骨董建築写真館 大山崎篇
骨董建築写真館

大山崎篇

二千年五月七日、可愛い高校生あらたくん(17)と二人、京都府乙訓郡大山崎町にあるアサヒビール大山崎山荘美術館を訪ねた。大正時代にニツカウヰスキーの創業者加賀正太郎の別荘として建てられた、それはそれは素晴らしい洋館である。本編ではその日の写真をまとめて掲載する。

  

左:恐らく昭和のはじめに建てられたものと思われる、JR大山崎駅舎。とても可愛らしい洋館である。
中:入口天井の漆喰装飾。勿論昔は蛍光灯ではなく擦り硝子フードの電球だった筈である。折角の建物をもう少し活かせばと思うが、何をやらしてもセンスゼロのJRだからどうしようもないのだろう。旧大阪鉄道管理局舎を破壊した愚かさ加減は許しがたい。
右:縁をタイルで装飾された入口アーチ。阪神間「細雪」文化圏と同じ時代に別荘地として開かれた土地柄を表す、ハイカラでモダンな雰囲気を今に伝えている。

 

左:駅前に残る、渋い洋館。阪神間同様、大正から昭和初期にかけて開かれた関西の郊外住宅地独特の雰囲気が濃厚に残る住宅地であった。
右:その近くにあった工場の門も、時代を感じさせる。

 

左:瀟洒な住宅地の坂道を上っていくと、このトンネルに至る。すでに敷地内である。
右:トンネルを抜け更にしばらく歩くと、ようやく門に至る。昔のブルジョワの生活とは、現代の成金のそれとは全く次元の違うものであったことがよく解る。

 

左:現在はレストハウスになっている、元のガレージ。一階が車庫で、二階はお抱え運転手の住居だったとのこと。
右:庭園も何ヶ所もあり、それぞれが広大である。

 

左:茶室。庭園側から見たところ。一階は庭師用の倉庫である。
右:同じ茶室を正面から見たところ。チューダー・ゴシック様式の本館に合わせ、茶室も外観はバンガロー風である。

 

左:ようやく見えてきた本館。
右:もう少し近付いて見た本館。このように緑が豊過ぎて、なかなか全景を一度に見ることはむづかしい。

  

左:木組が壁面に現れている。これをハーフティンバーという。
中:玄関。建物の規模の割には小ぶりで、別荘というここの特徴を表している。
右:内庭に面したバルコニー。夢のような空間である。この庭は純和風の池泉鑑賞式(日本庭園は池泉回遊式、池泉鑑賞式、枯山水などに分けられる)。

 

左:バルコニーの二階部分を見上げる。アーチの上はテラスになっていて、左の出窓は風呂場とトイレである。
右:風呂の下から庭へと続く、サンルームを兼ねた回廊。

 

左:上の回廊を抜けた先は、芝庭となっており、用途不明なるも三階建の細長い洋館が建っている。
右:邸内至るところにこのような押しボタンがついている。だんはんや御寮人さんが女中を呼ぶためのものである。

  

左:室内からバルコニー、そして庭園を臨む。
中:バルコニーから回廊を見る。
右:階段室の見事なステンドグラス。

  

左・右・中:照明器具もオリジナルが多数現存しており、実にいい雰囲気である。

   

左:階段のステンドグラスとシャンデリア。
右:二階ホールより階段と三階回廊、そしてシャンデリアを見上げる。

   

左:洗面所。
中左:バスタブとシャワー。
中右:大変細工の細かいドアの金具。
右:二階大バルコニーにある大谷石らしき石の装飾。彫像や植木鉢等を置いたのか?

 

左:中国・漢代の装飾煉瓦を用いた、一階大広間の暖炉。
右:この広間は至るところに漢代の装飾煉瓦が用いられている。

  

左:大広間に続くサンルームの優美な照明。
中:サンルームの扉。全面的にオパールセントグラス製のステンドグラスが用いられた豪奢なもの。
右:同じ扉の細部。

  

左:素敵な照明が連なる一階廊下。後姿はあらた少年である。
中:トイレの個室のドアまで、ステンドグラスが用いられている。
右:玄関ホール、暖炉の前の造り付けのソファーで寛ぐ伯爵閣下。(あらたくん撮影)

 

左:再び外に出て、前庭から見上げる。
右:雨樋一つとっても、昨今の塩ビパイプ製のものとは全く違う。ブロンズ製の重厚なものである。

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