骨董建築写真館 大阪都心近代建築探訪講座・下
骨董建築写真館

大阪都心近代建築探訪講座・下

上:堺筋から伏見町通りに入る。古い商家が残っている。




上:逆光だし路駐の車が邪魔だしひどい写真だが、伏見町通りに二軒並んでいる近代建築。手前が青山ビル、奥が伏見ビルである。二軒とも登録有形文化財で、青山ビルは1925(大正14)年に大林組の設計施工で建てられた野田源次郎邸、伏見ビル(旧澤野ビル)は1923(大正12)年の竣工で設計者不詳、どちらも大切に使われている。




 

左:青山ビル玄関。全面をつたに覆われていて春から秋にかけては殆ど外観を窺い知れない状態になる。このようにスパニッシュスタイルの個人住宅で、右端に見えているステンドグラスは階段室である。
右:階段室のステンドグラスとアーチ窓。




 

左:青山ビルのファサード。最近大阪の老舗丸福珈琲店の支店が入ったが、ここはちょっと商業主義が鼻につくので個人的にはあまり好きではない。
右:青山ビル玄関天井。




 

左:青山ビル玄関内。「遊気Q」というとてもいいギャラリーが入っている。
右:伏見ビル全景。




上:伏見ビルの玄関。車が邪魔だった(ーー;)




 

左:玄関の水盤にはいつも花が活けられている。登録有形文化財の標章が見える。
右:事務室の受付窓。

 

左・右:伏見ビルの階段。過去分⇒<増補>




 

左:伏見ビルの玄関風除室。床も壁もタイルである。
右:高麗橋野村ビルディングの玄関。イスラム風の照明塔が個性的だが、休日のため玄関ホール床の十二支図は見れなかった。登録有形文化財である。




上:高麗橋野村ビル全景。堺筋と高麗橋の。ここの一階のカフェレストラン「JAMAIS」にて昼食をとった。1927年、安井武雄の設計で建てられている。安井作品としては大正期の大阪倶楽部と、モダニズムに転換する瓦斯ビルとの中間に位置する。なお、「ジャメ」はムジカの茶葉を使っているとのこと。食事しかしなかったので気づかなかった(^_^;)。過去分⇒<増補>




上:高麗橋野村ビルの真向かいに位置する、三井住友銀行大阪中央支店。かつての三井銀行大阪支店は、三井銀行の関西における拠点であり、支店長は役員が就任する慣わしであった。右の工事現場は旧三越大阪支店跡。東京を拠点とする三井財閥であるが、実はこの大阪、高麗橋の地こそ、三井越後屋発祥の地なのである。昭和も二桁に入った1936(昭和11)年の竣工だが、銀行だけあって重厚な新古典様式で建てられている。内部空間も圧巻である。設計は曾禰中条建築事務所。過去分⇒<増補>




 

左:旧報徳銀行本店である、新井ビル。1922(大正11)年に河合浩蔵の設計で堺筋に面して建てられた。あまり銀行建築には見えない、オフィス風のビルであるが、河合作品らしくゼセッション風に抽象化された装飾が見られる。長らくビフテキの弘得社(スエヒロ朝日)であったが、現在は「五感」というケーキ屋さんになっている。過去分⇒<増補>
右:大阪證券取引所。北浜一丁目一番地である。現在は外壁保存の上高層化されているが、シンボルである玄関円筒部分が完全に復元、内部空間も再現されているので、なかなかいい感じである。設計は長谷部竹腰建築事務所で、元の建物は1935年の完成。俗にいう「第三帝国様式」もしくは「スターリン様式」。建替え工事中の姿⇒<増補>




 

左:證券取引所の門灯。アール・デコである。
右:證券取引所の窓の装飾金具。




 

左:同じく装飾金具。
右:中に入ると、玄関ホールの床は大理石のモザイクになっている。

 

左・右:大阪證券取引所玄関ホールのステンドグラス。擦り硝子がが用いられれたアール・デコ調である。




 

左:大阪證券取引所、玄関ホールの天井。
右:大阪證券取引所正面全景。背後に見えるのが新築された部分である。




 

