大阪篇'10年撮影分C(富田林寺内町)



 

左:たばき橋本商店。古い町家を美しく使っている。「たばき」というのは元々が煙草屋で、初代喜兵、二代目喜八と「喜」がつく名前だったことから、「煙草屋の喜兵、喜八」を略した「たばき」が屋号となったとのこと。
右:左が北越井家住宅、右は本家の越井家住宅。代々平尾屋庄兵衛を名乗った材木商である。



 

左:同じ位置から同じアングルで、露出を変えて撮影。
右:北越井家側から、本家の米蔵群を撮影。桑名の六華苑(東諸戸邸)も材木商で、大変な豪邸なのに蔵が街路に直接面していたが、ここもそうであった。



 

左・右:北越井家住宅。



 

左:両越井家の間から、PL塔を見る。
右:何故だか牛乳箱が二つ設置されたお宅。



 

左・右:越井家住宅。現存する町家としては富田林寺内町では最大と思われる。



 

左:じないまち交流館、寺内町センターなど市が経てた非常にレベルの高い新築町家があったが、なんと民間の建売にもこんなものが。なかなかのレベルで、しかも一箇所ではなく何箇所もあった。大したものである。COM計画研究所の作品。



 

左:越井家住宅の南側。こちらが正面。
右:越井家の説明板。



 

左:越井家正面ファサード。絞りがほぼ開放なので空が飛んでいるが、実は既に相当薄暗いのでぶれている。
右:これも町家風建売住宅。かなり水準が高い。



 

左:同じく。
右:残念ながらもう廃業しているらしい、「東ます兵食堂」。重厚な町家だった。



  

左:「万里春」という地酒も、今はもうないらしい。
右:「東ます兵正面



 

左・右:その並びにあった邸宅。町家ではなく、数奇屋風であった。



 

左:その附近から「東ます兵」方面を振り返ると、下り坂になっている。寺内町が防備性に優れた高台に築かれていることが解る。
右:寺内町にあるのは和風建築ばかりではない。登録有形文化財の中内眼科醫院は1924(大正13)年頃、国分銀行として建てられた設計者不詳の銀行建築である。三和銀行富田林支店を経て、委員に転用されている。



 

左・右:いよいよ暗くなってきたので、撮るのが大変である。



 

左:中内眼科の入口に掲げられた登録有形文化財の標章。
右:そのすぐ南側にあった黒漆喰の町家。



 

左:同じ町家の正面。
右:分譲中の町家風建売住宅。



 

左・右:町家風建売住宅群。なかなかいい出来である。



 

左:新築の建売住宅でここまでやってくれたら文句はない。
右:COM計画研究所、更に町家ガーデンハウスを建てるようだ。



 

左・右:すっかり暮れてきた頃、もう一度石川を見下ろした。



 

左:未舗装の私道。たくさんの古い長屋などが並んでいた。
右:手入れのよくないお宅だが、いい味わいである。天水桶が見える。



 

左:猫様である。
右:レトロな天水桶



 

左:夜の寺内町。
右:このお店オリジナルブレンドのお香があるらしい。



 

左・右:ライトアップなどは殆ど行われていないのだが、夜の寺内町も美しかった。ただしかなり静か。



 

左:明るいうちに一度撮影していた、廃墟になっている近代数奇屋風邸宅。勿体ない。
右:二軒町家長屋。釣具店と喫茶店となっていた。



 

左:手書きの錻力看板。
右:ガミラス星を思い出させるPLタワーの夕景。



 

左:骨董物の門燈。
右:寺内町を出ても重厚な町家が多い。



 

左:移転してもうやっていない自転車屋さん。
右:駅近くにあった古い長屋。



 

左:もう閉まっていたが、駅前には観光案内所もあった。
右:駅前の三階建て看板建築。



 

左:色褪せて殆ど判らなくなっている、三洋電機系月賦信販会社の錻力看板。
右:近鉄長野線。これは河内長野行準急であった。長野線は南大阪本線古市から分岐し、河内長野へ至る近鉄の準幹線で、古市から富田林までが複線、それより先は単線となっている。近鉄の中では旧大鐵に属する路線なので、ゲージは1067ミリである。



 

左:狭いエリアに制服店が二軒もあったのだが、それにしても中学生、高校生に制服を見る店なのにすごい屋号である。名字だろうか? まさか「寝酒」ではあるまいがσ(^◇^;)。
右:これまたすごい屋号の大衆食堂。



 

左・右:昭和な雰囲気がとっても素敵な「ママ美容室」。



 

左:この「カットハウス・スワン」もタイル張りの円柱で結構渋い建築であった。
右:駅前の明治時代の石柱は明治の国威発揚、国家主義的政策によって歴史の英雄にされた楠正成を顕彰するもの。



 

左・右:ということで、富田林駅から大阪阿部野橋駅行直通の準急に乗って、阿倍野に戻り、更に散策した。幾ら検索しても来歴が全く判らない、旧大阪市立阿倍野体育館が売りに出ていた。明らかに戦前のモダニズム建築なのだが。



 

左:体育館の券売窓口。
右:約十億円である。



 

左・右:アーケードが邪魔だが、素敵なファサードである。



 

左・右:コンクリート洗い出し仕上げだが、メダイオンもある。



 

左:なんとも個性の強いディスプレイの婦人洋品店。
右:裏通にて見つけた、渋い煎餅屋さん。「浪花ことばせんべい」は手焼の素朴なものだそう。



 

左:琺瑯製のうんと古い看板、ではないのだが、今時「恩給」の文字を見るとドキッとする。この会社、やはり検索しても出てこなかった。
右:「ナウなファッション」というナウなキャッチコピーがキラキラしているクリーニング店、「クラマエ」。



 

左:昔は下町でよく見かけた路上庭園だが、かなり大規模なものが現存していた。
右:モリソン万年筆販売株式会社。庭園の主である(笑)。個人ではなかった。



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