2002年4月末、別府旅行から帰った翌日には、今度は四国高松に旅立った。16歳のメル友レイナに会うためである。一泊二日の日程でで独立して一章を設けるほどの写真はないので、第27章に付属する形でその折の写真を紹介したい。
左:ジャンボフェリーの甲板から見た明石海峡大橋。確かに下から見るとものすごい橋であった。橋脚右下に2002年6月19日より取り壊し工事の始まった舞子タワーが見える。
右:高松港の県営桟橋ビルヂング。高松市内では大変希少な近代洋風建築であるのに、既に閉鎖されて廃墟と化していた。近々取り壊される様相である。人口でいえば四国最大の都市は伊予の松山市であるがそれは同市の市域が矢鱈と広いためであって、実際には四国一の都会はこの高松市である。高等裁判所をはじめ国の機関の四国における統括的部門、大企業の四国における統括的支社・支店なども殆どが高松市に置かれている。然るに高松市という街は歩いていて明治〜昭和戦前期の近代建築が非常に少ない。戦災の影響もあるのだろうが、寂しいことであった。中心部のアーケード街に沿って非常に楽しそうな狭い路地が沢山あったのだが、風俗街と化していて殆ど散策できなかったことも残念である。
左:県営桟橋を側面から見たところ。石張りではなくセメント洗い出し仕上げで、装飾の薄い、実用的な建物だが、希少な近代洋風建築である。恐らく大正後期のものか?
右:柱頭の装飾。
※2004年4月8日追記:竣工は1927(昭和2)年と判明。設計者は不詳。リノベーション計画もあるようだ。⇒<増補>
上:県営桟橋を海の側から見る。このように裏はすぐに埠頭になっているのだ。かつては宇高連絡船の発着点として賑わった高松港周辺であるが、現在JR高松駅の建替えと周囲の大再開発事業が進められつつあり、昔ながらの情趣はどんどん失われつつある。なお同市の一番の都心繁華街はこのJR高松駅及びそれに隣接する琴電高松築港駅の周辺ではなく、琴電瓦町駅周辺である。
左:閉鎖され、廃墟と化した県営桟橋ビルヂングの内部。円柱の柱頭装飾が外壁の柱頭と同一の意匠であることに注目。
右:カメラを頭上に掲げての撮影であるので、傾いていることは気にせずに(^_^;)。天井の高い実に立派な空間である。
左:これも県営桟橋ビルヂングの内部である。
右:細部の装飾も時代を感じさせる。背後の巨大ビルは全日空ホテル。
上:高松城の櫓と門。県営桟橋の真向かいが高松城である。この城は水城で、かつては直接海に面していた。堀の水は今でも海水で魚が泳いでいる。従ってこの門は海に向かって開いており、直接船で乗り付けていたのである。
左:琴電の片原町駅と高松築港駅の間の踏切前にある廃屋。軒から崩れ始めている。かなり交通量の激しい道であった。
右:琴電片原町駅近くにあったビジネスホテル。よく見ると上に「24時間営業」と書いてある。ホテルなんだから24時間営業は当たり前だろうと思うのだが、他にもそう表記しているラブホテルがあった。香川県では一般的な表現なのだろうか?
上:高松市中心部は長大なアーケード商店街が縦横に発達している街なのだが、これは片原町商店街で見つけた不思議な町屋。何しろ二階の壁が一面銀色のパネルで覆われているのだ。一枚一枚に「SHARP」と書かれている。
左:讃岐饂飩を食べるレイナ少年。顔出し不可なので不気味に加工してみた(^o^)。
右:ラーメン屋に、矢鱈大仰な看板が出ていた。
左:高松市では極めて珍しい戦前期の近代洋風建築、高松大和生命舘。名古屋大和生命舘同様のアール・デコ意匠が美しい。
右:玄関上部の意匠に注目。
左・右:外観は改装の手が入っているようだが、玄関の扉は古いオリジナルが残っている。
左:内側には「引」と書いてある。
右:入ったところには古風な注意書きが。「當舘内にて押売寄附等は御遠慮下さい」と、押売以外全て旧字体で書かれている。そもそも“押売”もすっかり死語、サザエさんの中ぐらいしかお目にかからない言葉となった。
左:大正〜昭和初期のビルヂングによく見られる、各階に投入口があるシュート式の郵便ポスト。
右:トイレの入口のドアも年代物だった。
左:人造大理石の手摺、タイル張りの階段。
右:階段を下から見上げる。見事な造形美である。
左:大和生命舘から道を挟んで真向かいに、旧警察署庁舎の玄関部と敷石などを僅かに申し訳程度に残したモニュメントがあった。こんな残し方では殆ど意味がない。
右:高松駅近くの商店街で見つけた、ものすごい名前の喫茶店。思わず「地球は滅ぶ〜♪ サリンで滅ぶ〜♪ ハルマゲドンで滅ぶ〜♪ It's
a オ○ムオ○ムワールド♪」っとディズニーランドのテーマ曲の節で口ずさんでしまった(^_^;)。
左:高松琴平電気鉄道(琴電)の起点、高松築港駅。特に面白い駅舎ではなかったが、左の石垣は高松城である。
右:たまたま停車していたレトロな電車。琴電の電車全てがこんな渋いものという訳ではなく冷房付の新造車なども走っていたが、旅人の目にはこういう古強者の方がありがたい。
左:走る骨董電車。
右:315形よりは若干新しく、これは戦後派らしいが、それでもかなり年季の入った電車。冷房はあとからつけられたものであろう。形からして阪神電車のお古か? 琴電はゲージが1435oなので、阪神のお古が走っているのである。
左:帰路、高松東港にてこれから乗船するジャンボフェリーの「りつりん2」を撮影。
右:船上から見えた、高松市立らしいスケボー公園。沢山の少年たちがいた。
左:瀬戸内海は“海の銀座通”と呼ばれているが、確かにものすごく交通量が多い。小型の内航貨物船、大型の外航貨物船、大型小型のフェリーや客船、タンカー、小さな漁船などが昼も夜も激しく行き交っていて、見ていると滅多に事故が起こらないのが不思議なような気がしてくる。
右:真下から見上げた明石海峡大橋。間もなく神戸港である。