骨董建築写真館 東京編・其ノ四(新田ビルディング〜箱根宮ノ下〜鎌倉)
骨董建築写真館

東京編・其ノ四(新田ビルヂング〜箱根宮ノ下〜鎌倉)

 

左:二千五年三月四日、大雪の中を新幹線のぞみ号に乗って、久しぶりの東下りを敢行した。木子七郎設計の名建築、有楽町の新田ビルがいよいよ取り壊されることになったので、その見学会のための旅なのである。昭和5年(1930年)6月、叶V田調帯製造所東京出張所として建設されたもので、設計者の木子は創業者新田長次郎翁の娘婿であった。新田社は現在のニッタ株式会社である。正面に集合しているのは当日のオフ会のメンバー。
右:正面、ロマネスク風の装飾窓が見事だが、タイル剥落防止用のネットが痛々しい。


上:同じところを横アングルで。


上:一階をぐるりと取り囲んでいるアーチ窓。


上:正面玄関風除室、内玄関扉上部のレリーフ装飾。1930年は竣工の年である。


上:一階玄関ホールの華麗な装飾アーチ天井。


 

左:玄関ホールの床はタイルであった。
右:その奥にこのような木彫の美しい応接室が連なっている。

上:一階玄関ホールは独立した部屋ではなく、そのまま営業室の広い空間の一部になっている。


 

左・右:とにかく天井装飾が美しい。


 

左:三つ並んだ応接室の扉。
右:営業室。


 

左:暗く写ってしまったが、応接室の扉を少し開けたところ。
右:応接室内の間仕切り。これでは秘密の話には向かない。


 

左:応接室の壁の木彫。
右:正面玄関を内側から見る。


上:営業室はこのように一階の殆どを占める大空間である。

 

左:荷物置き場にさせてもらった、上階の会議室。この辺りはテナント用のスペースなのだが、この部屋はニッタ社が使っている模様。
右:ビルも惜しいが、中でもこの古式エレベータが失われるのが非常に惜しい(>_<)。この呼び出しボタンは一つしかないので屋上階にて撮影したと判る。


 

左:これは呼び出しボタンが二つあるので、一階及び屋上以外での撮影。このビルは中二階もあるのだが、そこには停まらない構造になっている。1930年に落成したビルだが、このエレベータはオリジナルではなく、戦後すぐに再設置されたものらしい。東京・神田の富士エレベータ工業(大阪府茨木市の旧富士輸送機、現フジテックとは無関係な別会社とのこと)の製品で、完全手動駆動式、扉も手動でこのように外扉はスチール製二枚引戸、籠扉は伸縮扉(蛇腹戸)である。外扉が現代のエレベータと同様の平板で無装飾なことからも、戦前のものではなかろうと推測できた。
右:左の写真とは別の階にて撮影した、インジケータ。これもシンプルな電光式で、いかにも戦後的な雰囲気である。


 

左:停止中の籠を外側から見る。右側に折りたたまれている蛇腹扉が見える。電話機の下にあるのが操作用ハンドル(ノッチ)で、これ一丁で運転するのだ。狭いエレベータなので操作盤は側壁に取り付けられている。
右:呼出装置。一番上に右が下、左が下の矢印のついた黒いぽっちりが二つあって、その下に各々五つの長方形がある。つまり例えば屋上から下に行きたいと呼出ボタンを押せば、この盤面Rぽっちりの右の長方形にサインが現れ(どうやらこれは点灯式ではないようである)、それを見た運転手が屋上まで乗客を迎えにいくのだ。一番下に二つあるのは解除ボタンである。


上:ぼやけてしまったが、籠内の定員銘盤。なんと四名なので、運転手を除けば客は三人までしか乗れない。


上:赤く目立つ禁煙表示もあった。真鍮製の立派なものである。


 

左:操作ハンドルのアップ。Dがダウン、Uがアップである。
右:しゃがんで天井を見上げる。


 

左:籠内に入って、蛇腹のみを閉めて撮影。
右:同じく蛇腹のみを閉めて、外側から撮影。


 

左:屋上から塔屋機械室へ昇る梯子。
右:階によって呼出ボタンの意匠が微妙に異なっているのも面白い。補修のときなど、同じ部品が手に入らなかったのだろう。

上:籠内の敷物をめくると、敷居の文字が現れ、富士エレベータ製であることがわかる。


上:廊下につけられた表示もどこか古風である。これは古式ではない一般用エレベータの案内。新田ビルのエレベーターは二機であった。


 

左:これがもう一台のエレベータ。自動運転方式ではあるが、かなり古風である。このボタンはインジケータ(階数表示機)兼用なので、行き先階のボタンを押しても発光しない。発光しているのは現在位置を表す光である。つまり一階で乗り込んで、行き先の五階を押したのだが、発光しているのはそのとき停止していた一階のボタンなのである。
右:屋上に昇る。濡れているのは雪解けの水のため。この一角にはかつて塔があった。


上:塔屋もスクラッチタイル張りである。


 

