大阪ビルヂング(ダイビル)詳細篇
(放射能汚染で人類滅亡を目論むガミラスのごとき悪の秘密結社関西電力の悪辣極まりない姦計)



 このサイトでは、破壊の危機に瀕している大阪ビルヂング(ダイビル)を既に何度も取り上げているが、改めて一章を設け、内部写真を中心にこのかけがえののない文化遺産の価値を訴えたい。
ダイビルこと大阪ビルヂングは、大正15(1926)年に巨匠渡辺節の設計で建てられた、ネオ・ロマネスク様式の大廈であり、その代表作の一つ。
 この時代は大阪市の人口が東京市を上回り、「大大阪」と呼ばれた近代大阪史上の全盛期である。明治維新以後、社会は急速に近代化した。そしてこの頃、通信と交通の発達により、日本を含め先進国の都市は歴史上初めて「同時代性」を帯び、同じ時代の空気を呼吸するようになっていった。世界各国の最新の潮流が、どんどん日本の都市にも流入するようになり、建築を含む芸術の分野でもそれは顕著であった。
 日本では社会の近代化により、それまでの中産階級(ある程度の財産を持つ中流階級)に替わり、無産中流階級が急速に台頭し、比率はともかく、影響力の面で都市の主流を占めるようになっていった。つまり、旧制大学、旧制専門学校やそれに順ずる高等教育を受け、官庁や大企業に務める「サラリーマン」層である。彼らは背広を着てネクタイを締め、都心のビルヂングに勤務し、阪神間など郊外の文化住宅(玄関脇に小規模な洋館を附設した和風住宅。当時としては中流階級の家だが女中の一人ぐらいは雇われており、規模の面でも現代的感覚から見るとかなりの邸宅ということになる)に住み、私鉄で通勤したのだ。その中からモボ、モガなど当時の先端の風俗も生まれてきた。
 ダイビルは建築史的に見ても日本に於ける大規模オフィスビルの嚆矢であると共に、社会史、文化史的に見ても、この時代を代表する文化遺産である。なおかつ、東京の丸ビル(丸の内ビルヂング)亡き今、現存する大正期の大規模オフィスビルとしては最後のものである。それをむざむざ破壊させては国家的損失であり、大阪という都市の品格、関西という地方の文化力にも関わる大問題といえよう。
 なお、渡邊作品では、ダイビルより新しい日本綿業倶楽部(綿業会館)が既に国指定重要文化財となっている。この一点だけを見ても、ダイビルも重要文化財として手厚く保存するべきものであることは歴然としているのだ。

2007年4月4日撮影の写真で構成する。



 

左:土佐堀通から見た、ダイビルの新館と本館。ダイビルというと渡邊作品の本館ばかりクローズアップされるが、その弟子でありモダニズムの大家である村野藤吾の作品である手前の新館も、戦前である1937(昭和12)年に建てられた傑作である。内部は本館と一体化している。また、外観はモダニズムだが、内部はアール・デコの要素が濃い。背後の穢らわしく醜いビルは、各地の名建築を次々に破壊し、原発立地対策では地域コミュニティを分断し暴力団顔負けの非道な振る舞いを行う日本一の悪徳企業、関西電力のアジトである。
右:ダイビル新館。実はこのように、屋上に三角屋根の塔を持っている。手前の工事現場は関西電力旧アジト跡。現在ここには「中之島ダイビル」という醜悪極まりない、田舎のラブホテルかテーマパークの張りぼてにしか見えない下品この上ない超高層ビルが建っている。



 

左:ダイビル新館全景。右側の正面が北面である。どこから撮っても邪悪な秘密結社そのものの反社会的組織である悪の関西電力のアジトが写り込んでしまうのが、実に忌々しい。
大阪ビルヂング新館正面ファサード。凹字型となっていて、最上階と両脇のみ窓が大きくなっている。決して単調な実用一点張りのデザインではない。土佐堀通が狭いので、正面全体を撮ることは広角レンズが必要になる。



 

左・右:隣の朝日新聞大阪本社旧館(大阪朝日ビル)同様、昭和初期としてはかなり斬新であったろうステンレスが装飾に用いられている。門燈のデザインも素晴らしい。



 

左・右:大阪ビルヂング旧館正面ファサード。これを破壊するなど、人類の歴史に対する叛逆行為である。



 

