旧作補遺大阪篇・其ノ九
ミクシィ「近代建築/廃墟と戦跡/近代化遺産」コミュニティオフ会篇㊦



上:2005年2月26日、吹雪の中敢行したミクシィ「近代建築/廃墟と戦跡/近代化遺産」コミュ大阪オフ会、後編である。作成しているのは2009年2月13日なので、ほぼ四年前の写真ということになる。これは心斎橋筋淡路町の角、板谷歯科医院、リフォーム前の姿である。このビルは2009年現在も大切にされているが、2007年にリフォームされ、この表札もステンレスの枠が付けられるなど若干雰囲気が変わっている。右書きで、「ドクトル」である。非常にいい。



 

左:板谷ビルヂング全景。このように角地に面し、一部をロマネスク風のにしてスクラッチタイルで覆い、あとは結構モダニズムっぽい造りにしてある、個性的なファサードを持つ。三階は番組制作プロダクションが入っていて、僕も一緒に仕事をしたことがある。年代、設計者とも不詳だが、大正後期とのこと。
右:淡路町通から見た、板谷ビルの南側ファサード。



上:木造洋館風町家として著名な、淡路町通の清水猛商店。板谷ビルの斜め向かいである。1923(大正12)年、住友の建築家小川安一郎の作品。



左・右:淡路町通の北側に位置する、清水猛商店。とにかく寒かった(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル。内部は店舗部分が土間で、あとは和室という町家の造りだったそう。



上:そして三休橋筋に面した重要文化財、日本綿業倶楽部のクラブハウス、綿業会館である。1931年、巨匠渡邊節の設計で建てられた、華麗なるギルドホールである。大阪倶楽部や故・交詢社倶楽部が英国式の会員制社交倶楽部であるのに対し、日本工業倶楽部、中央電気倶楽部、そしてこの日本綿業倶楽部などはクラブとはいえ同業組合なので、英国式に言えばむしろギルドホールであろう。会館直後の32年には国際連盟のリットン調査団が訪れている。リットン卿とはフルネームをVictor Alexander George Robert Bulwer-Lytton, 2nd Earl of Lyttonといい、印度総督も務めた英国の伯爵である。



 

左:三休橋筋は狭いので、全景を撮りにくい。なお、放射能汚染で人類滅亡を目論むガミラスのごとき悪の秘密結社関西電力の悪辣極まりない非道の振る舞いに対し、常に紳士的で文化的な企業である大阪瓦斯の計らいにより三休橋筋にはガス灯の設置が進んでおり、現在では綿業倶楽部前には道の両側にガス灯が並んで美しい景観を作り出している。



 

左:綿業会館玄関付近。実に繊細で美しい。
右:綿業倶楽部のすぐ南側にある、鹿児島銀行大阪支店。これは最早戦後、1952年の作品らしいが、やはり渡邊節らしい美しく気品あるアール・デコ調の建物である。ステンレスの装飾が素晴らしい。



 

左:鹿児島銀行大阪支店ファサード。
右:堺筋本町の角にある、早稲田屋シャツのビル。現在は珈琲館が入っているが、1935年築の近代建築である。



 

左:堺筋の明治屋ビルヂング。色々検索していると、輸入食料品商として、そしてジャムなどのMyブランドで有名な老舗である明治屋を知らないやつもいることに驚かされる。まぁ「ハイカラな舶来品」などとは無縁な育ちだったんだろうなぁ。大正末期の1924(大正13)年、曾穪中條建築事務所の作品である。大正期のオフィスビルとしては相当大規模かつ高層である。当時の明治屋というのがいかに一流の大企業であったか、ということがよく解る。舶来食品なんて、ものすごくハイカラで庶民には手の届かないものであったろう。そしてその頃の船場には、そういった高価なものを自由に買える富裕な豪商が沢山住んでいた、ということも解る。
右:如何にも大正末らしい装飾の薄い明治屋ビルヂングだが、屋上の塔はこの通り立派なもの。



 

左・右:一階はもちろん、明治屋ストアーになっていたのだが、あれ、改装中かなぁと思って見てみれば、なんと閉店であった・゚・(ノД`)・゚・。ウワァァァン! そのあと、あろうことか一階店舗はローソンとなり、現在に至っている。あのなぁ……。明治屋という会社、現経営陣は相当に無能なのだろうか。そりゃコンビニに貸せば家賃は入るだろうけれど、この立地(堺筋本町駅からすぐ、大阪の都心中の都心部)もこの立派な文化財級建築も全く活かしていない。明治屋の食料品を売っていても儲からないなら、小洒落たレストランにでもすればいいではないか。そもそも明治屋グループには「明治屋中央亭」という洋食屋部門もあるんだし。



 