左:證券取引所前に新しく設置された五代友厚像。しかし、彼は公爵ではないので、台座に「五代友厚公」と刻まれているのは明らかな誤りである(ーー;)
右:證券取引所とは土佐堀通りを挟んで北向かいにある小さな株屋の建物。現在は北浜レトロという名のなかなかにいい喫茶店になっている。ちゃんとした紅茶が飲めるのだ。1912(明治45)年の竣工で、設計者は不詳。登録有形文化財である。




 

左・右:言わずと知れた、超有名物件である大阪市立中央公会堂。重要文化財ではあるが、ひどい改修で風合いは台無しになってしまった。岡田信一郎の原案を元に辰野片岡建築事務所が実施設計して、1918年に竣工している。




上:近衛家からの婿養子である春翠・住友吉左衛門友純男爵の寄贈で、住友家お抱えの建築家だった野口孫市が設計した大阪府立中之島図書館。中央部は1903(明治37)年竣工、両翼部は1922(大正11)年に日高胖の設計で増築された。全て重要文化財に指定されている。




上:このサイトでは二度目の登場、日本銀行大阪支店。1902(明治36)年に辰野金吾の設計で建てられたネオ・バロック様式の名建築であるが、実は1980〜82年にかけて一旦解体されている。外壁保存の上、内部空間も再現されているのだ。




上:淀屋橋のバルコンと照明塔。中之島に架かる橋の多くは、社団法人土木学会により近代土木遺産に選定されている。現在の橋は1935年に竣工、設計は(設計は原案が大谷龍雄、実施設計は武田五一・元良勲である。

上:淀屋橋から見た、大阪に唯一残る固定式屋形船、「かき広」。背後の悪趣味なビルは、先年まで古式エレベータのある名建築であった。




 

左・右:生駒時計店と並ぶ老舗、石原時計店。淀屋橋南詰に聳えるランドマークだが、悪徳不動産業者がこの界隈の超高層化を計画している。設計は三橋四郎で1935(昭和10)年の竣工。




上:石原ビルディング、エレベータ周り。色違いの大理石が用いられている。インジケータの意匠が美しい。




 

左・右:石原ビルディング、階段室。




 

左:石原ビルディング、玄関脇にあった非常に狭い小部屋。非常に斬新なタイルの壁であった。
右:日本テレマン協会の本拠地としても知られている、社団法人大阪倶楽部のクラブハウス。伝統ある英国式社交倶楽部で、建物は登録有形文化財となっている。安井武雄の設計で1924(大正13)年に竣工。このサイトでも過去にも取り上げている。




上:大阪倶楽部正面。この写真だけ2006年夏の撮影である。




 

左・右:大阪倶楽部側面(西側)細部。イスラム風飾り窓は階段室。この建物唯一のステンドグラスである。

 

左:大阪倶楽部正面。連続アーチと、怪魚のような彫刻の乗った柱が並んでいる。
右:正面、二階中央の窓。メダイオンは大阪倶楽部のイニシャル、OとCを組み合わせたモノグラムである。




上:大阪倶楽部正面ファサードの上部。四階は少しセットバックしている。




 

左・右:旧大阪市消防局東消防署今橋出張所だった昭和一桁の近代建築をリノベーションした素晴らしいオステリア、「ダル・ポンピエーレ」。ポンピエーレはイタリア語でポンプ、つまり消防署という意味である。




上:二階バルコニーの下には、消防署時代の赤ランプが残っている。




 

左:住友本館(三井住友銀行大阪本店)の玄関脇ガーゴイル。正面玄関の左右と、西と東の脇玄関の左右に夫々対である。ひょうきんで可愛い。全景等⇒<増補>
右:新・大同生命館前の公開空地に置かれている、旧・大同生命館のテラコッタ。全景等⇒<増補>




上:新・大同生命館。平成時代になってから建てられた、ネオ・ルネサンス様式である。テラコッタ装飾が素晴らしい。




上:現大同生命館車寄せ前に保存されている、旧大同生命館の軒装飾。

上:前頁の大同生命館から、旧東区を出て西区に入っている。昔の西船場エリアである。この建物は登録有形文化財、伝統ある教派神道の一つ、金光教玉水教会教派神道とは神道十三派を中心とし、幕末から明治初期にかけて成立した神道系新宗教をいう。怪しげな新興宗教ではない。この教会は1935年、池田谷設計事務所の設計で建てられた大規模な近代和風建築である。