左・右:煙突も美しく装飾されている。かつては地下のボイラーを焚いて、全館にスチーム暖房が施されたのである。


 

左・右:剥がれ落ちたり、補習の時に剥がされたりしたスクラッチタイルが大量に保存されていた。新ビル建設時には再活用する方針とのこと。この日はお土産に一人一枚、綺麗に洗われたものを頂いた。室外機の後ろの屋根が掛けられているのが通風と明り取り用の光庭である。二階まで吹き抜けになっている。


上:屋上の手すり。苔むしている。


上二枚:光庭の見下ろしたところ。


上:日陰には雪が残っている。

上:廊下と部屋との仕切りは木製である。扉上部に、ダイヤル自動化される以前の電話番号が貼られていた。


 

左・右:部屋の番号票。


 

左・右:同上。「号」の字が「號」でないのは決して現用漢字ではなく、当時の略字である。


 

左:これは右書き、号も旧字体なので、建設当初からのものかもしれない。
右:これも號の字を使っている。地下なのでBがつく。


 

左:木製の消火栓箱。
右:オリジナルの真鍮製ドアノブと後付のステンレス製ドアノブ。


上:タイルの腰壁、人造大理石の間仕切りが残る、古風なトイレ。電子式自動水栓が増えたので、このような高タンク式も見かけなくなった。


 

左:メイン階段。この階段の中央が古式エレベータのシャフトである。
右:壁に掛けられていた乾湿温度計。


上:廊下側の窓は全て木製サッシであった。


上:地階はその殆どが機械室となっている。古風なタイルの流し台があった。


 

左:地下から一階への階段。もう使われていないようだった。
右:柱が太くてスペースが狭い。


 

左:ボイラー用の重油が溢れたときにためるための油槽とのこと。煉瓦製である。
右:変電設備への入口は非常に狭かった。


 

左・右:変電設備の中に入ると、非常に年期の入った電源設備が並んでいる。こういうのが好きな人にはたまらないだろう。


 

左・右:同上。


 

左:もう使われていない電源スイッチ。
右:外に出てもう一度振り返る。


 

左:赤錆びた鉄パイプ。
右:作り付けの戸棚。全て木製であった。


 

左:地下から一階へ向かうメイン階段。真鍮の手摺がぴかぴかに磨かれている。
右:カーペットのない部分にオリジナルの床タイルが覗いていた。


 

左・右:中二階にあった役員室。中二階だけあって天井が低い。残念ながらオリジナルの家具調度装飾などは殆ど残っていなかった。ただし机の上には黒電話が。


 

左;中二階の湯沸室。タイルである。
右:五階会議室の窓。元は分銅式上げ下げ窓であった模様。ブラインドの上に、古いカーテンレールが残っている。


 

左:建設当初のものではないらしいが、今でも現役の暖房用ラジエター。
右:小窓に嵌められた美しい格子。


 

左:お土産にスクラッチタイルやバターなど頂いて、見学会終了。これは玄関風除室の天井。
右:既に日が落ちてきたが、名残惜しんで外観を撮影。


 

左・右:同上。このページを作成しているのは二千五年八月二日だが、既に新田ビルは跡形もなく、更地になっているとのこと(T_T)

 

左・右:新田ビルの周辺に点在する、昭和戦前期のものと思しき小規模な近代建築。


上:銀座通にも雪が残っていた。


上:その夜の宿は箱根だった。小田原駅にて撮影した箱根登山鉄道の電車。なかなか古風な車輌である。なお、この中小ローカル鉄道である箱根登山鉄道は意外なことに1435mmゲージで、箱根登山鉄道の箱根湯本駅まで乗り入れている大手私鉄小田原急行電気鉄道の方が1067mmという狭軌である。従って箱根登山鉄道の小田原〜箱根湯本間は三本レールという珍しい線路になっている。


 

左:僕が子供の頃は、このタイプの大きな非常ブレーキのついた電車、特に路面電車では沢山見かけたのだが、随分久しぶりに出会った気がする。
右:吊り掛け式モーターの古強者だったが、それでも戦後生まれであった。


上:運転台。一応運転室が客室と仕切られているのだが、運転台は左側ではなく真ん中にある路面電車タイプであった。ノッチハンドルが真鍮製なのもいい感じ。


 

左:大平台駅。駅名表示が琺瑯製である。
右:これは宮ノ下駅で見つけた琺瑯看板。


上:雪の宮ノ下駅。


 

左:構内踏切も最近はあまり見かけない。
右:駅舎内部。富士屋ホテルの宣伝が見える。


左:一夜明けて、雪も殆ど消えた。これはかつて富士屋と並ぶ格式を誇った高級旅館、奈良屋の惨状。この素晴らしい宿を乗っ取った下品な成金資本、「リゾートトラスト」はそれを生かすどころか徹底的に破壊してしまったのだ。品格がなく、見識が低く、人間というよりマントヒヒに近い。


