神戸篇U



 

左・右:超久しぶりに神戸篇の追加である。2009年1月27日、月刊「あまから手帖」に連載している写真コラム「『食と建築』クロニクル」の取材で、名門クラシックホテルである六甲山ホテルを訪ねた。まずは食事である。お昼から本格的なフレンチを頂いた。同ホテル80周年記念メニューということもあり、「ヌーベルキュイジーヌ」ではない、どっしりとした本来のフレンチであった。



 

 

 

上六枚:いずれも当日のランチより。



 

左:六甲山最高峰は六大都市神戸市内にあって標高931メートル、このホテルも標高800メートル以上という高地にあるので、一月末のこの頃は日中でも氷点下、とても寒かった。あちこちに雪が残っている。
右:新館最上階のレストラン「レトワール」よりの眺望。六甲山は大別荘地なので、ひっそりと古い洋館がたくさん残っている。この写真の中央にも赤い屋根の洋館が見える。



 

左:同じ洋館をズームアップ。光学三倍ではこれが限界だった。
右:築80年となった本館ロビーの暖炉。



 

左:残念ながら電気に変えられていた。しかしスクラッチタイル張りで、いかにも昭和初期を偲ばせる暖炉である。
右:ロビーはこのように重厚な造り。



 

左:暖炉を中心にするロビー。実にいい雰囲気。
右:本館はエレベータがないが、階段も重厚な造りである。



 

左:往時の六甲山ホテルを再現した砂糖細工。
右:旧館(本館)正面ファサード。実はこの玄関、現在は使われていない。



 

左・右:木が大きく成長していて、全景を撮りにくい。しかし、やはりこの玄関から入れるようにして欲しいものだ。



 

右:ハーフチンバーだが、英国のチューダー様式というより、スイスの山荘のイメージである。
右:正面道路より。



 

左・右:これも道路より。なお、玄関のオーダーは下のほうが細い独特のもの。横浜市大倉山記念館プレ・ヘレニズム様式を思い出させる。



 

左・右:プレ・ヘレニズム様式と思しき玄関のオーダー。



 

左:ということで、ようやく建築データを記載する。設計者は古塚正治で、竣工は1929年である。文化庁の文化財ではなく、経済産業省の近代化産業遺産に認定されている。
右:再度内部に入る。すっきりとした階段。



 

左・右:三階の「旧館ライブラリー」。阪急の創始者にして「私鉄の父」である逸翁・小林一三は池田に豪邸「雅俗山荘」を構えていたが、別荘は持たず、毎年夏の二ヶ月ほどをこのホテルで過ごした。このライブラリーは当時、逸翁の執務室に当てられていたそうである。



 

左・右:天井は総ステンドグラス張り。ほぼ往時のままに保たれた静謐な空間は、時間が経つのを忘れさせてくれる。



 

左:美しい壁の照明。
右:カーテンレールも無骨な古いものであった。



 

左:六甲山ホテルに宿泊するなら、是非とも旧館にしたいものだ。
右:骨董物のソファー。



 

左:本館の裏側。電気化された暖炉の煙突の外側に、更にストーブの煙突が追加されている。
右:とにかく寒かった。何しろこの取材のあと、風邪を引いてしまったのだ( ゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒゴッ!!!ゴホッ!ゴホッオエェェェー!!!



 

左:ホテル裏には、ホテルのレストランで使う野菜を育てる畑があった。
右:ここからは2009年6月5日の撮影である。このページを作成しているのが同年6月20日なので、同月中にアップロードということになる。このサイト、古い写真を使うことが多いので、これは異例の早さ(笑)。ともあれ、まずは阪神電車の三宮駅から。三宮駅は大都市神戸の中心ターミナルで、阪神三宮、阪急三宮、JR三ノ宮、ポートライナー三宮、地下鉄西神・山手線三宮、地下鉄海岸線三宮・花時計前の各駅が集中している。



 

