京都篇其の拾六(鴨川をどり等)



 

左:2007年5月12日の写真から。四條烏丸交叉点の故・三和銀行京都支店である。かつてこの交叉点は三菱銀行、富士銀行、三井銀行、そして三和銀行と様式建築がずらり並んでいて壮観だったのだが、所有者が全て守銭奴高利貸しだったことが不幸であった。いまやすべて破壊しつくされて、跡形もない。そしてこの歴史的文化的景観の保全について、行政は何一つ手を打たなかったのだ。⇒
右:同じく三和銀行京都支店のオーダーを見上げる。戦後物件ではあるが、見事な様式建築であった。旧三和銀行は比較的古いものを大切にしていたのだが、邪悪で愚劣な死の商人以外の何ものでもない暗黒三菱財閥の魔手に墜ちて以来、所有する文化財建築の大半が破壊されてしまった。



 

左:故・三和銀行の見事な柱頭飾り。一等地なんだから、銀行業務を終了してもホテルにでもすればよかったのだ。三菱など所詮高利貸し風情、知能というものが全くないのだろう。守銭奴め。
右:新緑に映える故・三和銀行京都支店。関西資本三和が東夷三菱に侵略された結果が古都京都の文化財の破壊である。戦後、日本も朝鮮半島やドイツのように分割統治されたほうがまだましだったんじゃないかと思える。少なくとも西日本の文化財は東京之土人に蹂躙されることはなかっただろう。



 

左:四條烏丸交叉点では三菱銀行京都支店も破壊され、新築工事の最中であったが、「たちの悪い冗談」としか思えない標語がその工事現場の壁面に書かれていた。唖然とするほかない。
右:「申し訳程度」に玄関部だけ保存したこの悪趣味極まりないラブホテルのようなビル、既に完成し、京都の都心のど真ん中でその醜態を晒している。



 

左:現役で頑張っているヴォーリズ建築、大丸京都店(きょうとみせ)の天井飾り。
右:1928年、烏丸通に面して落成した大丸京都店はアール・デコの華麗なる百貨店建築である。



 

左:竣工当時の内装をよくとどめている東側階段。
右:残念ながら、烏丸通に面した正面ファサードは高度成長期に馬鹿な改変が施され、見る影もない。東側、高倉通りに面したファサードのみ旧状を留めている。



 

左・右:大丸京都店東側ファサード。



 

左・右:大丸京都店。



 

左:大丸京都店。
右:高倉通りを挟んで大丸の向かい側(高倉四條上ル) 。「大極殿」は明治18年創業のカステラで有名な老舗和菓子店である。



 

左:この界隈は元々商業地なのだが、町家のほかにこういう邸宅建築も残っている。高倉通沿いである。町家のほか、醜い雑居ビルやマンションが目立つ。これが京都の現状である。
右:高倉蛸薬師下ルにある、古い煉瓦蔵を利用した店舗「田中屋」。大正以前であろう。



 

左:高倉通を北上。純和風の土蔵と洋館風蔵が並んでいた。いずれも大正〜昭和初期であろう。
右:六角富小路西入ル(角)の老舗文具店、「金翠堂」。これも大正〜昭和初期と思われる。



 

左:姉小路東洞院西入ルの老舗和菓子店、「龜末廣」。文化元年創業、宮中や二条城に菓子を収めていた名店である。
右:建築的には大正〜昭和初期と思われ、洋館を附設しているのだが、その洋館がファサードに千鳥破風を持つ和風意匠なのである。



 

左:京都文化博物館附近の街並み。折角町家が連なっているのに、屹立するマンションが景観を台無しにしている。
右:富小路を歩いていると昼間も点燈された現代的デザインのガス燈がある。



 

左:何じゃいなと思ったら、京都瓦斯発祥の地であった。地区協定を「式目」と名づけるなど洒落ている。
右:姉小路麩屋東入ルにて。画材の「彩雲堂」、蕎麦ほうるの「河道屋」と老舗が並び、景観的にも美しい。しかし背後のマンションが邪魔をする。



 

左:「河道屋」全景。若干の改築はあるが、概ね古い町家が保たれている。
右:これも姉小路にて。繁華街が近いので、町家を利用したこのような新しいお店も増えている。



 

左・右:寺町商店街に入る。アーケードのためファサードを見にくいが、寺町姉小路下ルのこの「其中堂」は仏教書の専門店であり、八木清之助の現存する唯一の作品で、1930年築のビルヂングである。



 

左:更に姉小路を東進。古い長屋型商家が連なっている。
右:凝った欄間を持つ商家。



 

左:同じく。「東京生蕎麦」と書かれているが、残念ながら廃業していた。
右:ここから同年5月18日撮影。先斗町歌舞練場で「鴨川をどり」を鑑賞した。1927年、劇場建築の名手木村得三郎の作品である。⇒



 

左・右:いずれも幕が上がる前の場内。鉄筋コンクリートの豪壮な建築だが、劇場としては木造の祇園甲部歌舞練場よりかなり小さい。



 

左・右:感度を上げて撮影。



 

左:畳敷きの桟敷席は少ない。
右:階段室の吹き抜けには近年まで古式エレベータがあったのだが、残念ながら撤去して物置にされてしまった。



 

左・右:エレベータこそ新しくされてしまったが、館内は概ね創建当初の趣を残している。



 

左・右:鴨川に面した露台。景色がいい。



 

左・右:天井の漆喰装飾もよく残っていた。



 

