女史。



 

左:同じく会議室。このように変則的な形に仕切られていた。ラ・リュミエールさんと夕夜くん。
右:再度一階へ。中央ホールの床は見事な大理石モザイクであった。



 

左:中央ドーム内側見上げ。
右:中央玄関ホール。



 

上三枚:いずれも中央ドーム。



 

左:「絵画館」なので、両翼の内部はこのように明治天皇の事績を描いた画壇の大家、巨匠たちの作品が展示されている。それぞれに華族が寄贈していて、名前が掲示されているのが面白かった。
右:中央ホール後室に飾られていた、明治天皇の愛馬の剥製と骨格。



 

左:その夜、龍丸邸にて。伯爵の腹の上で甘えるみぃあ姫。伯爵令嬢ちはる姫の次女にして、龍丸の愛猫である。
右:明くる7月13日は、目黒雅叙園百段階段見学&ディナーであった。ということで、博覧会のパビリオンのような建築は、目黒雅叙園正面玄関棟。



 

左:登録有形文化財・目黒雅叙園百段階段。
右:内部。



 

左・右:今回の晩餐会は、中華料理「旬遊記」に復元された旧雅叙園の個室であった。これは前菜。



 

左:鱶鰭スープ。
右:目黒雅叙園は「中華料理の回転テーブル発祥の地」だと言われている(異説もあり)。実に豪奢な螺鈿の回転テーブルであった。



 

左:海老チリソース。
右:北京ダック。



 

左:同じく北京ダック。
右:名前は忘れたが鶏肉と葱の炒め物。



   

左:炒飯と牛肉と玉蜀黍の炒め物。
右:龍丸とラ・リュミエールさん。



 

左:デザートのココナッツアイスクリーム。
右:そして、暖炉である。「旬遊記」には再現室が「南風」「玉城」の二室あるが、僕らが食事したのは南風の間であった。中華料理店だが、暖炉もある洋間であり、壁は金箔輝く日本画という、何とも絢爛豪華にして国籍不明な、「アジアンゴシック」な空間であった。



 

左:晩餐会の模様。
右:天井はこんな感じ。本当に国籍不明であり、決して「正統派」ではないが非常に面白い。



 

左:かつては実際庭に面していたのだろうが、再現された今、窓外の景色はぱっちもんである。
右:朱漆のドア。ノブがやたら低いのは、かつて和室だった名残だろうか?



 

左:暖炉の上の鏡に伯爵がチラッと映っている。
右:暖炉がある部屋に床の間もあるこの無節操なアナーキーさ。



 

左:同じく床の間。人物は城山氏。
右:見事な回転テーブルであった。



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