左:ダイビル本館玄関附近。日本離れした光景で、上海や紐育だといわれても気づかないだろう。
右:ダイビル新館玄関。すっきり上品にまとめられている。安手の連れ込み宿にしか見えない中之島ダイビルとはえらい違いである。



 

左・右:新館正面玄関風除室。モダンな空間なのに豪華で、しかも品がある。さすが村野の作品である。



 

左・右:風除室にて。古風な木製の注意書。昔は未舗装路も少なくなかったのだろう。



 

左:玄関入って右側にある、館内案内板。
右:玄関ホールから土佐堀通を見る。床は大理石モザイクである。



 

左・右:玄関ホールには、公衆電話室があった!! 最近では公衆電話自体が少なくなりつつあるが、昔の建物は民家でもビルヂングでも、電話のために一室を設けることが少なくなかったのだ。実に懐かしい。



 

左:電話室をもう一枚。床、階段、壁のすべてが大理石である。
右:郵便ポスト。上階からも手紙や葉書が出せる仕組みである。アール・デコ調の美しいデザインにも注目されたし。



 

左:上階のポストはこのような小さな差入口である。
右:エレベータホールの時計。大理石製で、アール・デコ調のデザインである。



 

左:エレベータのインジケータ。
右:エレベータの扉。すべてオリジナルだろうと思われる。



 

左:エレベータの制御装置。
右:新館の南北廊下。



 

左:新館の東西廊下。大理石である。
右:同じく東西廊下。扉の向こうはそのまま本館である。パリのパサージュのような商店街となっている。創建当初、これは物凄くハイカラでモダンだったと思われる。



 

 

上四枚:いずれも新館主階段。関西電力の下種役員どもは、美しい建物に愛着と誇りを持ち大切に維持管理している人々の気持ちなど全く解らないのだろう。マントヒヒ以下である。



 

左:東西廊下を進み、大正建築である本館に入る。こちらの床は渡邊節お得意のタイル。
右:梁にも美しい漆喰装飾が施されている。



 

左:老舗が並ぶパサージュ。かつては断髪のモガも闊歩したのだろう。
右:パサージュの梁。



 

左:パサージュから玄関ホールへ出るところには、鳩を抱いた少女の彫刻が。
右:彫刻のアップ。実に可愛らしい。



 

左・右:華麗にして荘厳なる本館エレベータホール。圧巻というほかない。これを壊そうという発想が一体どこから出てくるのだろう? 悪魔の所業というほかない。



 

左:エレベータホール奥。この先にトイレ、湯沸室そしてテナント室がある。
右:本館にも郵便ポストが。実に美しく磨きこまれている。



 

左:エレベータホールの時計。
右:エレベータホールは二階までの吹き抜けになっている。



 

左:エレベータホールの回廊下の装飾。
右:パサージュは中央の玄関ホールから東西に伸びているので、西側にも東側と同様の装飾がある。



 

左:西側天使のアップ。東側と微妙に表情が違うのは手彫りだからである。
右:パサージュの商店。「輸入食料品」がハイカラで希少なものだった頃から営業しているのだろう。



 

左:博龍商店はなんとシャッターでもガラス戸でもなく、板戸であった。床のタイルが美しい。
右:テナント部分の廊下。床はタイルではなく人造大理石研ぎ出し仕上げである。



 

左:一部、真鍮製のドアノブが残っていた。それがどれもぴかぴかに磨かれているのである。関西電力の屑役員にやらせたい。上に媚びへつらい下には威張り腐るしか脳のないゴミ連中である。
右:本館主階段のレトロな表示。



 

左:昭和に入ってからの新館はエレベータと共に階段も気合の入ったデザインだったのに、大正時代の本館は完全にエレベータが主役で、階段はこの主階段ですら質素であるところが面白い。
右:本館廊下。



 

左:本館西端にある貨物エレベータ。かつては蛇腹の手動式であったに違いない。
右:四号非常階段の扉。真鍮の取っ手が美しい。



 

左:四号非常階段。一階から地下を見たところ。
右:同。一階親柱。簡素な鉄製である。



 

左:一階から上への階段。美しく曲がっている。
右:一階から踊り場を見上げる。



 

左・右:いずれも階段の吹き抜けを見上げて撮影。実用一点張りの非常階段ですら美しい。



 

左・右:地下に降りてみた。地下には階段室の扉はなく、いきなり廊下となっている。



 

左:地階から直接外に出られるらしい扉。
右:会談下の倉庫。カタカナではなく漢字表記で「大ビル」となっていた。



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