左:阪神甲子園駅ガードの橋脚。枝川が廃川になるまでは甲子園駅も武庫川駅、夙川駅、芦屋駅同様川の上の橋上駅舎であった。明治の開通当初のものか、大正期の架け替えかかは不明なるも、見事な装飾の入った年代物の橋脚である。
中:甲子園駅南側、東改札を出たところ、バスターミナル付近の松林。枝川の堤防であった時代の雰囲気が僅かながら残っている。
右:年代は不明なるも、見ようによってはモダニズムスタイルの甲子園駅舎。
左:阪神甲子園駅から阪神パークにかけて、旧電車道(現甲子園筋)に並ぶセメント彫像群。随分少なくなってしまったが、これもかなり古いものである。
右:大正後期のの巨大建造物である、阪神甲子園球場(旧阪神甲子園大運動場)。
西宮市に、甲子園と名のつく町は甲子園一〜九番町、甲子園高潮町、甲子園六石町、南甲子園1〜3丁目など全部で三十六あるそうだ(丁目に別れている町は丁目毎に一町とする)。西宮市の南西部、旧武庫郡鳴尾村の大半を占めている(一部は旧武庫郡今津町に属する)。阪神甲子園駅はその甲子園を南北に貫くメインストリートである旧電車道の丁度中央付近、上甲子園と浜甲子園の間にあり、市内最大のバスターミナルのある特急停車駅(平日デイタイムは快速急行以下のみ停車)である。
左:巨人の選手が激昂する阪神ファンにするドツカれずに(笑)バスに逃げ込むための陸橋。三塁側ベンチ裏である。
中:如何にも大正期らしい幾何学的装飾の入った重厚な通用門。これが明治期ならもっとネオ・ルネサンス様式、フリー・クラシック様式等の具体的な装飾になる。
右:階段の親柱の渦巻き装飾も時代を感じさせる。
甲子園球場は大正時代の建物として、日本で最も有名であるといっても過言ではないだろう。野球嫌いだろうが運動音痴だろうが、日本人でその名を知らぬ者はあるまい。コンクリート打ちっ放し蔦仕上げという他に例のない外壁は、工期の短縮のために採られた苦肉の策だそうだが、圧倒的ボリューム感のある壮大な建造物は見る者に一生忘れられないほどの強い印象を与える。同時代の建物の大半は、明治期の純古典様式から徐々に離脱しアール・デコ、ゼセシオン(ドイツ表現主義)等新しい時代の潮流を受け入れつつも、まだまだ旧時代を脱していなかった。その時代にほぼ無装飾のコンクリート打ちっ放しという現代に通じる姿で現れた巨大な球場は、当時の人々には今以上に印象深かったはずである。
しかし勿論、全く実用一点張りで芸術性の欠片もない現代建築とは違う。あくまで大正時代の建築であるから、ストイックな中にも随所に美しい装飾が施されている。。今回取材できなかったが、貴賓室など実に美しいアール・デコの装飾で満たされており、上篇で紹介した旧甲子園ホテルのロビーにも決して引けを取らない空間なのである。
左:ベーブ・ルース来日記念碑。伝説的ホームラン王は甲子園でもホームランを打ったとのこと。
中:球場一階にはこのような美しいアーチ窓がぐるりと一周続いている。
左:外野席への通路。
スコアボード背面。スコアボードのみ電光化に伴って建て替えられたので、二代目である。こちらが南側で、このまま一キロほど南に行くと甲子園浜に至る。