左・右:この阪神三宮駅は1933年に地下化された、非常に歴史のある近代土木建築物である。よって柱もスクラッチタイル張りであった。ここのスクラッチタイル、生駒ビルヂング同様釉薬をかけて焼成した珍しいもの。右の写真、写ってるのは阪神電車の車輛ではなく、相互乗り入れしている山陽電車のもの。阪神梅田行き直通特急である。左端にはひそかに龍丸が写っている。



 

左・右:スクラッチタイル張りの美しい柱。しかしこの駅も大改装が予定されているので、失われてしまうかもしれない。



 

左:この日、僕とヒロポンと龍丸の三人は、甲子園駅からこの快速急行でやってきた。近鉄奈良發阪神三宮行、である。3月20日に開業したばかりの新線、阪神なんば線を経由して、近鉄と阪神がつながったのだ。つまり、1435ミリゲージの私鉄の線路が名古屋から姫路までつながったことになる。阪神と近鉄だけでなく、線路としては山陽、阪神、阪急、大阪地下鉄(堺筋線、中央線)、近鉄、京都地下鉄(烏丸線)が全てつながったのである。ということで、この写真は近鉄の車輛。既に折り返しの奈良行表示になっている。相互乗り入れなので、逆に阪神の車輛も快速急行として近鉄奈良まで乗り入れる。
右:いずれ慣れるだろうが、阪神三宮駅に「快速急行 奈良」の掲示があるのはやはり不思議である。



 

左・右:同駅にて。下り線ホームの端から上り線ホーム階段裏側が見える。スクラッチタイル、アーチなど、古風な造作である。



 

左:奈良女子高等師範学校の広告。
右:そして大神神社の広告。いずれも奈良直通運転開始によるものだろう。今までなら神戸で奈良の広告などあり得なかった。



 

左・右:快速急行は三宮止まりなので、更に後続の姫路行直通特急に乗り換えて一駅、元町で下車。そしてトアロードの坂を登り、今日の目的地「東天閣」へ至る。明治27(1894)年、英国人建築家ガリバーの設計でドイツ人貿易商ビショップ邸として建てられたほんまもんの異人館であり、重要文化財に指定されている。



 

左:現存する神戸の異人館として最古のもので、コロニアル・スタイルの木造洋館である。二階のベランダは当初は開放されていた。コロニアル(植民地)様式は、元々熱帯植民地で考案された様式である。従って日本では多くの異人館が、「寒すぎる」としてベランダにガラス窓を後付し、このように室内化しているのである。
右:中華料理店となっているが、違和感がない。



 

左・右:ということで、三人で個室に入り、豪華に午餐会となった。じつはNHK文化センターで僕とヒロポンが担当している講座「関西モダン建築とおしゃれランチ」の下見だったのだ。東天閣は格式の面でも、第一楼神仙閣とともに神戸の中華料理のビッグスリーである。



 

左・右:当日の料理。



 

左:デザート。
右:玄関ホールの天井装飾。



 

左・右:有名な神戸回教寺院。丁度金曜日だったので、界隈を在神ムスリムがいっぱい歩いていて日本とは思えない光景であった。東京回教寺院が建て替えてしまったので、日本で唯一の伝統あるモスクである。1935年、スワガー建築事務所の設計で建てられた。神戸にはユダヤ教のシナゴーグ、ジャイナ教寺院、關帝廟など諸宗教の寺院がたくさんある。神戸ハリストス正教会も白系ロシア人信徒が多いので有名である。華僑基督教会などもある。ところでスワガーってなんとなくインドっぽい名前のように感じるし(印僑が多い神戸だからなおさらのこと)、実はチェコ人でカトリック横浜司教区カテドラルなどを建てた人物なり。



 

左:下って三宮高架下商店街へ。元々闇市時代の雰囲気を濃厚にとどめる商店街だったのだが、すっかり若者向けお洒落タウンと化してしまった中、この薬局など数軒は往時の雰囲気をとどめている。この子、硝子ケースに入れてあげて欲しい。
右:神戸市には誰でも自由に貼紙できる市営の掲示板がところどころにあるのだが、これは元町駅前にて発見。このように痛々しいデムパなものをよく見かけるので、面白い。



