骨董建築写真館 鎌倉篇《附:築地・高輪》
骨董建築写真館

鎌倉篇《附:築地・高輪》



上:第58章の旅の続きである。翌日は鎌倉に行った。これは菊乃女史お奨めの骨董カフェ「ミルクホール」。戦後すぐぐらいだろうか? 古い住宅をそのまま改装してカフェにしているところ。なかなかいい感じであった。路地の奥で見つけにくいのもグッドである。


上:鎌倉の中心部は面白いところで、下町でもないのに狭い路地が多い。木造の古い教会が見えてきた。


上:同じ教会。下見板張りの外壁、木製サッシの窓、明らかに戦前の建物である。


 

左:正面に回ってみたら、日本聖公会鎌倉聖ミカエル教会であった。日本聖公会といえば、神戸教区主教座カテドラルも聖ミカエル大聖堂である。検索したところ、鎌倉聖ミカエル教会は昭和八年の竣工、ただしその後何度も増築を経ているとのこと。鎌倉市指定景観重要建築物第11号である。
右:聖ミカエル教会の正面は路地ではないもののかなり狭い道だった。その向かいに、真新しいマンションがあったのだが、ちょっと“ライト式”なのに笑ってしまった。


 

左・右:鎌倉はやたらと洞穴の多いところである。ここは全く何も使われていないが、古くから様々な用途に使われていたそう。


上:戦前のものと思しき木造の小さな教会の多い街であった。


 

左:同じ教会を正面側から撮影。名前を失念してしまったが、我が日本基督教団の教会であったか?
右:駅の近くに質屋さんがあった。正面は改造されているが、側面は昔のままの下見板張りである。

上:鎌倉市にはJR総武・横須賀線に乗っていったのだが、鎌倉駅に着く直前の車窓から見えて吃驚した廃墟。改札を出て、実はまず最初にこれを探したのであった。場所は鎌倉駅のホーム北側に接した踏切から見えるので、探訪したい人にはすぐに見つけ出せるところである。


上:このように工事用のフェンスで囲まれている。裏手にも平屋の和館が棟続きで建っているが、駅からすぐの一等地に極めて異様な光景なので、かなりギョッとさせられた。


上:玄関部分。本格的な木造洋館で、恐らく大正期のものではないか,そして病院だったのではないかと思われるが、あまりにも無残な傷み方である。廃墟には廃墟の美があるが、しかし今や日本で大正期の洋館は、それだけで稀少な存在である。朽ちるに任せず、何とか補修して使ってほしいと思うのだが…。


上:フェンスが邪魔だが、洋館部分の全景はこんな感じである。


上:これも玄関部分。非常に凝った造りであることが解る。


 

左:正面はみな見向きなので、玄関が東、これは西側の翼部。切妻屋根を正面に向けている。
右:西寄りから見た全景。てっきり廃墟だと思い込んでいたのだが、帰宅後に得た情報によるとこの洋館は地元ではやはり有名な存在で通称「鳩屋敷」だそう。どこまで本当か判らないが、今でも所有者が住んでいて、行政や町内会からの度重なる補修の呼びかけにも耳を貸さない、と言う噂があるとのこと…。化け物屋敷に住む奇人、できすぎた話だが、もし本当に所有者が首を縦に振らないのなら、何とも困ったことである。

上:鎌倉といえば鶴岡八幡宮である。京都なら朱雀大路に当るのが若宮大路(といっても大きな通りはこれ一本きりなのだが)、その真ん中に頼朝時代から変わらないという「段葛(だんかずら)」がある。この鳥居は八幡宮の一の鳥居。段葛ここから八幡宮まで、徐々に道幅が狭くなり、実際より長く見えるよう計算されて作られているそうである。何ともいじましい工夫といえよう。


上:若宮大路に沿って点々とちょっと面白い建物がある。この病院も戦後の物件とは思われるが、いい味わいであった。段葛から見る。


上:同じ犬猫病院をもう少し近づいて撮影。

上:同じく若宮大路にて。いい雰囲気の蕎麦屋である。


 

左:ポロ・ラルフ・ローレンのちゃちな造りの偽洋館。様式建築を建てたいならもっとちゃんとしたのを作ってほしい。
右:鎌倉市指定文化財である三河屋酒店の横手にある、奥の倉庫への搬入用トロッコの線路。京都、百萬遍近くの酒屋にもそっくりのものがある。


 

