伊勢桑名篇U



 

左:前章の続きで、2008年12月13日、桑名市を訪れた際の写真で構成する。これは六華苑洋館一階、客間。
右:その部屋の暖炉。



 

左:同じ暖炉。タイルが綺麗。
右:客間の説明。家具は元々この舘にあったものではないとのこと。



 

左:客間に続く食堂の壁紙。
右:食堂。



 

左:ダイニングルームの天井。
右:食堂の暖炉。



 

左・右:それぞれ説明版。トイレの写真は前章に。



 

左:非常に凝った造りのドアノブと鍵穴隠し。
右:とても広い電話室であった。



 

左:一階玄関ホールから主階段を見る。
右:二階ホールの天井飾り。



 

左:塔内、三階への階段。
右:二階の塔の間。左に見えているのが階段の親柱。



 

左:二階トイレ。
右:女中部屋に古いトランクが飾られていた。



 

左:女中部屋には洋間なのに押入れが。さすが日本人と結婚し日本に骨をうずめたコンドル先生である。
右:洋館二階から和館二階へつながっている。



 

左:復元品のようだが、壁の照明。
右:二階寝室。



 

左・右:ここにも和風の押入れ風クローゼットが。しかも襖紙はリバティ調であった。



 

左:二階主室からサンルームを見る。
右:その説明。



 

左・右:サンルーム。確かに物凄く広い。



 

左:天井と暖炉。
右:この舘の主、二代目諸戸清六。パンスネ(鼻眼鏡)の気障な紳士だったようだ。まぁ僕も片眼鏡鼻眼鏡、両方持っているわけだがww。



 

左・右:いずれも二階の暖炉。



 

左:壁紙も照明も美しい。
右:二階ホールの手すり。



 

左・右:再び一階のトイレ。トイレットペーパーホルダーも、タンクの鎖も、全てオリジナルが残っていた。



 

左:トイレの明り取り天窓。
右:母屋から出て、今度は蔵を見て回った。



 

左:黒漆喰の豪華な造り。
右:内部はギャラリーなどとして使われている。この廊下が、上の説明にある「下屋」の部分。



 

左:そして離れへ。
右:離れの照明は和風のものであった。



 

左・右:離れの欄間。このように動く。



 

左:離れから番蔵を見る。
右:離れの窓。



 

左:裏門から外を見ると、普通に現代の住宅地である。阪神間や湘南のような「古いお屋敷が並んでいるエリア」ではなく、両諸戸邸だけが豪邸であった。
右:再び洋館の前を通って、今度は庭園に回った。



 

左:庭園から見た洋館。
右:その奥に和館が接続しているのがよく判る。和館の二階は洋館に続く部分だけで、和館内に階段がないので、上で紹介した写真のように洋館二階から入るようになっている。池泉回遊式の日本庭園なのだが、建物に続く部分は芝生となっている。相当「洋」の要素も取り入れられている。同じ作者の古河男爵邸(古河庭園)との類似性が見られる。



 

左:もう一枚、庭園から見た洋館と和館二階建て部分。
右:西諸戸邸との境界は古い煉瓦塀であった。



 

左:煉瓦塀に沿って、集められた枯葉が積まれていた。これだけ庭が広いと大変であるσ(^◇^;)。
右:西諸戸邸との境界、途中から掘割になる。とても個人の邸宅とは思えない豪壮さである。



 

左・右:庭園の奥から見た東諸戸邸=六華苑。右の写真では、和館が大変に長い奥行きを持っていることが判る。



 

左:掘割越しに見えた、西諸戸邸のお堂。
右:六華苑の池泉。右、石灯籠の向こうが和館で、左には蔵が見えている。



 

左:池泉越しに見た母屋(洋館と和館)。
右:洋館の裏側はこういう風になっている。こちらから撮影した写真はあまりないので、ネット上では貴重な一枚かも(笑)。



 

左・右:木立と掘割の向こうに、西諸戸邸が見える。こちらも重要文化財らしい。とても個人住宅とは思えない、寺院を思わせる建物であった。



 

左:西側の光景。ショッピングセンターなどあって、決して美しいものではない。右の建物は諸戸一族の企業であった。
右:離れの外観。



 

左・右:和館の裏につながっている蔵。



 

左:六華苑内の社。
右:その脇、非常に凝った築地塀。右手に番蔵とそれに連なる御殿が見える。



 

左:社の細部。宮大工の技が冴える。
右:とても小さいが、これが高須御殿。高須藩の御殿の一部を移築したものという。尾張藩の支藩で、城ではなく陣屋を構える小大名であるが、なんにせよ江戸期の建物に硝子障子はないだろうから、移築時に改変されたのだろう。



 

左・右:和館側から見た洋館の塔。



 

左:長屋門を内側から見る。長屋門の中でも大規模なものになろう。
右:門を出ると、すぐに堤防。手前が揖斐川で、宇宙人みたいな茸が並んでいるのが悪名高い長良川河口堰。



 

左:堤防から見た六華苑。高台が全くない輪中だから仕方ないのだが、豪邸の立地としては決していい場所ではない。
右:長良川河口堰。どういうセンスでデザインしたらこうなるのか(-公- ;)。