上:江戸堀児玉ビル屋上から見た、金光教玉水教会。




上:そしてこちらも登録有形文化財である、江戸堀コダマビル。なぜだか全景写真を撮っていない(^_^;)。こちらも1935年の竣工で、設計施工は岡本工務店とのこと。元々は個人住宅である。コンポジット式の巨大な柱頭は四ツ橋筋面して建っていた旧日本火災海上保険株式会社大阪支店ビルのもの。素晴らしいビルが破壊されることを惜しんだオーナーが譲り受けたのである。




上:旧児玉邸玄関のステンドグラス。確かに個人住宅の玄関という雰囲気である。




 

左:コダマビルの階段。三階建て、しかも個人住宅であるので、エレベータはない。
右:屋上にはアートカレイドスコープ参加作品とかで、巨大な絆創膏があった。




 

左:このサイトで紹介するのは二度目であるが、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの傑作、日本基督教団大阪教会である。ネオ・ロマネスク様式で、煉瓦はフランス積み、しかも形状のいびつな焼き過ぎ煉瓦を美しく化粧積みしている。なお、合同教会である日本基督教団の中でも、僕と同じく同志社系、つまり会衆派=旧日本組合基督教会の系譜に連なる名門である。大正11年、つまり1922年の竣工である。大震災では同じ西区にある日本聖公会大阪主教座カテドラル川口基督教会共々大きな被害を受けたが、無事に修復された。
右:正面ファサードの美しい煉瓦。




 

左:教団大阪教会正面。(※日本の基督教界では、日本基督教団の略称として「教団」を使うことが多い。「日基」は日本基督教団とは別教派である日本基督教会=改革長老派系の略称になる)
右:教団大阪教会の近く、土佐堀通りに面して建っている木造三階建ての町家。戦前のものであろう。

 

左・右:詳細不明ながら、大正末に建てられたらしいダコタハウス。お洒落なテナントが次々入るのだが、どうもあまり長続きしない。「ロボカフェ」も休業中であった。このサイトでの紹介は二度目




 

左:ダコタハウスの横手の路地から、教団大阪教会の鐘楼を見上げる。右手のビルは、有名なサンドヰツチの老舗、「ビクトリー」である。
右:去年までは「内外内田実業ビル」と呼ばれていた建物。綺麗に(綺麗過ぎる?)にリノベーションされて、イタリア料理店になっていた。「リストランテ・サリーレ」である。これも大正末期のってものだが、詳細は不明。




上:筑前橋を渡り、中之島に入る。左手に大阪市立科学館、国立国際美術館と並び、そして右手に大正期を代表する素晴らしい名建築、「大大阪」の象徴であるダイビルこと大阪ビルヂングが見えてくる。三度目の紹介となる。東京の丸ビルこと丸の内ビルヂング亡き今、大正期の大規模なオフィスビルとして現存するほぼ唯一の例であり、重要文化財級の貴重なものである。大正15(1926)年に巨匠渡辺節の設計で建てられた、ネオ・ロマネスク様式の大楼。なお、渡辺節の作品はこれより新しい、昭和に入ってからの建物である綿業会館(日本綿業倶楽部)が重要文化財に指定されている。にもかかわらず、放射能汚染で人類滅亡をもくろむガミラス星人のごとき悪の秘密結社、関西電力鰍フ悪辣極まりない姦計により、破壊され下らない超高層ビルに建て替えられることになっている。何とかせねば、日本の文化が滅亡してしまう。
過去分一
過去分二




上:上の写真と同じく、西側側面のファサード。




上:北西角から見た前景。実に素晴らしい。右奥の醜悪な建物が悪の秘密結社関西電力のアジトである。左の超高層は東レ大阪本社。




 

左・右:正面ファサードは北側である。正面玄関を土佐堀川堤防より見る。




 

左・右:大正も後半に入り、アメリカンスタイルのオフィスビルなので装飾は限定されているのだが、正面ファサードの一階部分には濃厚なロマネスク装飾が施されている。

 

