大阪篇09年撮影分A

 

左:2009年3月14日、ホワイトデーだが甲子園駅から六甲山を遠望。なんと冠雪している。寒い日であった。
右:新築の、何の変哲もない、何の美意識も精神性も感じられない、実につまらないただの単なる超高層ビルのように見える、中之島ダイビル。こんな下らない箱を建てるのは、勿論「大阪の恥、日本のゴミ」としか言いようのない日建設計の屑どもである。



 

左:ご覧あれ、この下品極まりない、田舎のパチンコ屋かインターチェンジ脇のラブホテルにしか見えない醜悪な贋レトロが、中之島ダイビルの玄関なのだ。こんなところ、恥ずかしくて絶対入る気にならない。まともな精神を持っていたら見るのも汚らわしいと思って当然である。同じ「現代レトロ」なら、完全にネオ・ルネサンス調のテラコッタ張りでまとめている大道生命館(大阪本社)のほうが数億倍も素晴らしい。企業の見識と美意識の差が露骨に出ているわけだが、この中之島ダイビルと大同生命大阪本社ビルは数百メートルしか離れていない。
右:そしてダイビル新館(手前)大阪ビルヂング(ダイビル本館)。新館は1937年、村野藤吾設計で建てられたアール・デコの名品であり、本館は巨匠渡邊節の設計で1925年に建てられたネオ・ロマネスクの傑作である。東京の丸ビル亡き今、大正期の大規模オフィスビルとして現存するほぼ唯一の例であり、建築史上貴重なだけでなく、我が国にとっての貴重な文化遺産である。これを破壊し、その隣に見るも無残な張りぼてを作ってそれでよしとするのが大阪ビルヂングであり、関西電力であり、日建設計であり、大阪という街なのだ(-公- ;)。



 

左:ダイビル新館の美しい玄関。昭和初期にこのステンレスは、未来的に見えたことだろう。
右:オフィスビルなので、上階の廊下はシンプルなつくり。床は人造大理石研ぎ出し仕上げ。



 

左・右:大阪ビルヂング本館一階北廊下は、パリのパサージュを思わせる商店街となっている。



 

左:ダイビルのシンボル、一階廊下梁の鳩を抱く幼女像。
右:華麗なエレベータホール天井。



 

左・右:エレベータホール細部。



 

左:幼女のレリーフは東西二体ある。
右:二階廊下よりエレベータホールの吹き抜けを見る。



 

左・右:吹き抜けになっているエレベータホールを、二階回廊より見る。これを壊そうという人間を、人間と見做してよいのだろうか?



 

左・右:息を飲むばかりの美しい空間である。



 

左・右:天井詳細。現代では再現不可能な美しい漆喰細工である。



 

左・右:上階から投函し、一階で集約するタイプの郵便ポスト。



 

左:回廊から二階廊下を見る。
右:この見事な手すり。職人の手仕事である。



 

左:回廊から一階を見下ろす。渡辺節はタイル使いの名手である。
右:ダイビル本館と新館の接続部。奥が新館である。



 

左:新館二階廊下。
右:新館主階段。見事な大理石の階段で、村野藤吾の技の冴えを感じられる空間である。



 

左・右:新館最上階の郵便投函口。大正14年の本館のポストが左書きで、昭和12年の新館のポストが右書きなのが面白い。



 

左:新館塔屋を内側から。網入り硝子が懐かしい。
右:本館八階の廊下。スクラッチタイルの豪華な壁は、かつては会員制倶楽部だったとか。美しいタイルの床に無粋なシートが張られているのは、破壊工事を目前に控え、テナントが次々引っ越しているからである。



 

左・右:大正期のハイカラなサラリーマンの暮らしが目に浮かぶようだ。



 

左:倶楽部部分の壁。
右:床のタイルが美しい。



 

左・右:本館八階エレベータホール。壁の厚さが判る。



 

左:本館八階の郵便投函口。
右:さりげなくアーチがあしらわれている廊下。



 

