骨董建築写真館 京都篇・其ノ四〜千と千尋のミニオフ会の巻
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京都篇・其ノ四〜千と千尋のミニオフ会の巻

二千一年十一月二十四日、共催のオフ会「千と千尋のミニオフ會 in Kyoro」が開催された。その時の様子を写真つきレポートで紹介したい。

 

左:西木屋町四條下ルにある、日本電信電話公社(電電公社)時代の電話線マンホール。右から左に「話電」と書いてあるので、敗戦後に電電公社が成立してごく初期のものと思われる。ほかでは見たことがないので、かなり貴重なのではないだろうか。右下に写っているのは僕の右足ね。
右:それより古い、逓信省時代時代の電話線マンホール。場所は上のマンホールのすぐ近くである。当然文字は右から左である。戦前のものと見てほぼ間違いないであろう。この逓信省時代のマンホールは今でも全国各地で見ることができる。

 

左:逓信省時代のマンホールの刻印部アップ。以上は西木屋町四條下ル付近にて撮影。
右:西木屋町四條下ルの庶民派老舗旅館「花屋」と、その一階に間借りしている洋食屋「コロナ」。

 

左:「花屋旅館」を裏側の高瀬川対岸から見る。木造三階建ての実に素敵な建物。
右:玄関脇にかけられた電話番号。京都市内の市内局番が一桁なのだから、相当大昔の代物である。

左:西木屋町通に沿って並ぶ古い京町家。左端、黄土色の暖簾は伯爵行きつけのヘアサロン「ブランバトゥー」である。建物の裏側はすぐ高瀬川という絶好のロケーション。
右:「ブランバトゥー」の入口を正面から撮影。

 

左:木屋町通で発見した、典型的な京の路地(ろうじ)。観光化されていない、生活臭の漂う空間である。
右:今回のオフ会の集合地点、四條河原町高島屋に寄生するが如くへばりついている小振りな近代洋風建築。大正末〜昭和初期のものであろう。

 

左:下京區西木屋町四條下ル、かつては旧制第三高等学校や旧制同志社大学予科などの旧制高校生が屯したという著名な老舗喫茶店(1934年創業)、「フランソア」(登録有形文化財)。しかしこの日はガイドブックを持った観光客が多かった。秋の三連休の中日だったから当然か。
右:桜紅葉の美しい高瀬川。

写真の順番が前後しているが、四條河原町高島屋前に集合し、西木屋町を高辻まで下がり、木屋町松原で京の目的地「ザ・リバー・オリエンタル」を外側から見、松原大橋を渡って祇園宮川町の街並みを散策する、という探検ルートであった。

  

左:木屋町松原上ル、今日の目的地である旧「鮒鶴」旅館のすぐ北側にある、大傳ビル。おそらく大正末〜昭和初期辺りに、当時としては超モダンなビルとして建てられたものと思われる。
中:松原大橋を渡り、祇園宮川町の花街に入る。かよう風情のある路地が多い。京都には祇園甲部(ぎおんこうぶ)、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町、祇園東、上七軒の五花街がある。
右:木造三階建ての重厚なお茶屋。しかしよく見ると「売物件」の看板が・・・。この建物の価値のわかる購入者の現れることを願うのみである。

  

左:このように、伝統様式で新築される木造のお茶屋もある。
中:玄関の千鳥破風が特徴的なお茶屋。
右:商家の裏手に、洋館風の三階建ての蔵を発見。ブロンズの雨樋、総タイル張りで、昭和戦前期のものであろう。

 

左:以前にも紹介しているが、祇園のシンボル、祇園甲部歌舞練場(彌榮會舘)。最近エレベーターが新型に付け替えられるなど無神経かつ無粋に改造されてはいるが素晴らしい近代和風建築で、国の登録有形文化財である。詳細⇒<増補>
右:正面玄関の硝子戸。旧字体の金文字がいい味わいである。

 

右:祇園甲部歌舞練場和館北棟の玄関。
左:同じく祇園甲部歌舞練場。これは中棟と南棟である。このように祇園甲部歌舞練場は洋館と三つの和館が連なった壮大な建造物なのだ。内部は⇒<増補>

 

左:伯爵が京都に行く時には大抵立ち寄る、祇園の老舗喫茶店「たんぽぽ」。この日も参加者全員で休息した。
右:八坂神社の境内にて。東山三十六峰の紅葉が美しい。

 

左:新築同様に修復された本殿。重要文化財ではあるが、ここまでぴかぴかにされては風情に欠けると思う(>_<)。
右:圓山公園の池と噴水と紅葉。

 

左:圓山公園の隣にある、「レディースホテル長樂舘」。明治期に煙草王村井吉兵衛の迎賓館として建てられた素晴らしい西洋館である。竣工は1909(明治42)年、設計は米人T.M.ガーディナー。
右:二階の窓から覗く、瀟洒な天井レリーフ。

   

左:浄土宗の総本山、華頂山知恩院の山門。世界最大の木造門である。
中:門前で見つけた、旧字体で「排気弁」と書かれたマンホール。
右:長樂舘横の坂道を、二人の舞妓を乗せて登ってくる人力車。

 

左:大蔵財閥の創業者、明治の政商大倉喜八郎男爵の別荘として伊藤忠太東京帝国大学教授が建てた祇園閣(銅閣)。薙刀鉾をモチーフにした奇抜な建築である。詳しくは京都篇・其ノ参参照のこと。
右:参寧坂の土産物屋のウィンドウで見つけた、伯爵好みの置物。といっても伯爵はジャニ専であり、老けデブ専というわけではない(^_^;)。

 

左:参寧坂の老舗料亭「坂口」が業態変更して誕生した「青龍苑」。
右:その内部。庭園内に離れが点在している。

 

左:以前にも一度紹介しているが、京都帝国大学建築学科創始者武田吾一博士の設計になる大正期の邸宅、旧松風邸。現在は伯爵がこの世でもっとも嫌いな食べ物である豆腐料理専門店「清水順正」になっているが、饂飩や蕎麦などのメニューもあるので伯爵も入れるのだ。参照 京都篇・其ノ参⇒<増補>
右:同じく旧松風邸。ステンドグラスも美しいサンルーム。

 

左:旧松風邸の古風なシャンデリアと天井装飾。
右:清水寺が夜間ライトアップ中であったため、清水坂はえらい人手J(-_-;)。結局境内に入るのを諦め、祇園に向かう。

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