左:玄関ホールの飾り龕。
右:凝った造りの扉。



 

左:玄関ホール。
右:外観は既にこのサイトでも何度か紹介しているので、今回はこの一枚のみ。鬼面の瑠璃瓦である。



 

左:京都でやたら増えているチェーン店。非常に下品でけばけばしい彩色で風俗店にしか思えない。「京都らしくない」以前のセンスである。
右:河原町三條交叉点南西角の看板建築。建物自体は健在だが、一階の老舗飴店は移転してしまい、つまらないチェーン店が後に入った。



 

左:河原町三條の商店街にて。ちょっと可愛かった。
右:ゼセシオンスタイルの美しい階段は、三条通のSACRAビル



 

左・右:この二枚は5月19日の撮影。場所不明だが、貼紙に「済美公園」とあるから大阪市北区中崎町界隈のようだ。



 

左:ここから同年5月27日の撮影。フォルダに入ってる順番に並べるが、どうも撮影順ではないようで、ちょっとおかしい。これは一乗寺附近の疎水分線である。
右:この日は母校同志社から一乗寺まで歩いた。これは同志社女子大の北裏附近。この界隈、洛中屈指のお屋敷町で、このように古い洋館もたくさん残っていた。



 

左:塀も煉瓦積みでハイカラであった。
右:大正二桁〜昭和初期辺りであろう。



 

左・右:同じお宅。木々が茂っていて全景は撮りにくかった。



 

左・右:昭和初期に設置された、仁丹将軍の町名表示板。名無しの通りに面しているのだが、そのせいでかなり離れているのに「寺町今出川」扱いとなっていた。



 

左:人が住んでいる気配はなかったが、素敵な煉瓦の門。
右:戦前の洋館附設住宅。



 

左:右手奥は賀茂川の堤防。出町橋より上流なので、「鴨川」ではなく「賀茂川」となる。賀茂川沿いはこの界隈でも特に豪壮な邸宅が並んでいる。
右:そこで出会った可愛い黒にゃんこ。悠然と撫でさせてくれた。飼い猫かもしれない。



 

左:可愛いのでもう一枚。
右:五月の河原は気持ちよかった。北山の山々が見えている。



 

左:こちらは東山方面を望む。大文字山が見えている。
右:奇声を発しながら鼓の稽古をするおっさん。能楽師だろう。



 

左:めっちゃ逆光だが、綺麗な写真なのでそのまま掲載。賀茂川べりの豪邸である。
右:元は妾宅だったという、電通対比寮。大変立派な邸宅だが、電通社員なら泊まれるとのこと。門前の通りは賀茂街道、つまり賀茂川右岸堤防道路である。よってこの写真は堤防上より撮影。



 

左:その北隣も企業の保養所となっているようだ。
右:奥が電通対比寮。すごい豪邸が並んでいることが判る。



 

左・右:西日が差す自分となり、写真が撮りにくいこと甚だしいが、出雲路橋の西詰に敷地内に二つの洋館が並んでいる素敵なお屋敷、常岡邸があった。スパニッシュスタイルだし、ヴォーリズかもしれない。



 

左:常岡邸。二棟並んでいるのが判る。
右:その並びの数寄屋邸宅。



 

左:ここも現役個人住宅らしい。門の扁額には「東園」と書かれている。
右:出雲路橋。山は東山最高峰の比叡山。雲が綺麗である。道は鞍馬口通り。



 

左:出雲路橋から見た賀茂川と大文字山。
右:出雲路橋から上流を望む。街中とは思えない景観である。



 

左:出雲路橋上流側東岸にて、コギを散歩させる人。
右:出雲路橋を渡りきると、左京区下鴨地区に入る。見えにくいが、右側に古い散髪屋が。



 

左:現役で営業中なのが嬉しい。
右:昭和に入ると、洋館附設文化住宅にもモダニズム風が登場する。



 

左・右:北大路に面して、高野カトリック教会がある。聖堂、司祭館とも1940年の建物。モルガンお雪、金日成に殺されたバーン司教ゆかりの教会である。



 

左:聖堂と可愛らしい鐘楼。
右:暖炉があるらしく、煙突が見える司祭館。



 

左:聖堂正面。
右:高野橋から見た高野川上流。奥は比叡山。



 

左・右:最後に糞暑い最中、8月21日撮影分で締める。日本ハリストス正教会教団西日本主教座カテドラルである京都ハリストス正教会生神女福音大聖堂である。なお、日本正教会オフィシャルサイトに「ニコライは奉神礼にふさわしい文体として漢語調の文語体を選びました。私たち現代の日本人には難解ではありますが、聖神の恩賜を伝える媒介として最善の言葉が選択されています。」と記されていた。全くその通り、口語の讃美歌なんで全廃すべきである。



 

左:京都ハリストス正教会玄関車寄せ。非常に珍しい木造ビザンチン様式の教会堂で、小さいが正教会西日本主教座大聖堂(カテドラル)である。但し教区専任の主教は空席で、全日本府主教兼東京大主教兼西日本主教として主代ダニイル郁夫猊下が兼務している(2009年現在)。
右:柳馬場通の門前から正面ファサード全景。松室重光の設計で20世紀最初の年、明治34(1901)年に献堂された。



 

左・右:柳番場通からの景観。マンションが実に邪魔。



 

左・右:柳番場二条角にある、洋館食料品店「長谷食品」。僕が学生のころからずっとこの姿である。スタイルから見て、大正後半ぐらいの、元々は住宅だったと思われる。



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