骨董建築写真館 大阪健脚ツアー篇 其ノ弐
骨董建築写真館

大阪健脚ツアー篇 其ノ弐

  

左:西区、肥後橋南詰にある大同生命館(本店)。新築のビルにも関わらず、全体がネオ・ルネッサンス様式で作られ、テラコッタの装飾で覆われている。元々当地には、大正年間にウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で建てられた素晴らしいビルヂング、旧大同生命館があった。大阪では先に述べた堂ビル、この次に出てくる大ビルと共に、規模、デザインの両方で大正期を代表するオフィスビルであったのだ。大同生命は本社機能を吹田市江坂に移転していたのだが、行政当局が副都心として整備するという約束をいつまでたっても守らないため、致し方なく本社を都心にある当地に戻すことになり、そのために名建築である旧ビルを建て替えざるを得なくなった。その時、せめて旧ビルの素晴らしいデザインを継承した建物を建てようということで、このビルが建てられた訳である。正統派というよりは異端、関西的な“いちびり”ズムを感じさせる建築だが、僕個人は結構気に入っている。前代の名建築を取り壊すのであれば、後に建てるビルはそれを凌ぐものにするか、さもなくばそれを継承するか、どちらかにするべきであると思うのだ。然るに現在日本で建てられているビルの大半は、第二次世界大戦終結以前に建てられたビルより遥かに低いデザイン的水準にとどまっている。建築家(アーキテクチャー)の作品ではなく、建築屋(ビルダー)の仕事に過ぎないものが殆どなのだ。施主にも設計者にもあるのは銭感情だけで、なんの志も感じられない。それであれば、いっそ旧建築のエッセンスを忠実に再現する方がいくらかましである。そういう意味で、このビルはかつての旧ビルに十二分過ぎるぐらい敬意を払っているし、ただの復元ではないオリジナリティもある。だから気に入っているのだ。但し旧ビルはテナントビルでもあり誰でも入れたのが、新ビルは大同生命保険相互会社単独使用のため部外者は入れないし、かつては地下に「太陽軒」というそれはそれは雰囲気満点の安くて洒落た洋食屋が入っていたのに、それもなくなってしまった。ちょっと残念である。同じく名建築を破壊した後つまらない超高層ビルを建てた大阪・梅田新道の同和火災本社ビル(フェニックスタワー)には関西におけるクラシック専用ミニコンサートホールとしてとても格式の高いザ・フェニックスホールがある。大同生命館も一般向けの施設を何か入れて欲しかったとは思う。なお、大阪に本店を置く保険会社としては長堀橋の富士火災ビルも近年までカリヨン付き時計台を高く掲げたインターナショナル・スタイルの傑作であったが、今では不細工この上ないひどいビルに建て替わってしまった。しかし淀屋橋の日本生命館(本店の本館)は戦後派でありながら巨匠村野藤吾設計の素晴らしい様式建築で、石積外壁と軒蛇腹を持つ上品なビルヂングである。
右:大同生命館の付け根。旧ビルは一階営業室の天井に素晴らしいアーチを持っていたので、それを外側に出したような形になっている。いわゆるイメージ保存の一手法である。なおこのビルはヴォーリズ合名会社の末裔、一粒社ヴォーリズ設計事務所の作品である。増補

 

左:肥後橋南詰にある、1930(昭和5)年竣工の山内ビルヂング。設計者不詳なるも可愛らしいオフィスビルで、要所要所にはステンドグラスも嵌められている。一階と地下は老舗洋食屋「青楓グリル」が入り、生卵が落とされたまろやかなカレーなどを楽しむことができる。右隣の醜悪なビルも近年まで美しい近代洋風建築であった。
(※登録有形文化財に指定さるるも、2004年2月をもって「青楓グリル」は惜しまれつつ閉店してしまった。2004年3月18日追記)
右:同ビルを中之島から見る。“水の都”だった大阪にも、最早殆ど運河は残っていない。その昔は水辺に沢山の近代洋風建築が並び、さぞや美しい景観であったことだろう。現在ではわずかに残る名建築の上に、不細工な高速道路が覆い被さっている。

上:これが噂のダイビル(大阪ビルヂング)。大正15(1926)年に巨匠渡辺節の設計で建てられた、ネオ・ロマネスク様式の大楼である。なお、知的水準が低く欲得づくの銭感情でしか物事を判断できない愚昧なオーナー潟_イビルは、放射能汚染で世界滅亡をたくらむガミラスの如き極悪企業たる関西電力悪辣なる口車に乗り、この素晴らしいビルの破壊、超高層ビル化を目論んでいる。何としても阻止しなければ、大阪という街の見識と品格が問われる由々しき事態である。東京の丸ビルが破壊され見るも無残な醜悪なオブジェに建て替えられた今、わが国における大正期の大規模オフィスビルとして、現存するほぼ唯一の貴重な建物なのである。しかも渡辺作品では、大阪ビルヂングより新しい日本綿業倶楽部が重要文化財の指定を受けているのだ。大阪ビルヂングが登録有形文化財にすらならずに破壊されることなど、国家的に見ても損失以外の何ものでもない。
増補一
増補二


  

左:ロマネスク様式の特徴、豊穣な装飾が一階の随所に見られる。
中:左の柱のクローズアップ。
右:補修工事中であったのが残念だが、アーチの上に女神像が見える。正面玄関である。

  

