大阪篇08~09年



 

左:2008年4月27日撮影。日記を見ると、どうやら天神橋筋商店街界隈の路地裏で撮影したようだ。
右:これも天六駅裏に位置する、加納総合病院。そんな古い建物ではない。すごいセンスである。



 

左:この年は大阪の写真を殆ど撮っていない。これは11月28日に撮影した、大丸心斎橋本店。しょっちゅう行っているが、あまりに日常的過ぎて実は殆ど写真を撮っていないので、内部を少し撮影したのだ。これは北西角階段室の天井装飾とシャンデリア。客用とはいえ脇階段なのに、見事である。1933年に竣工、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で、いうまでもなく我が国百貨店建築の最高傑作である。
右:北西脇階段は、この時代の会談室によく見られる、階段内側吹き抜けをエレベータシャフトにする構造となっている。籠や扉は取り替えられてしまっているが、アール・デコなインジケータがそのまま使われている。これはオリジナルだろう。



 

左:階段室の窓。
右:オリジナルのシャンデリア。内部に蛍光灯を用いるにせよ、せめて電球色のものにして欲しいσ(^◇^;)。



 

左:階によっては縦型インジケータが用いられている。
右:古いビルヂングにはつきものの、大理石に含まれる太古の化石。



 

左:この階段室は、非常に濃密に昭和初期の雰囲気が漂っている。
右:同じエレベータ。これは一階のもの。元は時計式インジケータだったのかもしれない。



 

左:心斎橋筋側中央玄関附近のアラベスク風窓。
右:心斎橋筋側中央玄関上部。大丸のシンボルであるピーコックが、華麗なテラコッタによって象られている。心斎橋筋はアーケード商店街なので、建物は見にくい。



 

左:アーチの基部にはグリフォンのレリーフが。
右:12月13日、このサイトでは既に何度も取り上げている鶴橋高架下商店街にて。既に夜遅かったので、大半の店が閉店している。



 

左・右:実にアジアン・ゴシックないい雰囲気である。



 

左・右:「ブレードランナー」や「攻殻機動隊」の作品世界そのものの商店街が迷路のように入り組んでいる。



 

左:路地につきものの、にゃんこ。とても可愛い。
右:韓流ショップはまだ営業中であった。



 

左:これより奥は卸売市場となる。
右:この商店街は大好きで、学生の頃から幾度となく訪れているのだが、それでも時として新発見がある。この「稲田食品」はどうやら戦前の近代建築(看板建築)らしい。



 

左・右:「稲田食品」の細部装飾。結構きちんと造られている。よく見ると、市内局番が三桁の時代のものがそのまま使われている。



 

左:12月20日、南海電車南海本線樽井駅にて。こういう古風な駅名表示もあまり見かけなくなった。大事にして欲しいものだ。
右:これより今年(2009年)の撮影分となる。2月24日、「月刊あまから手帖」に連載している「『食と建築』クロニクル」の取材のため、イタリアンの名門「オピューム」を訪ねた。建物は1923年に信楽焼の陶器問屋として建てられたというネオ・ルネサンス様式の崎山ビルヂングである。



 

左:軽自動車が停まっているが、こちらが崎山ビルとしての玄関。お店以外の部分の手入れがよくない。オーナーには建物の価値を深く理解し、もっとよくメンテナンスしてもらいたいものだ。向かって右側がお店の玄関である。
右:玄関の庇。素晴らしいものだが、傾いている。



 

左:玄関内部からステンドグラス欄間を見上げる。後付の煙突が何とも景観を破壊している。
右:天井も見事な細工が施されているのに、塗装がこんな状態になっている。



 

左・右:玄関周り内部。



 

左:郵便受群。
右:玄関ホールに立ち、奥を見通す。右側の壁の裏が「オピューム」であり、左の壁は玄関ホールをあとから仕切って小部屋にしたもの。奥の階段は大理石の厚板、床のタイルも瀟洒である。



 

左:玄関ホールの天井。
右:階段。ゼセッション風に幾何学的な親柱だが、一部欠けてしまっている(>_<)。磨り減った大理石板が実にいい味わい。



 

左・右:床タイル、腰タイルも実に美しいものが使われている。非常に贅沢な造りである。



 