左・右:大阪ビルヂング西側勝手口。彫刻装飾がかなり痛んで、セメントで補修されているが、狐がいるのが判る。




上:軒蛇腹装飾(ロンバルディア帯)が見える。




 

左:北新地(堂島)にある新大阪ビルヂング(新ダイビル)とよく混同されるが、これは大阪ビルヂング(ダイビル)本館に隣接する大阪ビルヂング(ダイビル)新館。渡辺節の弟子、村野藤吾の手になる戦前の美しいモダニズム建築である。右側の茶色いビルがダイビル本館。
右:ダイビル本館の装飾照明。石彫である。




 

左・右:ダイビル本館正面一階にずらっと並んでいる装飾円柱と装飾角柱。ロマネスク建築の特徴がよく現れている。




上:豊穣な装飾に埋め尽くされたダイビル正面。




 

左・右:正面玄関の装飾はことのほか濃密である。




上:これを破壊して薄っぺらい超高層ビルに建て替えようという人間は、人間というより肥溜めの蠅であろう。関西電力の首魁秋山喜久がその親玉である。

 

左:玄関石柱。照明を内蔵している。
右:玄関ホール天井見上げ。一歩中に入ると、このように華麗な空間が広がっている。




上:玄関ホールは吹き抜けで回廊が巡っており、両側にエレベータが三機ずつある。かつては古式エレベータだったはずである。




上:玄関扉はこのように取り替えられてしまっている。




 

左・右:いずれもエレベータホール一階より上を見上げたところ。




上:エレベータホールの奥。左に投下式郵便ポストが見える。




 

左:上階からも投函できるようになっている投下式郵便ポスト。
右:郵便ポストの銘板。「東京建鐵株式會社製」と記されている。




上:ダイビルのシンボル、鳩を抱いた子供の彫刻。一階メイン廊下が玄関ホールに出るところに二箇所ある。

 

左:パサージュ風の一階メイン廊下以外の廊下はこんな感じ。
右:そして本館パサージュ廊下はそのまま東端で新館につながる。これは境界附近から新館側を見たところ。短いが、新館にも店舗が入っていて華やかな雰囲気は本館同様。床も大理石モザイクである。




 

左:外道鬼畜な秋山喜久にとってはただのぼろなのかもしれないが、まともな美意識を持つ人間が見たら実に美しくシックな新館のメイン階段。手入れも行き届いている。秋山のような下郎には、毎日手入れをしている人の心など全く解らないのだろう。
右:アール・デコ調で実に美しい、ダイビル新館メインエレベータホール。時計が素晴らしい。




上:新館正面玄関、エレベータ上の時計。村野氏のデザインである。




 

左:玄関ホール、柱の照明。
右:新館にも投下式郵便ポストがあった。こちらは建物に合わせてアール・デコ調である。




 

左:新館廊下。
右:新館玄関ホールに残る、古風な電話室。今は使用されていない。




 

左:玄関から玄関ホール、エレベータを臨む。
右:玄関風除室で見つけた古風な表示。

 

左:信じられないことに、四月に破壊計画が発表された朝日新聞大阪本社ビル。詳細は僕の連載をご覧下さい⇒。1931(昭和6)年に竹中工務店の俊英、石川純一郎の設計で建てられた、モダニズムスタイルの傑作です。
右:中央電気倶楽部新館。戦後物件だが、なかなかいい雰囲気にまとめられている。「ピカ」という幼稚なネオンサイン、まさかと思ったらなんとこれまた「アートカレイドスコープ」の参加作品であった。本当にレベルの低い展示が多い、学芸会並みのイベントであった。




上:中央電気倶楽部の全景。1930(昭和5)年に葛野壮一郎の設計で建てられたクラブハウス建築である。




 

左・右:中央電気倶楽部正面。左の写真右上には堂島ホテルの時計台が写っている。




上:中央電気倶楽部正面玄関。




上:中央電気倶楽部ファサード上部。テラコッタ製の装飾壺が見える。




 

左:中央電気倶楽部。ネオ・ロマネスク様式といっていいだろう。
右:古河財閥の大阪における拠点だが、ビル内に「商店街」があるのに笑ってしまった。普通は「地下街」とか「名店街」だろう。

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