旧作補遺大阪篇其ノ伍(2004年撮影分)
上:本日、2009年1月30日である。約五年前、2004年に撮影しながら未整理だった分を旧作補遺としてアップする。まずは港区天保山にて見つけた、全て不詳の古い物件。木造二階か? このスタイルだと、昭和一桁から三十年頃まで可能性があるので戦前かどうかは断定できない。撮影日は4月4日。
左・右:この写真を撮影した当時(4月10日)はまだ現役写真館だった、藤中橋筋(堺筋の一本西)の「写真のツバメヤ」。検索しても全くヒットしないが、戦前のモダニズム建築の可能性もある。曲面硝子のショーウィンドウが非常にお洒落。ロゴもよい。建物は現存、島之内地区なので最寄駅は長堀橋である。
上:ここから4月24日の撮影である。旭屋書店天王寺MIO店での講演のために撮影して回ったように記憶している。
まずは中之島、日本銀行大阪支店である。このサイトでは初出ではない。明治36(1903)年に辰野金吾博士の設計で建てられた、ネオ・ルネサンス様式の端正な舘。実は外壁保存の上改築されたのだが、緑青のドーム屋根も復元され、外観では判らない。内部も玄関ホール、主階段、貴賓室などそっくり復元されている由。博物館があるので、予約すれば入館可能。
上:既に新緑の季節となってしまっていたので、木々が非常に邪魔であるが、大阪府立中之島図書館(重要文化財)。こちらもネオ・ルネサンス様式の壮麗な建造物。1904(明治37)年に落成、開館した。皇別摂家であり五摂家筆頭である近衛公爵家からの入り婿であった春翠・住友吉左衛門友純男爵(住友宗家15代当主)の寄贈で、設計は住友家お抱えの建築家野口孫一であった。
左・右:大阪府立中之島図書館の、威風堂々たる玄関。これほどのコリント式オーダーはなかなかない。
左・右:中之島図書館玄関付近。
左:中之島図書館の門灯。素晴らしい一品である。
右:横から見た玄関。
左:図書館側面。
右:基壇部はルスチカ積みとなっている。地下室窓の鉄格子の優美な細工に注目のこと。
左:中之島から土佐堀川の対岸を見る。この界隈は「北浜」と呼ばれ、兜町と並び日本の証券業の中心地をなす。古くは江戸時代、米相場などが立っていた地域である。この茶色いタイル張りのビルは21世紀に入ってからのごく新しいものだが、それにしては非常にセンスがよく、時計台も備えている。光世証券本店である。2001年、永田・北野建築研究所。
右:大阪のみならず日本屈指の老舗理髪店であり、高級理髪店である、「吉田理容所」。三休橋筋の北端近く、中之島から栴檀の木橋を渡り、土佐堀通との交差点から南下してすぐのところである。1930年開業なので、この長屋はそれ以前の建築ということになる。
上:同じく吉田理容所。せっかくのよい建物なのに、その価値をわかっていないテナントが多いのが嘆かわしい。
上:おそらく1950年代のものだろう、レトロなモダニズム建築、萬成ビル。土佐堀通である。左側にチラッと見えているのは大阪市庁。
左:土佐堀通より一筋南、今橋通に面した小さな事務所ビルヂング。戦前のものと思しいが、左(西)隣の建物と分かれておらず、棟続きとなっている。これは珍しい。従って見た目は洋風のビルヂングだが、木造三階の町家だと思われる。
右:大阪都心部では極めて珍しい近世の町家である。何を隠そう、緒方洪庵の適塾なのだ。ここから日本の近代は始まったのである。
上:重要文化財大阪市立愛珠幼稚園。1880年の創立、そして現園舎は20世紀最初の年、1901年に建てられた。建築原案は保母の伏見柳。この時代に女性が建築を担当したということも特記すべきだろう。
左:同上。一見和風だが、当時の最新の知見に基づいた、幼児教育理論に基づいて建てられている。
上:同上正門。江戸時代には銅座が置かれていた土地である。
上:2008年に破壊されてしまった、旧銀行建築。最後の名前は「ニッセイ二号館」だったようだ。愛珠幼稚園の斜め向かい(南西)であった。第三帝国様式(スターリン様式)の美品であったが、詳細不明。昭和十年前後のものとは断言してよかろう。