左:正面ファサード全景。
右:元々が問屋で、上階は住居だったビルなので、かつては裏には土蔵があったとのこと。ギャラリーとしてうまく活用されていたのに破壊され、そのあとはこのようにコインパーキングになってしまっている(>_<)。



 

左・右:崎山ビルの裏面(西側)。タイル装飾が美しい。



 

左:裏側も全く手抜きのない、端正なファサードとなっている。
右:裏口。かつてはここから土蔵へつながっていたのだろう。



 

左:出っ張っている部分が階段室である。
右:大阪屈指の名店だが、ランチは850円からと極めて良心的な価格設定。さすが大阪である。



 

左:創業以来26年間継ぎ足された蠟燭。
右:メニューバインダーはオーナー西本氏お手製である。



 

左:こちらはワインリスト。
右:そしてコース料理がスタート。



 

左・右:シェフからの一皿に続いて、アンティパストがやってくる。



 

左:天井が高いので、奥に中二階が設えられている。ワインボトルから生える照明もオーナーのアイディア。
右:このコリント式の柱が素晴らしい。まさにゼセッション風である。



 

左・右:プリモ・ピアットのパスタ。



 

左・右:セコンド・ピアットは肉料理。



 

左:骨付き肉だったので、フィンガーボウルも添えられた。
ドルチェのメニューもオーナーお手製。



 

左:カッサータ。
右:パンナコッタ。



 

左:チョコレートのスフレ。
右:ゼセシオン風イオニア式柱頭。



 

左:実にいい音で鳴る柱時計。
右:今も毎晩灯される蠟燭。



 

左:フローリングの床はオーナーが何年もかけて磨き上げたもの。
右:食事が終わって、再度ビル内を案内して頂いた。



 

左:玄関ホールの床タイル。
右:何とも豪奢な、大理石の一枚板を用いた階段。磨り減り具合もいい。



 

左:階段の親柱。幾何学的、アール・デコ風である。
右:階段を上る。



 

左:階段踊り場の床も可愛らしいモザイクタイルであった。こういう豆タイル、現代ではもう作られていない。
右:右書きの表示。



 

左:最上階から階段室を見下ろす。
右:アーチ型の入口。



 

左:全体的に非常に質の高い空間である。
右:屋上階の天井裏。



 

左・右:そして屋上である。雨模様の日であった。



 

左:旗竿のデザインはモダンであった。
右:所有者が価値を理解していないようで、ビルは剥落防止のネットで覆われている。



 

左:この手の空気抜きも最近は滅多に見かけない。
右:腰壁のタイル。



 

左・右:一階裏口の細部。非常に凝った意匠である。



 

左・右:「オピューム」入口を飾るスティールアートは、崎山ビルにアトリエを構える山下信氏の作品。



 

左・右:取材後、雨も上がったので一人で都心を南下した。坐摩神社の北側に、古い防火壁が残っていた。



 

左:このサイトでも既出だが、もはや有名物件となったオーガニックビル。昆布の老舗、「小倉屋山本」の本社ビルである。
右:道頓堀川まで南下。上流の新戎橋より大黒橋可動堰を見る。



 

左・右:どうやら可動堰部分は撤去されるようだ。



 

左・右:1930年に架けられた橋なので、デザインが美しい。現代のものとは全く違う。



 

左:「河川敷ではないのか?」と思われるところ、堤防の外側に建っているビル。ゴムボートが置かれているところは一階ではなく地下一階で、直接川に出られる構造である。
右:大黒橋を下流左岸から見る。



 

左・右:旧西横堀川と道頓堀川の合流点に建つ、川西湊町ビル。このサイトでは二度目の登場か? このビルも「河川敷に建っている」ので、地階は船舶用の円形防水窓が使われていて、それを活かした喫茶店「珈琲艇キャビン」になっている。1989年頃、当時サンケイスポーツに連載していたフォトコラム「タウン不思議発見」の取材で訪れたことがある、懐かしい店だ。実際港湾局の認可を得た正規の船着場なので、自家用船で乗りつけることも可能だとか。このリバーウェスト湊町ビルはモダニズムスタイルだが、1935年だから戦前の近代建築である。




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