左:段葛から降りて、若宮大路の歩道よりトロッコ線路を撮影。
右:奥の方をズームにて撮影したが,暗くなってしまった。


上:三河屋全景。実に堂々たる町家建築である。


上:これも昭和初期ぐらいと思しき、土産物屋さんである。


上:鶴岡八幡宮の門前にある骨董店、八万堂(0467-22-1568 鎌倉市雪ノ下1-8-33)。とても感じのいいお店で、僕も少し買い物をした。顛末は二千五年三月六〜七日の日記に。

 

左:若宮大路の丸ポスト。後方に見えるのが段葛である。
右:ひょっとしたら戦後のものかもしれない、シンプルな洋風建築。


 

左:これは震災復興期のものだろう、銅張りの看板建築。
右:八幡宮の境内に入ってすぐ、やたらハイテックなイメージのステンレス燈籠があった。しかも結構古い。


上:ステンレス燈籠のすぐ先に太鼓橋があって、その奥に門、拝殿などが見える。なんというか、京都奈良に慣れ親しんでいる身からすれば、鎌倉の寺社には「ふ〜ん」以上の感想はない。


 

左・右:石段脇にあった霊木。


上:すごく寒い日だったのだが、梅が綺麗であった。


上:これが総門。


上:上から見下ろす。海はよく見えなかった。


 

左:路地裏で見つけた、デザイン化された「鎌」の字があるマンホールの蓋。
右:同じく路地裏にて。滅茶苦茶古いゴミ箱が引っ繰り返されていた。

上:鎌倉駅に停車中の江ノ電。戦前の電車は生き残っていないようだが、それでもかなりの旧型車が多く、吊り掛け式モーターの音を日常的に聞くことができる。


 

左・右:宿は江ノ電で二駅の由比ガ浜の会員制ホテルだったのだが、既に終電を過ぎた時間だったので歩いて帰った。途中見つけた、古い医院建築、旧安保小児科医院。大正期の洋館だろう。今では鎌倉風致保存会として使われているようだ。


上:風致保存会のすぐ近くで見つけた、今でも現役の純和風銭湯、「滝乃湯」。


上:江ノ電の踏み切り近くにあった、古い洋館。このときはなんだか判らなかったので、翌朝もう一度散歩してみた。


 

左:更に歩くと、古い銀行建築のリノベーション例として非常に有名なバー、「ザ・バンク」があったので、入ってみた。渋いバーに一人で入ってオレンジジュースを飲んだのである(笑)。旧鎌倉銀行由比ガ浜出張所として昭和のはじめに建てられたものである。
右:さて、翌朝である。ホテルの近所にあった和洋折衷の民家。純粋な住宅ではなく、商店であったのかもしれない。


 上:同じく、由比ガ浜のとおりに沿った民家。洋館付、昭和初期のタイプである。


上:二車線とはいえ主要道路沿いなので基本的には商店建築や小規模な民家が多いのだが、ところどころ本格的な数奇屋住宅もあった。


上:中心部に向かって歩くので、商家が増えてくる。市内局番のない古い電話番号のままの看板が渋い、蕎麦屋さんがあった。

上:昭和初期ぐらいの建物だろうか? 城郭風の仏壇屋である。


 

左:同上。非常に眼を引く建物である。
右:その向かい側にあった雪印牛乳店と毎日新聞店。


上:同上。毎日新聞の屋根に注目。とても普通の町家とは思えない立派な屋根である。


 

左:ポンプ井戸のある路地。
右:これは戦後かもしれないが、洋館風の洋菓子店「鎌倉風月堂」。


上:昼間のザ・バンク。改装工事中であった。昭和初期に横浜銀行由比ガ浜出張所として建てられた建物であるが、設計者と年代が特定できない。とにかく、銀行建築としてはミニマムな、かわいらしいビルである。


上:ザ・バンクの裏手にも和風鉄筋らしい町内会館があった。


 

左:わき道に入ったところで見つけた洋館。昭和初期ぐらいだろう。
右:同じ家のステンドグラス。


上:昨夜正体を確かめられなかった踏切脇の洋館。


上:正体は幼稚園であった。1925年の建築とのこと。


上:昨夜は気づかなかったが、幼稚園の奥には同じ時期に建てられたと思しき教会堂があった。


上:やはり幼稚園の一年後に建てられたものであった。わが日本基督教団鎌倉教会である。メソジスト系だから、日本基督教団成立以前は鎌倉美以教会という名前だったのかもしれない。


 