上:宮ノ下の国道一号線に沿って、銅葺和風屋根の洋館が多い。富士屋ホテルの影響だろう。これもその一つ。最近カフェに改装されたらしい。古い建物を活かすのはよいことだが、ちょっとぴかぴかにし過ぎの感もある。道を挟んで反対側、この写真では車の真後ろに写っているのが富士屋ホテルのショップ「ピコット」。リーガロイヤルホテルの「メリッサ」のようなものだが、些か店の造りが安っぽいのが気になるところ。

上:三月、落葉樹に葉のない時期ではあるが、それでもあまりよく見えない。これが有名なクラシックホテル、「富士屋ホテル」である。


上:富士屋ホテルは明治から昭和初期まで、何度か増築されている。


上:友人のアンティークショップ、「箱根光喜號」二階窓より見た、富士屋ホテル。天気はよくない。


上:これも「箱根光喜號」前から見た富士屋ホテル。


 

左・右:富士屋ホテル。


 

左:メインダイニングの入口が右端に見える。
右:入口のアップ。木製の回転ドアである。


上:地下に設けられた、車用のメインエントランス。


 

左:その真上にある、徒歩用のメインエントランス。
右:別棟。とにかく全て和風の意匠である。


 

左:メインエントランスのアップ。鶴の彫り物がすごい。扉はもちろん木製回転扉。
右:これも富士屋ホテルの部分。


上:斜面に建っているので、様々な角度で眺めることができる。

上:聊か不鮮明なるが、富士屋ホテルの欄間彫刻。洋風建築を徹底的に和風意匠で埋め尽くしている。


上:地階正面玄関から一階ロビーへの階段もこの通り。


 

左:これが友人の店「箱根光喜號」。大正八年に箱根宮ノ下郵便局の庁舎兼住宅として建てられた木造二階,地下一階の洋館である。
右:この通り、周囲は骨董街でいい建物が多い。


上:これも宮ノ下の骨董街。


 

左:一階事務室の繊細な天井。漆喰装飾ではなく見事な型押鉄板である。
右:壁面も型押鉄板が使われている。


上:旧事務室天井前傾。照明器具はオリジナルではない。右側に少し見えている硝子窓が郵便局時代の窓口である。


 

左:窓口を内側、つまり旧事務室側から見る。事務室は広いが、客用の営業室はかなり狭い。
右:窓口の開口部。アーチ型になっているのが判る。


 

左・右:窓口を外側、つまり旧営業室側から見る。元々はこの営業室がこの建物のメインの空間だったのだが、今では店舗の玄関ホール兼風除室といった感じになっている。


 

左:旧事務室内部。ここが現在の店舗としての主要部である。壁面に斜めに窓が切られているのは二階への階段。
右:これが階段内部。ここからはパブリックゾーンではなくプライベートゾーンで、靴を脱いで入るようになっている。


 

左:便器や洗面台は新しいものになっているが、雰囲気は大正時代のままの便所。
右:奥の座敷にはぐるっと縁側が巡っている。

上:住居部は使われていない。


上:元郵便局だけあって、とても渋い天秤が置いてあった。


上:座敷の窓から見下ろした奈良屋旅館跡地。すっかり更地にされてしまっている(*´Д`)=з


 

左:一階から見た、地下への階段。実は道路より敷地が一階分低いので、地下室といっても地中ではない。
右:二階。元は事務所スペースだったところが後年生活の場とされていたようだ。


 

左:二階、間仕切りの硝子障子に貼られたピースマークが時代を感じさせる。
右:二階主室。上げ下げ窓が本格的洋館であることを示す。


 

左:二階、階段口方面。
右:ぜんまい式プラスチック製目覚まし時計。70年代のものだろう。


上:一階旧事務室(現店舗)には逓信省マークの入った古い金庫が置かれている。


 

左:金庫の扉。
右:今ではこのように商品を陳列して使われている。


 

左・右:旧営業室の天井飾り。こちらは型押鉄板ではなく漆喰装飾である。


「箱根光喜號」

神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下
0460-2-5776
箱根登山鉄道宮ノ下駅下車五分
箱根登山バス宮ノ下バス停すぐ

上:これも富士屋ホテル前の老舗骨董店。銅葺き屋根、玄関の上部は唐破風になっている。


 

左・右:宮ノ下温泉からすぐ隣の底倉温泉に歩いていく途中にある廃墟。完成前に放棄されたようだ。有料駐車場として使用されている。


 

左・右:これもその並びの廃墟。こちらはちゃんと使用されたのちに放棄された建物である。旅館の寮かなんかだったらしい。


上:これも底倉の廃墟。元々はドライブイン、食堂だったようである。


上:その先に見えてくるのがこれ、「函嶺」である。大正時代に建てられた洋館造りの医院建築が、そのまま日帰り温泉施設になっている。日帰りのみならず、格安で宿泊もできるとのこと。


 

左:「函嶺(かんれい)」の看板。
右:「函峰」の玄関部。上部に後付された部分がちょっと残念。


上:「函峰」全景。


 

左:一階の窓。
右:同じ部分を二階まで入れて写す。


 

左:玄関の上部。
右:玄関脇の飾り窓。

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