 

左:揖斐川、長良川の対岸に、富士山型のUFOのような巨大な遊具があって、上ったり下りたりしていた。そして丁度その横に、富士山が一瞬見えたのだが、写真を縮小したら判らなくなってしまった。ともあれ、現代でも見えるのだから、諸戸邸の塔から、往時は晴れればよく冨士が見えたと思われる。地図で見ると「なばなの里」というところらしい。
左:六華苑前堤防から河口方面を見る。蟠龍櫓、「山月」などが見えている。



 

左:電柱広告。諸戸家は今でも桑名で手広く事業を営んでいるようだ。
右:敷地の外側から見た洋館。



 

左:通用門を外側から見る。
右:広大な敷地なのに、何故だか番蔵だけ直接街路に面している。防犯上、敷地の一番奥にあるなら解るが、わざわざ忍び込みやすそうなところに建てるのは何故だろう?



 

左・右:よくある飛び出し注意看板なのだが、「せいぎ」とは何ぞやと吃驚した。別に正義の味方ではなく、桑名市立精義小学校の学区、という意味のようだ(笑)。



 

左:上の右の人形も、裏には「せいぎ」と記されていた。
右:上の電柱広告の諸戸アイサン住拓。



 

左:「サトウ」の「ウ」の字が鳩になっている。
右:外側から見た西諸戸邸。蔦に覆われた瓦葺の塀の奥に御殿が見えているが、とにかく相当に傷んでいるようだ。



 

左・右:この洋館も殆ど廃墟σ(^◇^;)。重要文化財指定を受けているらしいのに、これでは早急なる修復が必要に見える。あまりピカピカにしてしまうのも疑問なのだが、しかしこれではもうボロボロである。



 

左:用途不明だが、琵琶湖疏水工事の竪坑のような煉瓦の構造物もあった。
右:揖斐川から引き入れた掘割の水を更に邸内に引き込むための水門。覆い屋がかけられて修復中らしい建物もある。少しずつ、手入れをしていっているようだ。



 

左:掘割の向こうの石垣の奥に建物が見える。もう殆ど城郭のようである。
右:しかし、西諸戸邸の母屋はこれらしい。豪壮ではあるがあくまで商家の造りだし、しかも町家らしく直接街路に面している。これはあくまで商人として財を成した、初代清六の矜持であろうか。



 

左:このように、母屋の脇に門が設えられている。商売上の客は母屋に、プライベートな客は門から奥へ通されるのだろう。
右:前面はこのように運河となっている。



 

左:これも西諸戸邸。三棟続きの煉瓦倉庫があった。これも街路に面して開口しているので、個人用ではなく商売用のものだろう。
右:どうやら三棟だけ残して、あとは破壊したのでは? この部分を見ているとそう思われる。



 

左:煉瓦倉庫から母屋、門の位置関係はこうなっている。
右:煉瓦倉庫の横にあった門。勝手口のようだが、これだけでも相当立派な門である。



 

左:諸戸邸のすぐ近所にあった古いアパート。これはなんと便所の汲み取り口である。
右:アンパンマンもどきもいた。



 

左:諸戸邸をあとにし、住宅街の生活道路を縫って桑名駅方面へゆるゆると歩いていく。ごく普通の民家なのだが、玄関の柱が床柱のように凝ったもので、しかも丸窓があった。
右:こちらもかなりレトロな玄関を持つお宅。セメント瓦も今では滅多に見かけなくなった。



 

左:古い街はどこでもそうだが、小学校區がそのまま地域の単位になっている。
右:この手の注意看板、よく見かけるが、しかし犬はともかく猫はどうしようもあるまい。



 

左:わんこも可愛いのだが、とにかく屋号がすごい。「油屋専兵衛」とかだろうか? 造花の専門店というのも珍しい。
右:さすが桑名市。マンホールの図柄が擬人化された蛤であった。



  

左:素敵な門燈のあるお宅。
右:だが、実は塀を門を残して破壊されている最中であった( ̄□ ̄;)!!



 

左:脇の勝手口ですらこのように立派な門。
右:実は正門は裏の生活道路に面していて、「裏」に回ると表通りであった。



 

敷地の隅に、古い印刷所と下見板張りの戦前洋館があった。こちらの社長のお宅だったようだ。



 

左:ビリヤードを「玉突」と称したのはいつ頃までだろうか? いい雰囲気の看板であった。
右:砂利採取が盛んな土地柄らしい。



 

左:鉄道オタク的にはすごい踏切である。一番手前が三岐鉄道北勢線の762ミリゲージの線路、その向こうに近鉄名古屋本線の1435ミリゲージの線路、一番向こうは国鉄関西本線の1067ミリゲージの線路が並んでいるのだ。
右:北勢線の線路だけこのように剥き出しで、近鉄の線路からフェンスで仕切られていた。普通は道路と線路の間にフェンスを設けるものだと思うのだが。



 

左:西桑名駅に停車中の北勢線電車。左側に広がるのは近鉄桑名駅で、近鉄特急が見える。その更に奥にJR桑名駅がある。
右:桑名駅前バスターミナルにて、裏返しにされた広告看板。



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