骨董建築写真館 京都篇・其ノ拾壱
骨董建築写真館

京都篇・其ノ拾壱

京都篇Jは2006年撮影分にて構成する。

 

左・右:この日は大倉喜八郎男爵邸の見学会で、祇園を歩いた。まずは祇園町南側、明治19(1886)年創業の老舗鞄店、香鳥屋。1926(大正15)年に建てられたもので設計者は不詳ながら、府登録歴史的意匠建造物に指定されているが、アーケードがあるので南側歩道を歩いていては殆ど判らない。ただし一階ショーウィンドウのステンドグラスは素敵である。四条通北側か ら見るとこのように、スクラッチタイル張りで典型的なこの時期(大正後期〜昭和一桁)のビルヂングであることが判る。屋上の建て増しと後付のコンクリートブロックがちょっと残念だが、側面にはロマネスク風の四連アーチ窓もある。

上:イタリア料理店、カーラ・ラガッツァ。新古典主義のイオニア式ジャイアントオーダーは、元が銀行だったことを主張している。大正13(1924)年に吉武長一の設計で建てられた村井銀行祇園支店である。國登録有形文化財。

上:ひどい写真だが、四條花見小路交差点から見た一力茶屋。一力茶屋は京都篇 其ノ九でも少し紹介している。なお、一見さん お断りのお茶屋なので 、もちろんウェブサイトなどはない。東京には一見客を入れない癖にウェブサイ トで派手に自己宣伝に余念のない悪趣味極まりない自称老舗などもあるようだが、鄙ならばともかく都ではそんな下品な露悪趣味はあり得ないのである。

 

左:四條通から遠望した弥栄会館。建築データは京都篇其ノ参を参照のこと。画面奧、車の右手が伯爵行きつけの喫茶店「たんぽぽ」だが、一見客は入らない方がよい(^_^;)。
右:京都市立弥栄中学校。

 

左・右:素戔嗚尊を祭神とする八坂神社こと、実は牛頭天王を祭神とする祇園社感~院に入ると、ちょうど神式の結婚式をやっていた。神前結婚式というのも明治以降の国家神道体制が生み出した日本文化の畸形である。

上:大谷祖廟の参道。真宗大谷派=東本願寺の霊園である。

 

左:龍池山大雲院の本堂 の屋根越しに、いよいよ今日の見学会の目的地、祇園閣が見えてくる。この日の詳細は2006年6月3日の日記参照のこと。この建物の紹介もこのサイトでは初めてではないが、内部に入ったのは初である。金閣、銀閣と並び「銅閣」とも称されるこの異形の建物は、明治の怪物、大倉喜八郎男爵が鬼才伊東忠太・東京帝大教授に依頼して建てた隠居所「真葛荘」の望楼なのだ が、なんとも異様なオーラを放って見るものを惹きつける強烈に個性的な建築である。竣工は昭和2(1927)年。喜八郎の歿後、跡を継いだ息子の大倉喜七郎男爵は英国風紳士を自認する人物であったので成り上がり者の父が建てたこの建物を「悪趣味」と嫌い、高島屋に売ってしまった。 その後、浄土宗系単立寺院である大雲院の手に渡って、現在に至っているのだ。
右:携帯で撮影した祇園閣

上:本堂の濡縁から見た真葛莊の母屋。

 

左:同上。数寄屋造りの母屋にもこのように八角形の離れが付いている。
右:いよいよ祇園閣に近づく。

 

左・右:祇園閣の入り口では、中華風の狛犬が出迎えてくれる。

 

左:祇園閣の入口の石段を登る。一番手前はくれぴの後姿である。
右:入口から見上げたところ。

 

左:玄関上の扁額。公望とあるから、西園寺公望公爵の揮毫だろう。
右:門扉には鳳凰のレリーフが施されている。

 

左:扉を内側から見たところ。
右:携帯撮影なので画像が荒いが、玄関を入ると正面がいきなり仏壇である。この建物、眞葛莊の望楼として建てられたもので、内部は殆ど階段しかない。よってこの仏壇は寺院になってから設けられたのだろう。

  

左:仏壇の両脇から、階段となっている。いきなりこれなので、参加者一同大喜び。この敦厚風壁画も仏寺となってから描かれたものだが、伊東建築特有の化け物照明と非常にマッチしている。天井を見上げているのはくれぴ。
右:ここから自由参観。皆感動しながら階段を登る。

上:極彩色の壁画と、モンスター照明具。

 

左:携帯(東芝製W21T))で撮影した怪物照明具。
右:仏教寺院になってからつけられた蓮型照明具。

 

左・右:とにかくどこもかしこもこんな感じ。大倉喜八郎男爵は90歳の長寿を全うした「死の商人」だが、この楼閣が完成したのは死の前年の1927年。この急な階段を男爵が実際に登ることはなかったと思われる。

上二枚:怪物照明具をストロボなしとありで。

上:最上階四階まで登る。元は吹きさらしだったとのこと。

 

左:四階から三階を見下ろす。階段がとにかく急である。
右:高欄を廻らした四階のバルコニーから絶景を楽しむくれぴ。

上:四階から南側を見る。塔は八坂の塔

上:これは南東側。靈山觀音が見えている。戦後になってから右翼が建てた、コンクリート製の何の値打ちもありがたみもない新興宗教だが、この界隈のランドマークとはなっている。この辺り、実は豪邸が多い。

上:これは北側。近景は眞葛莊の母屋と離れ。今は大雲院の庫裏となっている。遠景は右側や中央が知恩院の堂宇で、左に見える洋館は長楽館である。更に遠くにかすんで見えるのは吉田方面か。

上:真葛荘を見下ろす。

上:四階バルコニーより。

 

左:四階天井の照明。
右:ゆっくりと建物を眺望を堪能してから、祇園閣西側に回る。一段低くなった平地が墓地になっていた。これも携帯で撮影。祇園祭の山鉾を模したといわれる形状がよく判る。

 

左:大雲院墓地にあった非常に珍しい姓の墓石。
右:墓地から見上げた祇園閣。

 

左:石川五右衛門の墓。
右:大雲院鐘楼。

 

左:大雲院山門。
右:祇園閣見学終了後、すぐ近くの長樂舘でお茶をした。室内装飾の見事さでいえば、日本の近代建築中の白眉である。1909(明治42)年、「煙草王」村井吉兵衛の迎賓館としてJ.M.ガーディナーの設計で建てられた。煙草専売化ののちは銀行業に転じ、上で紹介している村井銀行祇園支店もそれである。外観は京都篇其の四で紹介している。

 

左:くれぴ。豪奢な室内にアンニュイな美少年なのだが、ちょっと台無しになってしまったσ(^◇^;)。
右:チョコレートパフェ。美味しかった。

 

左:お茶を終えて支払い中。湯婆婆のように貫禄と迫力のあるマダムがいる。
右:さすがに裏階段は質素。元々使用人用のものだろう。以上、2006年6月3日撮影。

 

左・右:非常に見識が低く、文化というものをことごとく破壊してしまう阪急電鉄によって見るも無残に破壊されてしまった、旧河原町阪急ビルの在りし日の姿。現在この場所(四條河原町北東角)に建てられた新ビルの醜さ、文化度の低さを見ると、阪急という会社の現在の姿、質が歴然と現れていて厭になってしまう。この二枚のみ、同年5月27日に携帯で撮影。

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