播州篇V

上:2007年9月9日、まだまだ夏のように暑い日であったが、ヒロポン及びその弟子のY君の三人で、青春18切符を使っての播州日帰り旅行を敢行した。今回はその写真で構成する。
 まずは、播州信用金庫加古川支店。ごく新しい建物だと思われるが、どういうわけだか「戦前までの金融機関建築の王道」を意識した建物となっている。まぁ様式建築としてみると、決して水準の高いデザインではないのだが。




 

左・右:ものすごいセンスの広告看板が並んでいた。加古川駅附近にて。このあと加古川名物のカツ飯を食した。




上:そしてまた新快速に乗って、姫路へ。一番の繁華街であるみゆき通り商店街に入ってすぐ、「ポムの城」というオムライス店がある。大阪には「ポムの樹」というオムライスチェーンがあるが、そことは全く何の関係もなさそうなパッチものであった(笑)。因みに検索してみたら、「ポムの城」のほうもここの単独ではなく、大阪府を拠点とするチェーン店であった。




上:姫路は乗り継ぎのために下車しただけ。すぐに後続の新快速に乗り換えて、今日の目的地、播州赤穂駅で下車した。国鉄でいう国電区間、JR西日本の「アーバンネットワーク」区間の最果てである。で、これは駅構内に掲げられている、史上最も有名な馬鹿殿の一人、浅野内匠頭の「辞世句」であるwwwwwwwwwwwwwwww。これ、三人揃って爆笑してしまった。赤穂市にとって「市の恥」としか言いようがない超間抜けな間違いなのに、市民一同誰も気づいていないのだろうか? レベルが低すぎる。いうまでもないが、どう見ても「句」ではなく「歌」であるのだが。
風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせむ




上:播州赤穂駅前にて。赤穂市の場合、駅から離れたところに中心市街地があるのではなく、駅前が目抜き通りのようなのだが、その駅前のテナントビルですらここまで空き店舗だらけであった。実際、人通りも殆どなかった。




上:特にどうという建物でもないのだが、赤穂駅舎である。閑散としているが、無意味な再開発をしたのか、駅前広場は不釣合いに広かった。




上:しかし吃驚したことに、小さな町なのに地方紙らしき赤穂民報社があった。地方紙はブロック紙、県紙、地域紙に分けられ、兵庫県の場合は県紙の神戸新聞しかないと思っていたのだが、赤穂に地域紙あったとは。民度は高いらしい。




 

左・右:市内局番が一桁である。こういうほうが風情があっていいのに、今は赤穂市も四桁市外局番、二桁市内局番になってしまった。




上:赤穂の名物は塩饅頭(塩味饅頭)である。この「かん川本舗」も老舗の一軒。建物はつまらないが、しかしこういう戦後モダニズムのビルもそろそろ「レトロ」ともてはやされるようになってきた。
円満な暖簾分けだろうか、それとも対立して分かれたのだろうか、別に「総本家かん川」という店もあるようだ。赤穂の塩饅頭屋では、播磨屋も「元祖播磨屋」と「播磨屋利休」の二つがある。僕が子供の頃よく食べたのは「播磨屋利休」である。




上:駅前広場から赤穂城に向かう目抜き通りにて。戦後かもしれないが石積みを模した看板建築商家があった。ただし、廃業している店舗が多い商店街である。




上:その隣、中国銀行赤穂支店。岡山に本店を置く地銀だが、戦後もかなり最近まで、様式建築で支店を建てていたことで有名である。よってこのビルも、おそらく戦後物件だが、↑の播州信用金庫よりはるかに完成度が高い。




 

左:食堂のショーケースに置かれていた、動く人形。なかなかいい感じだった。
右:いわゆる看板建築の範疇には入ろうか。玄関周りなど相当古めかしかった。




上:城に近づくにつれ、こんな感じの「似非町家」が増えてくる。努力は認めたいけれど、それにしても質が低い。京都の祇園新橋通りには鉄筋コンクリートなのに外観は完璧な町家になっているビル、祇園ネクサスがある。あのレベルに持っていかないと、これではなぁ。




 

左・右:表通りがあまりにもゴーストタウン化していて殆ど通行人がいない上、街並みとしても見るべきものがとても少ないので、とうとうちょっと脇道に入ってみたら、とたんにこのような素敵な洋館風看板建築があった。間違いなく戦前のものだろう。




上二枚:蟲籠窓の町家。




上:小さな長屋だが、二階の手摺と窓枠は素晴らしいものだった。裏通りにはこういう建築が沢山残っているのに、目抜き通りはすっかり死んでいる。赤穂市の都市計画行政は完全に誤っているとしか言いようがない。




上:蔵造りの商家もあった。




 

左:脱力系ほのぼの家具屋があった。
右:小さいながらも素敵な町家。




上:私設天文台を発見。




上:とにかく裏通りのほうが素晴らしい。実に変な街である。




上:裏通りにはこういう景観が続いていた。




上:かなり手入れが悪く、崩れつつあるのをトタンを巡らして食い止めているようだが、現役の住宅である。




 