 

左:元町駅前にある、香港チックな巨大雑居ビル。
右:元町高架下商店街に入ると、三宮と違って古い雰囲気がまだまだ残っている。



 

左:花隈の高架下から見たモダン寺
右:近づくとこんな感じ。浄土真宗本願寺派神戸別院善福寺である。建て替えられたのだが、かつてのモダン寺の意匠で作られていて、通称もモダン寺が受け継がれている。



 

左:モダン寺正面ファサード。
右:国鉄高架下の住居。関西ではよく見られる。高架も戦前の近代土木建造物である。



 

左:元町高架下商店街。「大人のおもちゃ」と「子供の駄菓子」を並べて売っているすごい店があったのだが、なくなってしまって超残念。
右:闇市時代の雰囲気をとどめながらもこういう店もできている。



 

左:「西日本最大の廃墟」かも知れない、旧ホテルシェレナ。元町通商店街の西端、かつての三越神戸店跡地である。バブル期に、三越の名建築を破壊し、名古屋資本がホテルとは名ばかりの下品な結婚式場を建てたわけだが、超安普請の欠陥建築だったので大震災で大破し、以降長らくこの一等地に廃墟を晒し続けているのだ。
右:元町通りに面した玄関には自販機が置かれている。



 

左・右:本館と東館は既に無くなり、「比較的損傷が軽微」とされるこの西館のみが残っている。「ホテル再開に向けてリニューアル工事中」とされているが、人が出入りしている様子は全くない。



 

左:もしホテルが再開したら、本館がないので、ここがメインエントランスとなるのだろうが、まず再開は無理と思われる。
右:龍丸と撮り合うww。



 

左・右:かつての本館との繋ぎ目。右側が旧本館跡地で、新しく巨大な学生マンションが建てられていた。



 

左・右:元町通りの西端から港に向かって歩くとすぐに、この立派なビルヂングがある。なんと明治建築である。戦災でドーム屋根が失われているのだが、「ファミリアホール」こと旧三菱銀行神戸支店、1900(明治33)年に曾禰達蔵の設計で建てられたもの。現在は子供服の名門、ファミリアの本社となっている。僕ら阪神間の人間にとって、子供服といえば当然ファミリアである。僕も子供時代はファミリアの服を着ていた。ミキハウスなどあり得ないのである。



 

左:このサイトでは二度目の紹介になる、元町通り六丁目の松尾ビル。現在はドラッグストアとなっているが、元々は大正14年に小橋呉服店として建てられたもの。設計者は不詳だが、大正期のものとしてはかなり大規模で、かつモダンな造りである。元々店舗は一階のみで、上階は貸事務所だったのだろう。
右:よって貸室部の入口は正面ではなく、脇を入ったところにある。アーケード街なので、正面ファサードは見えない。これは西側側面。



 

左・右:西側の意匠。表現主義的といえよう。右の写真下部、サイデリアで覆われてる部分が貸しビル部分の玄関となっている。



 

左:裏に回る。裏面に当たる南側ファサードは更にあっさりしていて、最上階のアーチ窓がなければ戦後のものにすら見えるだろう。左側、窓が斜めに並んでいるのは主階段室である。
右:松尾ビルとひびだらけのホテルシェレナ西館。



 

左:主階段だが、かなり狭い。真ん中の吹き抜けがエレベータシャフトになっている、古風なtypeである。
右:そのエレベータが、このように蛇腹扉の完全手動式古式エレベータである。大正建築である!! 現役で動いているものとしては、我が国最古だと思われる。



 

左:二階のインジケータ。半円形針式(時計式)である。
右:二階の蛇腹扉よりレンズを突っ込んで、シャフト内を撮影。一階に停止している籠の天井が見えている。



 

左:一階に下りて、エレベータを見る。籠扉、外扉とも蛇腹戸である。
右:同じく。籠内の意匠もよく見える。



 

左:籠の敷居は内外ヱレベータ株式会社とある。
右:なぜだかカレンダーがかけられた籠内。



 