左:正面玄関上の女神像。
中:玄関部分の装飾。
右:壁面の装飾金具。

左:正面玄関の天井。我が国に現存する近代洋風建築の中で、最も壮麗な天井の一つであろう。
右:正面玄関ホールはそのままエレベーターホールになっている。二階まで吹き抜けの空間に繊細な手摺と漆喰装飾を持つ華麗なブリッジかかかる。

 

左:廊下から中央正面玄関に抜けるところの頭上、石の梁にある鳩を抱いたエンジェルのレリーフ。
右:各階から郵便を投函できるようになっている郵便ポスト。ピカピカだが年代もので、真鍮製である。

 

左:繊細な装飾を施された梁の連なる一階廊下。
右:一階にある売店の年代物の看板。「大ビルマートパンストア」という名前もいい。

  

左:山崎豊子先生の傑作、「白い巨頭」の舞台として知られる旧大阪大学医学部跡地の向かいにある、既に閉鎖された古い雑居ビル。恐らく大正末〜昭和一桁頃の作品であろう。廃墟と化しているので、取り壊されるのは時間の問題と思われる。探偵事務所とかが入ってるとすッごく素敵なのだが・・・・・・。(2002年現在、既に現存せず)
中:土佐堀川にかかる、モダニズム様式の筑前橋。右から左に書いてあるところが渋い。
右:筑前橋を渡り、中之島から西区に入る。七十年の万博までに全て埋め立てられてしまったが、かつて西区は“東洋のベニス”と謳われた水都大阪でも最も運河の多いところであった。今では京町堀、江戸堀、立売堀(いたちぼり)、江之子島などの地名に往時を偲ぶしかない。この太平ビルは一時空ビルになっており取り壊しを懸念されたが、お洒落なカフェや美容院が入り、ダコタハウスという名前で見事に再生された。オーナーにまともな見識があればちゃんと残せるという見本である。設計者不詳、竣工は大正末期か? 増補→<増補>

左:大正十一年にウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で建てられた、日本基督教團大阪教會。国の登録有形文化財となっている。教会の創立は明治初期に遡る、日本でも最も歴史あるプロテスタント教会の一つである。この写真は土佐堀通側から鐘楼と牧師館(手前のグレーの屋根)を見たところ。右下に見える赤い看板はサンドヰッチの老舗「ヴィクトリー」で、大変に美味。
右:江戸堀通から正面全景を臨む。日本の教会にはゴシック様式が多いのだが、ここはロマネスク様式である。形の不揃いな焼き過ぎ煉瓦を化粧積みしてあり、細部から全体のプロポーションまで実に美しい。規模的にも我が国屈指の大聖堂である。電信柱が著しく邪魔。近年まで周囲も古い街並みが残っていたのだが、バブル期の地上げが激しかった地域のため今では空き地だらけとなっている。鐘楼の後ろのビルは金鳥ブランドで知られる大日本除蟲菊鰍フ本社。増補

 

左:正面玄関上の石造アーチ。窓にはこの教会唯一のステンドグラスが嵌められており、上の薔薇窓は素通しである。
右:会堂祭壇下から、後方クワイア席を臨む。下の半円アーチがステンドグラスであり、上の薔薇窓が輝いている。右にあるのは本物のパイプオルガン。1990年夏、まだ学生だった僕がこのパイプオルガンを弾いている姿が朝日放送テレビで放映されたことがある。

  

左:薄暗い会堂内なので分かりにくいが、クワイア席のパイプオルガンを見上げる。
中:ステンドグラスは近年新調された。
右:これも暗くて分かりにくいが、階段の木造柱頭。

 

左:同じく階段にある、素敵な照明器具。
右:大聖堂内部は三身廊形式という、大規模な教会に見られる構造になっている。連続アーチの外側が、東側の側廊である。西側も同じ構造になっており、中央部と合わせて三つの部分からなるので、三身廊と呼ぶのである。

 

左:極めて珍しく貴重な、アンティークのリードオルガン。パイプは飾りである。リードオルガンで二段手鍵盤に足鍵盤付というものは他では見たことがない。
右:こちらは本物のパイプオルガン。コンソール(演奏台)側から見る。僕もこのオルガンは何度も弾いたことがあり、朝日放送テレビでその姿が放映されたこともある。

 

左:かつてはずらっと西洋館の並んでいた土佐堀川左岸に辛うじて残っている近代洋風建築である、旧菅澤眼科病院(現菅澤眼科クリニック)。竣工は昭和3(1928)年、設計は清水組(現清水建設)である。
右:同病院玄関部分。

 

左:中之島最西端から堂島川越しに梅田方面を見る。右端の超高層ビルは四十階建のザ・リッツ・カールトン大阪。阪神電鉄系のこのホテルは大阪で五つある超一流ホテル(五つ星クラス)の中で最も新参者ながら、既に最も高く評価されている。
右:同所より下流を見る。土佐堀川と堂島川は一旦合流し、木津川と安治川に分かれる。安治川は日本では珍しい河川港で大阪港(北港)の一部をなし、この写真に見る付近がその最上流部。左側の部分は明治期に外国人居留地が置かれた川口地区で税関支所等があり、右は映画「ブラックレイン」のロケ地として知られる大阪中央卸売市場。奥のツインタワーは弁天町にある五十一階建オーク200。ホテル棟とマンション棟の二棟からなるツインタワーで、ホテル棟の三井アーバンホテル大阪ベイタワーは西日本で最も高層のホテルである。

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