左・右:聖堂正面より。ゴシック様式であることが判る。聖堂内まで見せていただく時間がなかったので、外側からのみ拝観した。


上:定礎石。

上:ここからは二千五年五月である。二十五〜二十六日と一泊だけ関東に下向したのだ。鎌倉メインだが、ちょっとだけ東京も混じる。ということで、築地でお寿司を食べたあと、伊藤忠太の傑作、浄土真宗本願寺派東京別院(通称築地本願寺)へ行ってみた。つまり西本願寺の東京別院である。携帯での撮影なので、色が少し変になってしまった。以降、全て携帯写真である。アングルに入りきらなかったので、これは翼部を中心に。


上:これが正面。1934年竣工、鉄筋コンクリート造、インドサラセン様式の大伽藍である。


 

左:門柱。
右:正面を石段下から見上げる。狛犬も印度風の獅子である。


 

左:正面玄関。テラコッタ装飾が見られる。
右:正面玄関ステンドグラスを内側から見る。


上:本堂内部。夕刻の法要中であった。このあと閉門である。


上:入口側に設置されたパイプオルガン。旧西ドイツ、ヴァルカー社製で1970年に設置されたとのこと。


 

左:築地本願寺の周りには、塔頭のように浄土真宗本願寺派の末寺が多かった。これはそれとは別に、築地場外市場にあったお寺だが、戦前の電話番号標が残っていた。
右:築地場外市場にて。ところどころ震災復興期と思しき看板建築が残されている。


 

左:二棟並んだ看板建築。
右:車の窓から慌てて撮った写真だが、高輪の消防署。正式名称は高輪消防署二本榎出張所である。警視庁総監会計営繕係(越知 操)の設計で1933年に建てられた。

上:東京中央卸売市場の敷地内からみた勝鬨橋


上:これが今回の宿、ホテルニューカマクラ。大正時代の洋館にそのまま泊まれるのだ。鎌倉駅から歩いてすぐ、穴場である。


 

左:ニュー鎌倉の玄関。謎のアルファベットは北欧の言葉のようだ。かつては文人墨客も訪れたホテルとのこと。
右:入ってすぐ右の洋室にある飾り暖炉。最近リフォームされたようだが、結構古さが生かされている。


上:敷地が広いので、そこで駐車場業を営んでいる。そしてこの事務所、フロント・レセプションのないこのホテルの事務所でもあり、ここで宿泊の手続きをするのだ!! しかも「モータープール」という関西独特の和製英語が関東なのに使われている。


 

左:主階段から玄関ホールを見下ろす。
右:二階階段ホール。


 

左:二階階段ホールの窓。
右:僕らが泊まった部屋の窓。分銅式上下窓である。


上:携帯電話のカメラでは綺麗に撮れなかったが、電燈のスイッチも古風なものがそのまま使われていた。


 

左:窓の分銅部分。ちゃんと生きているのは珍しい。
右:客室部分の廊下。これは二階である。

上:鎌倉文学館(旧前田侯爵鎌倉別邸)の近くにあった、大正期のものらしい洋館。


 

左:これも大正時代と思しき洋館。上のものと同じく、現役の住宅である。ハーフチンバーの梁がちょっとアールヌーヴォーっぽい。
右:こちらは明治41年の洋館で、移築されたものらしい。鎌倉市長谷こども会館。桑名の豪商、六華苑で知られる諸戸一族の邸宅だったとのことで、現在は公開されている。


 

上:鎌倉文学館に隣接している、現在の前田邸。


 

左:そして旧前田邸、現鎌倉文学館へ向かう。敷地内にトンネルのある大邸宅は、京都・大山崎の旧加賀正太郎邸を思い出させる。
右:玄関ポーチ。


上:市立鎌倉文学館の玄関付近。写真では左がが南で、南面して建てられたこの邸宅の玄関は東側に開いている。1936年、渡辺栄治の設計で第十六代当主前田利為侯爵の別荘として建てられた木造三階建ての豪邸である。


上:庭の薔薇園から見た邸館。何しろ携帯での撮影なので歪んでしまった。


上:もう少し近づいて。確かに豪邸だが、加賀正太郎邸と比べると敷地など多少狭い。神戸の旧乾邸などと同じ程度かと思われる。


上:館から海を見下ろす。利為侯は侯爵夫人の海水浴を双眼鏡で見ていたとのこと。


上:邸内には素敵なステンドグラスが沢山あった。


 

左:鎌倉大仏の近くにあった懐かしい雰囲気の中規模住宅。
右:鎌倉大仏。感想は「中仏やな」の一言であった。


上:二階を見るとどう考えてもそれほど古くないのだが、一階は明らかに戦前の建物という不思議な牛乳屋さん、「柴崎牛乳店」。建てましたのか?

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