奈良篇U



 

左:2009年6月2日、龍丸と二人奈良県橿原市の今井町を訪ねた。まずは最寄駅、近鉄の大ターミナルである大和八木駅前にて。喫茶店の看板なのだが、「(恋人)フランス語」とわざわざ注記してあるのが笑えたww。
右:これも駅前の散髪屋さん。市内局番が一桁なのもレトロだが、屋号が「仏光」である。螺髪が得意そうだ(笑)。



 

左:すごい「踏切」。警報機も遮断機もないのは勿論、敷石なども何もなく、全く何の加工もされていない普通の、剥き出しの線路である。単線のローカル線だし国鉄かと思いきや、線路幅が広い。1435ミリゲージである。これは近鉄橿原線と近鉄大阪本線を結ぶ渡り線(連絡線)なのだ。
右:お下劣な電柱広告なのだが、色が色なので実に目立たなかった。



 

左:大和八木駅と八木西口駅は殆ど離れていないので、どっちから歩いてもわりとすぐに今井町に至る。
右:重要伝統的建造物群保存地区隣接地域ということで気を使ったのだろうか、こういうアパートが建っていた。



 

:国鉄桜井線のガード。赤煉瓦の橋脚である。1893(明治26)年の開業当時のものだろう。これも立派な文化遺産である。
右:蘇武橋の袂の大榎。今見ると、この立て看板だけ撮って、肝心の榎は撮っていない。とことん自然には興味のない人間なんだなぁ(笑)。実際木なんかどうでもいい、としか思っていないが。ともあれ僕は使い勝手の悪いグーグルマップが大嫌いでマピオン派なのだが、マピオンの欠点は路線名、橋名などの記載が少ないことである。



 

左:これが蘇武橋。一応赤い欄干に擬宝珠がつけられているが、ピカピカの新しい橋で情趣に欠ける。風雪を経れば多少はましになるだろうが、何しろ欄干の土台は剥き出しのコンクリートだし、あまり期待できない。
右:橋を渡ると、いきなり寺内町の街並みが始まる。当サイトで今井町を紹介するのは二度目なので、詳細な解説は旧作補遺奈良篇U(当麻寺、今井町)をご覧頂きたい。



 

左:いきなりこういう町家がずらっと並んでいて、圧倒される。
右:蘇武橋から寺内町に入るとすぐ、この洋館がある。大正二桁〜昭和初期ぐらいだと思われる。



 

左:南都銀行もこのように白壁風の造りにしてある。
右:今井町は東西の通りが大通りで、主な建物も全て東西の建物に面している。従って南北の通りを歩くと、このように家屋敷の側面を見ることになる。



 

左:木製の牛乳箱。
右:重要文化財河合家住宅。造り酒屋の「上品寺屋」である。



 

左:河合家住宅の説明板。18世紀中頃の建物とのこと。携帯でバーコードを読み取って説明が見れる仕組みになっていた。
右:いきなりイタリアの地名が出てきて吃驚。クレモナロープってクラレの登録商標らしい。そもそも「ロープ店」って珍しい。



 

左:伝建地区なのだが、結構空き家が多く、中には廃墟化しているところもある。
右:ブロック塀が残念だが、いい街並みが続く。この酒屋さんなど「現代風」に改装されていたのを復元したものだそう。



 

左・右:甲麓庵歌會の会場として使わせてもらったこともある、橿原市立今井町まちなみ交流センター「華甍」。明治36年に高市郡教育博物館として建てられた、桃山御殿様式のなかなかに壮麗な建物である。



 

左:荒れつつある空家。
右:きちんと手入れされている町家。



 

左:人気のない路地、猫が一匹。えになる光景だった。
右:観光客は時折歩いている程度。平日とはいえ静かでよかった。



 

左:本当に静かで、町の人もあまり歩いていなかった。
右:造り酒屋だけでなく、造り醤油屋もあった。明治の終わりから「イヅツマン」を造っている恒岡醤油醸造本店である。



 

左:恒岡醤油の町家。
右:その西側に続く街並み。この東西の通りが今井町のメインストリート、「御堂筋」である。



 

左:今井町まちづくりセンターの庭にて。醸造に使うものだろうか?
右:廃墟の向こうに称念寺の大屋根が見える。



 

左:今井御坊称念寺の向いが今井町まちづくりセンターで、その隣りがこのように貸し店舗となっていた。とてもいい試みだが、とにかく観光客が多くないので、商売としてはあまり儲からないのではないかと心配になった。



 

左:今井御坊の鐘楼。
右:本堂の大屋根。結構痛みが激しい。十年がかりの大修理が始まったそうなので、これはその直前の撮影、ということになる。



 

左:庫裏の屋根もこんな状態。
右:境内にあったお墓。川井今西氏というと代々今井町惣年寄筆頭を務めた名家なのだが、お墓は普通、しかも新しい。



 

左・右:可愛いわんこがいたが、「犬にかまれても一切責任は負いません」などと怖いことが書いてあった(笑)。



 

左:広くない境内に巨大な本堂が建てられているが、相当痛んでいるのが判る。
右:これは町家の鬼瓦。翁のような顔が刻まれている。



 

左:豪壮な町家。
右:江戸時代から殆ど変わってないであろう路地。



 

左・右:完全な廃墟と化している町家もあった。勿体ない。手前の長屋も三分の一ほどだけ屋根が修理されているが、あとはかなり傷んでいる。



 

左:黒漆喰の町家。
右:どこまで行ってもこういう街並みが続く。素晴らしい。



 

左・右:今井町の西の端、環濠と土塁を巡らした城塞都市だった今井町の環濠に、城のようなその姿を映すこの豪壮な邸宅が、重要文化財今西家住宅。川井今西家の邸宅で、1650年に建てられたもの。



 

左:今西邸正面。
右:今西邸細部。



 

左:これも今西一族の邸宅。
右:今井町は「豪商と御坊を中心とした自治都市」である。勿論豪商だけが住んでいたのではないので、一般町人の長屋なども多数現存している。



 

左・右:あまり状態のよくない町家。早めの補修が望まれる。



 

左:何故だかナショナル坊やが黒く焦げていたσ(^◇^;)
右:昔懐かしい森永ホモ牛乳の木箱。



 

左:「奈良県新庄町」「忍海販売所」「電話 御所三八四一番」と書かれている。今の葛城市である。
右:とにかく静かで美しい街並み。



 

左:現役の民家なのだが、屋根が相当やばいことになっているσ(^◇^;)。
右:こちらはもう「空家」から「廃墟」に移行しつつある。



 

左:同じ廃墟。
右:店の奥は意外に荒れていない。



 

左:化粧品店だったようだ。
右:エアコン室外機をうまく隠している町家。雨樋も銅製の立派なものだった。



 

左:浪人が住んでいそうな長屋。
右:その側面。



 

左:奈良県は意外にも、富山についで製薬業が盛んなところである。「かぜ」「おにみみ」「みみづ配合」などとすごいことが書かれている。
右:土壁がいい雰囲気。



 

左:一部、電線の地中化が実施されている。
右:布団が干されている。ようやく生活感のある光景に出会った。



上:桃の鬼瓦。しかしかなり傷んでいる。



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