左:角の店舗入り口のほか、堺筋に面してオフィスビル部分の玄関がある。
右:オフィス部玄関の天井装飾。



上:同じく明治屋ビルディング。



上:このあと、堺筋本町から地下鉄中央線に乗り、本町で御堂筋線に乗り換え、淀屋橋で下車したようだ。この写真は淀屋橋駅らしい。
民営化と並ぶ自民党の悪政の象徴といえば「平成の大合併」だろうが、それによって政令指定都市も粗製濫造され、いまや一体「何大都市」なんだか判らない状況であるが、戦前からの、つまり近代国家としての日本に於ける本当の大都市といえば「六大都市」であり、神戸、大阪、京都、名古屋、横浜、東京の六都市である。その中でも「戦前から地下鉄が走っている都市」「総延長百キロ以上の巨大地下鉄網を持つ都市」は大阪と東京の二つだけ。地下鉄も路面電車もない新潟や静岡が「政令指定都市」として大都市面するなど、率直に言って片腹痛いのだ。
因みに「日本で最初の地下鉄」は東京の銀座線で、1927年の開通である。銀座線に乗ったことがある方なら、あの狭苦しくせせこましい小さな駅や車輛を思い出されるであろう。「昔なんだからそれでも大したもの」と思ってはいけない。この写真をご覧あれ。御堂筋線の開通は銀座線に遅れることわずかに六年、1933年なのだ。この広々として天井の高い駅舎、後年の改装の結果こうなったのではない。オリジナルなのである。しかもこの長大なホーム。現在は十両編成の電車が最短二分間隔で走っているが、当時は一両だったのだ。それでも将来の需要を見越して、これだけのものを作っていたのである。「先見の明」とはまさにこのこと。当時の市長、関一が如何に偉大な人物だったかを示す一例であろう。



上:そして登録有形文化財、芝川ビルヂングである。当サイトではつい最近「旧作補遺大阪篇・其ノ六」でも紹介したところ。詳細データはそちらを参照されたし。



 

左・右:玄関付近。当時はこのように、あまりお洒落とは思えないお店が入ったりしていた。



 

左:正面玄関風除室の天井。
右:心斎橋筋側のこの裏口は、今では仏蘭西風越南料理店「リヴ・ゴーシュ」の入り口になっている。



上:当時、三休橋筋の西側が工事中であったので、このような位置から日本基督教団浪花教会と、旧大中證券(日本教育生命保険舘)を見ることができた。この工事現場は、現在は極右田母神お手盛り賞金で悪名高い右翼結社、アパホテルになっている。この二棟の詳細データは「旧作補遺大阪篇・其ノ五」などを参照のこと。



上:浪花教会と大中證券。



上:悪名高いフランス料理店「シェ・ワダ」として使われていた大中證券ビル。左の古い町家は「高麗橋吉兆本店」である。



 

左・右:三休橋筋を更に北上。大正初期の煉瓦建築を昭和初期のテラコッタでデコレーションし直した八木通商大阪本社ビル。これもデータは省略する。



上:「近代日本の原点」そのものである、適塾。よくぞこの都心で江戸時代の建物が残っている。奇跡である。



 

左:適塾の斜め向かいにある、いつ誰が建てたのか一切不明の近代建築。戦前のものであることは間違いあるまい。
右:日本生命館を裏から。世界最大の保険会社の本店にふさわしい、威風堂々たる重厚なビルヂングは1935年、長谷部鋭吉の設計で建てられたもの。



 

左・右:これは極めて貴重な写真となってしまった。故・大阪市立愛日小学校である。再開発されて、いまや跡形もない。1929年竣工、横浜勉の作品であった。



 

左:愛日小学校の玄関。モザイクタイルが美しい。
右:最早戦前のクラブハウス建築を維持している本邦唯一の老舗英国風社交倶楽部となってしまった、社団法人大阪倶楽部。僕がエグゼクティブアドバイザーを務めている我が国トップのバロック音楽演奏団体「日本テレマン協会」のマンスリーコンサートの会場である。大正13年、安井武雄の作品。



 

左:大阪倶楽部西側ファサード。
右:今では「大阪一」との評価も聞こえるイタリア料理店「ダル・ポンピエーレ(消防士)」として見事に再生されている、大阪市消防局東消防署今橋出張所。この頃は廃墟同然の空ビルであった。昭和初期、ゴシック様式の小品である。



上:更に西進、西区の西船場地区に入った。江戸堀の金光教玉水教会。登録有形文化財である。設計は池田谷建築事務所、1935年。屋根の向こうに見える醜悪な巨大物件は邪悪な関西電力のアジトである。



 

左:元々は住宅だった、登録有形文化財の江戸堀コダマビル。旧児玉竹次郎邸で竣工は1935(昭和10)年、設計山中茂一・岡本新次郎(岡本工務店)であった。
右:これも超有名物件、日本基督教団大阪教会である。1922(大正11)年にウィリアム・ヴォーリズの設計で建てられたロマネスク様式の大教会。



上:中之島、リーガロイヤルホテルの裏手にある旧小学校らしき近代建築。



 

左:土佐堀通のダコタハウス。大正末の建築といわれている。
右:すっかり日が落ちた。邪悪で野蛮な関西電力の悪辣極まりない関係によりもうすぐ破壊される、大阪ビルヂング。渡辺節の傑作、それも綿業会館より古い大正14年の作品である。東京の丸ビル亡き今、現存する唯一の大正期の大規模オフィスビルといっていい。明らかに重要文化財級である。関西電力は、大阪は、日本国は、このビルを破壊しようとしているのだ。



上:大谷石もしくは龍山石だろう。狐の彫刻がある。傷みが激しく、セメントで補修されている。



 

 

上五枚:いずれもダイビル(大阪ビルヂング)本館。



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