左:同上。
右:いい味わいの広報板。




上:なぜ目抜き通りはこうでないのか? 観光地として、根本的に間違っている。




上:丁度平成の大合併の是非を問う住民投票が行われていた。この日の投票結果は当然ながら、「合併否決」。住民の良識が示された。




上二枚:いよいよ赤穂城である。大手門前に、老舗の和菓子・土産物屋の「巴屋」があった。上が本店、下の青瓦が大手門前店だが、極めて近接している。どちらも年季の入った建物で、ひょっとしたら戦前かもしれないと思わせるが、大手門前店の方が古そうだ。このサイトによると、旅館だったものを1961年に現在地に移築したとあるから、となると戦前建築の可能性もある。




上:これがお堀。農業用溜池を兼ねていて、結構長閑である。




上:お堀端の廃墟。




 

左:堀の端のほうには流れがあった。
右:大手門側の石垣には銃眼の空いた城壁が復元されていた。




上:城内はこのように殺風景。かつては民家(武家屋敷の後裔)が並んでいたのを、何を考えているのか取っ払ってしまったが故である。奥のほうに見えているのは本丸。




上:城内にある、大石神社の異様な参道。




上:参道の両側、ずらっと兵馬俑が並んでいるのだ?!




 

左:その正体はこれ。何かと思えば、中国に依頼して作った義士像なのであった。
右:そのうちの一つ、寺坂吉右衛門像。このように、一つ一つ寄贈者が記載され、その多くは当人の末裔であった。こんなもん、声をかけられたら断りにくかろう。実は迷惑だったのではないかと思われて、笑えた。




 

左・右:同上。




上:城内に、立ち退きを頑として拒んでいるらしき民家があった。頑張れ!!




上:逆光で見にくいが、裏側の城門はもうほぼ廃墟。とてもいい雰囲気だった。




上:城外に出て、赤穂市立民俗資料館へ向かう道すがら、庭の池の上に離れを張り出したとても素敵なお屋敷があった。




上:赤穂といえば、古くから塩の産地として知られている。これは旧専売公社赤穂支局の事務所と塩蔵である。




上:標柱石には大蔵省の文字が。




上:そして、専売公社赤穂支局の本館全景が見えてくる。現・赤穂市立民俗資料館で、1908(明治41)年に建てられたとても古い木造洋館。




 

左・右:同館細部。丸ポストが似合っている。




上二枚:簡素だが、きちんとした様式建築である。




上:暑くてへろへろになっていたので、早速入る。正面向かって右側の塔の下が玄関になっていて、内部は吹き抜けだった。




 

左:内部の造作も見事。
右:垂涎物の琺瑯看板コレクションが展示されていた。




 

左:同上。
右:階段室の大窓。




上:一階の主展示室。天井は漆喰ではなく木張りであった。




上:細部まで手を抜いていない確かな建築であった。




上:階段から琺瑯看板コレクションを見下ろす。




上:二階はなんとハンマービームトラスが屋根を支えていた。教会みたいである。展示されているのは出征兵士を見送る幟や軍服など。




上:展示されていた戦前の教育歌留多。




上:軍服類。マニアには垂涎のものだろうが、剥き出しで並んでいた。




上:なんとワープロまで既に民俗資料と化していた。確かにまぁ、既に「前世紀の遺物」ではあるがσ(^◇^;)。




上:こちらは機械式計算機。




上:廊下にはずらりと柱時計がかけられていた。




上:渡り廊下でつながれている、煉瓦蔵。これも明治のものだろう。




上:塩務局庁舎を裏側から見る。




上:屋外に展示されている古い農機具。




上:琺瑯看板をこういう風に用いるとは知らなかった。しかも「義士号」である(笑)。




上:こちらは「忠臣号」。いずれも地元のメーカー製なのでこういう名前なのだ。




上:かつて大量の塩が積まれていた倉庫内は、古道具屋の物置のような状態で面白かった。




上:煉瓦倉のほか、かつてはこのように木造の倉庫が何棟も並んでいたらしい。




上:再び本館に戻る。木製看板も沢山あった。




 

左:カフェーの鑑札である。経営者(マダム)が清水艶子女史で、屋号が「つや」。滅茶苦茶カッコいい。
右:世にも不思議な大看板。




 

左:帰りは神戸駅で下車して、「ムジカ」に寄った。これは銀座、心斎橋、新京極などと共に「モボ・モガの時代」に栄えた元町商店街にて創業元治元年(1864年)の老舗、「長崎カステラ総本舗」。
右:「長崎カステラ総本舗」のシャッター。なんと神戸市内なのに市内局番が一桁である!! なお、写真は撮っていないが、この真向かいにもカステラの老舗、「二つ茶屋」(1924年創業があって昔から張り合っている。




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