上:見事なアラベスク模様のテラコッタに覆われた、八木通商大阪本社ビル。
左:八木通商こと、旧大阪農工銀行本店の正面玄関。このデコラティブなファサードはほかに例を見ない。
右:八木通商ビル北西角。街路に面した部分は1929(昭和4)年に国枝博の設計で、「当時の最新流行」スタイルに改装されたもの。右側、つまり隣の建物に隠れる部分はこの建物が昭和のものではないことを物語っている。元々は1917年(大正6)年に名門、辰野・片岡建築事務所の設計で建てられているのだ。辰野のものとしては最晩年であるので装飾などゼセシオン(ドイツ分離派)の影響が見られるが、しかし赤煉瓦と御影石を用いた「辰野式」だったのだ。
左:三休橋筋に二つ並ぶ近代建築。辰野式の赤煉瓦は辰野・片岡建築事務所による旧大阪教育生命保険館、1912年の作品である。長らく大中証券本店となったあと、この写真を撮影した頃は値段だけは超一流のフランス料理店「シェ・ワダ」となっていた。当然「シェ・ワダ」はすぐにつぶれ、今はウェディングレストランになっている。奥に見えるネオ・ゴシック様式の教会は日本基督教団浪花教会。課のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計指導(実施設計は竹中工務店)で1930年に建てられた、旧日本組合基督教会の教会である。邪悪で野蛮で人を愛さず裁くことばかり熱心で権威主義で主の救いから非常に遠い改革長老派のゴミどもがのさばる日本基督教団にあって、旧組合教会の伝統を今に受け継ぐ自由な教会として今に続いている。創立は古く1877年で、日本最古のプロテスタント教会の一つ。聖堂にはパイプオルガンがある。
左:旧大中証券本店玄関。角地に設けられている。
右:浪花教会の玄関。鐘楼の真下に開口する。ゴシックアーチの連なりが美しい。
左:聖堂のゴシックアーチ窓。ステンドグラスではなく、窓枠に直接色硝子がはめ込まれている。
右:教会玄関。ドアの窓もゴシックアーチである。階段手すりの曲線が痺れるほど美しい。この階段を上がると、二階が聖堂なのだ。
上:教会の定礎石。この時代の「紀元」だと「皇紀」であることが少なくないが、基督教会なのでもちろん西暦で記されている。
上:二階、聖堂前の大時計。精工舎の手巻きの一品である。ちゃんと動いている。素晴らしい。
上:組合派の教会にこの形式が多く、日本基督教団大阪教会、日本基督教団島之内教会などと同じく一階はホールになっている。右から左に「社交室」と書かれているのが渋い。
上三枚:教会内各所に右書きの銘板が残されている。
左:階段の照明。
右:社交室の扉。ここにもゴシックアーチが。
左:地下の廊下。
右:三階(パイプオルガン)より上へは、階段ではなく梯子となる。
左:鐘楼四階。物置となっていた。
右:鐘楼五階。最上階だが、鐘は設置されていない。
上:古い調度品などが飾られた一角。
左:聖堂正面。いかにも組合派の教会らしい、簡素でありながら優美な造形である。
右:聖堂背面。本来は聖歌隊席に当るギャラリー部分だがパイプオルガンだけでいっぱいになっているので、礼拝の際、聖歌隊は信徒席に陣取ることになる。
上:聖堂内より窓を見る。
上:百年以上前のリードオルガン。大変貴重なものだが、美しく修復されて演奏可能な状態で維持されている。
左・右:美しい曲線美を誇る主階段。
左:地価の男子トイレ。大理石の仕切り、そして壁や床は人造大理石である。
右:女子トイレの扉。
上:道修町に残る、古い町家。この界隈だからおそらく薬種問屋だと思われる。
左:丼池筋に残る古い蔵。玄関付近の装飾が洋風である。
右:その隣にある地味ながら戦前のものであるビルヂング。一切データは不明だが、奥に見えている不細工な現代建築は旧藤沢薬品本社。東京の三流毒薬会社山之内製薬と合併し、明日照らすとかいうふざけた名前となり、あろうことか道修町から本社を東京に移したという俗悪な低級企業である。
戻る 次へ