骨董建築写真館 甲子園界隈・上篇
骨董建築写真館

甲子園界隈・上篇

甲子園は、廃川となった武庫川の支流枝川の河川敷とその一帯を大正年間に阪神電鉄が一括して開発した、古くからの高級住宅地である。野球場、テニスコート、遊園地、海水浴場などを完備し、広い歩道を持ったメーンストリート(枝川の川筋)には路面電車が走り(75年に廃止となった阪神電鉄甲子園線)、当時としては最先端のモダンシティであったのだ。
震災でかなりの被害を被ったとはいえ、ハイカラな時代の面影を今に伝える建造物はまだまだかなり残っている。西宮市に生まれ育ち、文豪谷崎潤一郎の傑作「細雪」の世界をこよなく愛する僕としては、このHPのギャラリーの最初に故里である甲子園を躊躇なく選んだ。

旧甲子園ホテル

正面玄関より東翼を見る

正面玄関。回転扉は木製である。

龍山石に繊細な彫刻が施されたロビーの柱頭。シャンデリアも竣工当時のオリジナルが残っている。

ロビー東脇の間。龍山石製暖炉のデザインに注目。

旧甲子園ホテルは、第一阪神国道(二号線)の武庫大橋西詰北側、武庫川の土手に面した風向明媚な屋敷街に森を伴う広大な一角を占める。
昭和の初め(1930年竣工)、帝国ホテルや阪神電鉄の出資によって建てられた超一流のシティリゾートホテルで、当時は「西の帝国ホテル」と称されたそうである。それもそのはず、建物も旧帝国ホテル(玄関部分のみ博物館明治村に移設)に大変よく似ている。
旧帝国ホテルは、二十世紀を代表するアメリカの大建築家、フランク・ロイド・ライトの作品である。そして旧甲子園ホテルは、その日本人の愛弟子、クリスチャン建築家遠藤新(あらた)の作品なのである。師の手法を完全に自家薬籠中のものとした遠藤は、「ライト式」と呼ばれるスクラッチタイルと大谷石の幾何学的様式に日本的なモチーフを加味し、素晴らしいホテル建築を実現したのだ。石材として大谷石より強度の高い龍山石を用いているため、築後七十年以上が経過した現在でも風化風蝕の害をあまり受けていない。内部や外壁に、打出の小槌のレリーフが多く見られる。
この建物、ホテルとしては不幸な道を歩んだ。第二次大戦が始まると海軍病院として接収され(野坂昭如氏の傑作「火垂るの墓」の中にも海軍病院として登場)、敗戦後は進駐軍の将校倶楽部としてしばらく用いられた後は長く廃墟として放置されていたのだ。
その後学校法人武庫川学院が政府よりこれを買い取り、庭園も含め忠実に旧状に復し、現在は大学院やセミナーハウスなどとして大切に用いている。とても意義深いことである。西宮市の文化財にも指定されている。平日午後四時までは自由に見学できるので、少しでも建築や阪神間の都市文化に興味のある人間にとっては必見である。
見れば見るほど、素晴らしい建物である。是非に宿泊したいものだと思う。アメリカなどでは、大学の観光学部に付属する実習用のホテルがよくある。武庫川女子大学も観光学部を設置するか観光専門学校を設立し、ここを実習用ホテルとして活用すればどうだろうか? 通年営業しなくても、年間数ヶ月の営業でもいい。実現すれば夢のような話なのだが・・・・・・。

左:旧フロントと事務室を仕切るガラスレリーフ。打出の小槌の図案である。
中:ロビー西脇の間の暖炉。
右:ロビーの大シャンデリア。

左:北側前庭から東翼客室棟を見上げる。
中:南側庭園より中央部を見る。
右:西翼一階南テラスにある打出の小槌をモチーフにしたレリーフ。

旧新田邸(松山大学温山記念館)

左:百軒樋川対岸からの全景。前庭の広さに注目!!
右:門より見た母屋の全景。裏には塔もある。

旧甲子園ホテルのすぐ近く、豪壮な邸宅が立ち並ぶ甲子園口の一帯にあっても一際目を惹くのが、このスパニッシュ・ミッション様式の旧新田邸である。敷地は何百坪あるのだろうか、塀の外の前庭だけでも家が何軒も建てられる広さがある。伊予松山から青雲の志を抱きて花の大阪に上り、ベルト製造業で財を成した新田温山翁の旧邸である。
これもやはり昭和の初め、1928(昭和3)年の建築で、設計者は温山翁の娘婿でもある木子七郎。京都の名門宮大工棟梁の家に生まれ、東京帝国大学建築学科で西洋建築を修めた異才の作品なのである。
現在は新田家の子孫により、翁が創立した松山大学(旧制松山高等商業学校)に寄贈され、翁の号を冠した記念館として活用されている。人様のお宅ではないので覗き込んで写真を撮ったりも出来る訳だ。事前に連絡してお願いすれば、見学も可能。

左:旧新田邸のアーチ窓。上部がステンドグラスになっていることが判る。
中:我々の大先輩、「新アララギ」の歌人M先生のお宅の門。まさに「細雪」の世界である。
右:同じくM邸の蔵。ギャラリーとして活用されている。

M先生は僕の師匠とほぼ同年輩、従って我々にとっては大先輩ということになる。我が家から歩いていけるのでお宅には何度もお邪魔しているが、いつも溜息が出そうになるほど素敵な雰囲気が漂っている。甲子園口界隈にはこのような戦前からの旧家がまだまだ沢山並んでおり、阪神間の往時を偲ばせてくれる。M邸は純和風数寄屋造りの邸宅で庭も広大な日本庭園だが、やはり応接間は洋風で昔の建物だから天井には華麗な漆喰細工がある。先の大震災では相当な傷みがあったが、鉄筋に建て替えたりせず大切に修復なさった由。さすが芸術家でいらっしゃる。かくいう我家も昭和初期の木造和風で震災ではかなり傷んだが、瓦を全て替えるなど大修復工事の末に何とか残したのである。死んでもコンクリート打ちっぱなしの悪趣味で下品な現代建築などには建て替えたくない。
このように浜甲子園から上甲子園にかけて、風情ある路面電車であった旧阪神電車甲子園線の沿線両側には、四季折々の表情を楽しみながら散策できる気持のいい住宅地が広がっており、武庫川の河原も甲子園浜も近い。歩きに来られる前に、ビデオで映画「細雪」(市川昆監督)を観られればよかろう。甲子園が誕生した時代の阪神間の雰囲気を知るには、かなりの参考になる。そろそろ散歩には一番いい季節がやってくる。甲子園は起伏のない平坦な街なので、相当の距離を歩いてもそれほど疲れることもない。お薦めのコースである。



上左:JR甲子園口駅東側、東海道本線の土手を貫くトンネル。増線により何度も拡幅されているが、内部には明治期の赤煉瓦が残っている。
上中:拡幅部分の継ぎ目。かつての縁石が見える。
上左:甲子園口駅北口前の古いマーケット。
下:震災にもめげず、戦前の駅舎が残っている甲子園口駅北口。

トップに戻る          甲子園界隈・中編