骨董建築写真館 日本橋(にっぽんばし)篇
骨董建築写真館

日本橋(にっぽんばし)篇

左:その名の通り、日本一会館。決して「にほんいち」と発音しないように。
右:住友銀行日本一支店。近所には三和銀行日本一支店もある。

三月十八日、モデムカードを買いたいというフック船長を連れて、大阪の大電気屋街である日本橋(にっぽんばし)に行ってきた。東夷の彼は関西のことに疎く、一人では買い物にも行けないのである(笑)。
大阪では、地名を詰めて呼ぶことが多い。梅田新道が梅新、谷町九丁目が谷九、天神橋筋六丁目が天六といった感じで、近鉄の大ターミナル上本町駅など、誰も正式名では呼ばず上六と呼ばれているぐらい省略名が一般的なのだ。従って、日本橋筋一丁目は当然「日本一」になる訳で、それが大銀行でも正式支店名として採用されている。住友も三和も大阪が本店。まさに大阪的といえよう。

左:こんな感じで、付近には「日本一(にっぽんいち) 」が氾濫している。モータープールというのも関西独特の和製英語で、東京など地方都市ではまず見かけない言葉である。
右:1925年(大正14年)に建てられた、ネオ・ゴシック様式の日本フリーメソジスト教団大阪日本橋キリスト教会。最上階の窓や、玄関の尖頭アーチがゴシックの特徴である。原設計者は不明、この写真を撮ったあとにヴォーリズ設計事務所により改修された。2004年3月17日追記。(登録有形文化財)

左:旧松坂屋大阪店(現高島屋難波本店東別館)。名古屋の名門百貨店松坂屋が昭和の初め、大阪に進出する時に総力を挙げて建築したアール・デコの華麗なデパートメントストアである。(竣工は1934年(昭和9年)、設計は鈴木建築事務所(鈴木禎次)。

右:テラコッタ(焼き物製外装材)の美しい細部。

左:日本では珍しい、堂々たるギャラリーを擁する一階正面。震災後新築なった大丸神戸店の原形といえよう。参照
右:ギャラリー部分の天井装飾と繊細な照明。
※旧松坂屋大阪店の写真は旧作補遺大阪篇・其ノ参でも多数紹介している。

左:ショーウィンドウが並ぶギャラリー内部。右手は日本橋筋(堺筋)の歩道である。
中:館内は現在一階が家具売場、六階が高島屋資料館となっている以外、殆ど事務所と倉庫にしか使用されていない。従って下手な改装の手が加わっておらず、オリジナルの素晴らしいインテリアが保存されており、天井の華麗な漆喰細工もこの通りである。なお資料館は入場無料で、なかなかに見応えがある。
右:繊細な細工の施された金属製エアグリル。

左:南エレベーターホールに残る、古風なエレベーター。元百貨店であるからエレベーターは多数あるが、既に使用されていないものもかなりある。これは現役で、自動式に改造され籠も替えられているが、外扉、階数表示板等オリジナルが残っている。非客用には手動式のままで使用されているものもあるようだ。装飾はアール・デコ調である。
右:同じエレベーターの階数盤。古風な針式である。

左:エレベーターホールの照明。当然、元々は蛍光燈ではなく白熱灯が入れられていた。
中:赤大理石製の階段と親柱の照明塔。
右:外壁のテラコッタ装飾。

左:ギャラリーを支える華麗なアーチ。
中:軒蛇腹を見上げる。
右:日本橋筋の賑わい。

左:「伯爵のページ」のショップガイドで紹介している、五階百貨店松田屋付近。後ろ姿は僕である。従ってこの一枚のみフック船長の撮影。
右:ずらり並んだ演歌歌手のポスター群。

左:夜になってしまったので非常に分りづらいが、ネオ・ルネッサンス様式である旧三和銀行恵比須町支店。現在はフジ医療器(株)の本社として用いられているが、保存状態もとてもよくオーナーが大切にしているのが判る。コリント式の柱が玄関脇に一本ずつある、典型的な銀行建築である。竣工は昭和13(1938)年、設計は三和銀行建築係。
中:阪堺電軌阪堺線のターミナル、恵比須町駅に停車中のちんちん電車。駅舎も古いレールなどを用いた歴史的建造物である。
右:恵比寿町駅前から通天閣を望む。

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