左:手動エレベータなので、このノッチ(ハンドル)一丁で操作するのだ。左のUがアップ、右のDがダウンである。恐らく自動着床装置もなく、ぴったり停めるのが大変な完全手動式だと思われる。
右:ハンドルの上の、四つ窓が開いてる箱が、呼び出し装置の跡である。今はどうやら機能が生きていないようだが、かつては各階で呼び出しボタンを押すと、ブザーとともにこの小窓に合図が出て(点燈するか色が変わるか)、何階で呼んでいるのかが判る仕組みになっていたのだ。



 

左:籠の天井付近。デパートやホテルではないので、簡素である。
右:ハンドルをもう一枚。小型なので、扉に対して直角に設置されている。



 

左:このスイッチ類、大正時代のままのようだ。
右:トイレの扉もオリジナルっぽい。



 

左:二階には名門画廊「トアロードギャラリー」が入っている。
右:柱のデザインは高松港の県営桟橋に通じるものであった。



 

左:二階の廊下。扉など、残念ながら変えられているものも多いようだ。
右:元町通りの奇妙な八百屋。裏手に回ると、アーチ窓などある。戦後だとは思うが、古い洋館である。



 

左:裏側から見た松尾ビルとホテルシェレナ。
右:古い煉瓦塀が残されていた。目地が汚いのに龍丸が驚いていたが、これは裏側だからである。



 

左・右:元町通りと栄町通りの間の通りにある、古い風呂屋さん。残念ながら廃業している。



 

左:三宮一貫楼にはしょっちゅう食べに行くのだが、そこと暖簾分けなのか一族なのか、ここは元町一貫楼。ネオンが素晴らしく、夜は特に美しい。
右:登録有形文化財、フットテクノビル。正面は栄町通りに面している。震災後、近代建築のほとんどが失われてしまった栄町にあって、貴重な存在である。いささか改修しすぎだが、ともあれ大切にされている。



 

左:フットテクノビル。1921(大正10)年に建てられた旧帝国生命館である。



 

左:フットテクノビルの銘板。
右:同じ並びの日綿ビル。これも相当古い。戦後かもしれないが、しかし日綿ダンスクラブは半世紀以上の歴史があるとのことだから、戦後としても敗戦直後には建てられたのだろう。



 

左:日綿ビル入口。ヒロポンと龍丸が写っている。
右:その向かい辺りにあったイタリア料理店だが、「TERASU」というローマ字店名だったσ(^◇^;)。多分、判っててわざとやってはるんだろうけど、もうすぐ廃業との貼紙が( ̄□ ̄;)!! 洒落の解らんやつが多かったのかもしれない。



 

左・右:近代建築が激減した栄町通りにあって、最近誕生した「偽レトロ」建築。伝統ある正統仏教の宗派である融通念仏宗とは何の関係もない新興宗教、念仏宗無量寿寺の神戸別院であった。この宗派、京都の嵐山に本部を置き、兵庫県加古川市に総本山無量寿寺を建てているのだが、その総本山が物凄い巨大趣味で笑える。とにかくでかい建物と物凄い数の像などを自慢するの、こういう宗教の特徴である。



 

左・右:この典型的な「辰野式」の建築は、もちろん辰野金吾の作品である。歴史は古く、明治41年に第一銀行神戸支店として建てられたもの。僕が近代建築探訪を始めた頃は大林組神戸支店になっていて、その後毎日新聞神戸支局が入居したりしたが、実は震災で崩壊、現在は外壁だけが地下鉄海岸線のみなと元町駅になっている。塔のドームもこんなスケルトンであったはずはない。震災後のものである。



 

左・右:西側から見たところ。



 

左:内側はこんな感じ。
右:塔の部分を下から見上げる。



 

左:塔の間下の部分。
右:この重厚な外観から、こんな中身は想像できまい。



 

左・右:北側から見ると、こんな感じ。南と西の壁をコンクリートで裏打ちして、スチールの骨で支えているのである。駐車場にするぐらいなら、もっとちゃんと復元すればいいのに。



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