左・右:本館一階エレベータホールの真鍮製ポスト。上階から投函された郵便物はここに集約されるのだ。



 

左・右:日建設計に雇われた無神経な土方人足によって、早くも傷つけられてしまった本館正面玄関の華麗な装飾柱。



 

左:大阪ビルヂング本館正面玄関は、このように三階まで装飾されている。
右:ダイビル本館と新館。



 

左:実に多くの動物が彫り込まれている。これは狐か? 猫科の生き物のようにも見える。
右:これは羊。



 

左:ダイビル本館の鋳物製装飾。鳥の爪と羽と羊歯か?
右:邪悪で野蛮で悪辣な関西電力本社前に置かれた、巨大な大便。実に下品だが、この悪徳企業暴力団のアジトには相応しい。



 

左:ダイビル本館のすぐ隣は、国立国際美術館と大阪市立科学館である。ダイビルを活かして更なる文化ゾーンとして整備すればいいのに、そういう発想すら出来ない蛇蝎しか権力の中枢にいないのがこの都市であり、この国なのだろう。それにしても、英語名を見ると「大阪国立美術館」であり、どこにも「国際」の語が入っていない(笑)。まぁ確かに、ナショナル・インターナショナル・ミュージアム・オヴ・アートでは訳がわからんのだろう。
右:筑前橋を渡って西区に入る。日本組合基督教会大阪教会の裏手の路地。右手の赤い看板はサンドウィッチの老舗「ビクトリー」で、元々医学書専門の古書店だった長屋は「木田」という饂飩屋になった。梅田の名店、「はがくれ」の弟子筋だそう。右奥にヴォーリズによって1922年に建てられた教会の鐘楼が見えている。ダイビル本館と同じく、ネオ・ロマネスク様式である。



 

左:土佐堀道理に面し、大阪教会と背中合わせに建っているダコタハウス(旧太平ビル)。詳細不明だが、大正期の可愛らしいオフィスビルである。



 

左:土佐堀通りに面して建つ三階建て町家。これも大正〜昭和初期だろう。
右:江戸堀コダマビル。登録有形文化財である。1930年に児玉竹次郎邸として建てられたもので、設計は山中茂一・岡本新次郎(岡本工務店)。岡本工務店はヴォーリズ建築を多く手がけているので、この邸宅もどことなくヴォーリズ調のスパニッシュスタイルとなっている。



 

左:江戸堀コダマビルのステンドグラス。施主はさぞかしハイカラな人だったのだろう。
右:これも登録有形文化財金光教玉水教会。池田谷事務所が、昭和10年(1935)に設計した。



 

左:四ツ橋筋に面する、京町ビル(旧京町堀ビルヂング)。1926(大正15)年で設計は岡部顕則(岡部建築事務所)。
右:京町堀通りに面して建つ、安田ビル。1936年に建てられた近代建築としては新しいものなのだが、設計不詳。歯磨きの老舗であるが、ギャラリーなども入っている。



 

左:前章で詳細に紹介した、崎山ビルヂング。この日もここまで歩いて、「オピューム」で食事した。
左:1832創業の老舗商社鱗形屋長瀬産業の本社。設楽建築事務所の設計で1928年(昭和3年)に竣工している、これもロマネスク調のビルヂングである。四階は増築だがうまく作られていて、元からのペントハウスのように見えて違和感がない。



 

左・右:長瀬産業は南に新館、更にパーキングタワーを増築しているが、色彩や意匠を旧館に合わせており、優れた都市景観を生み出していると評価が高い。世襲は嫌いなのだが、こういう同族会社なら評価できる。



 

左・右:かつては西横堀川の水面に美しい姿を映していた、大阪屋ニュー新町ビル。全くデータ不明だが、昭和十年頃のモダニズム建築である。



 

左:ニュー新町ビルの東側は、かつての西横堀川に面している。上は阪神高速環状線。このように前面ガラス張りの、モダンなスタイルを川面に映していたのだ。
右:すぐ脇には、かつての新町橋の親柱が残されて碑になっている。



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