奈良篇V
左・右:前章に引き続き、2009年6月2日撮影の写真で構成する。奈良県橿原市にある重要伝統的建造物群保存地区、「今井町」の街並みである。いくつかの文化財建築がこのように公開されている。これは米谷家住宅。
左・右:玄関を入ると三和土の通り庭で、奥は台所となっていた。
左:立派なおくどさん。
右:いわゆる「ツシ(厨子)二階」造りであった。
左・右:庭から母屋を見る。
左:縁側は濡れ縁であった。
右:電柱が撤去された部分は、本当に江戸時代の街並みのように見える。
左:街灯が邪魔といえば邪魔だか、これはまぁ仕方ない。
右:左官職人によって再現された虫籠窓の見本。
左:伝統建築の建具、工法の見本。
右:虫籠窓の写真。
左・右:今井まちや館は今でも人が生活しているような雰囲気であった。
左:なんだか不思議な庭石であった。
右:「犬猫立入禁止」ではない。「犬猫立入危険」である。何が危険なのだろうか?!?!?!
左・右:今井町は防塁と環濠を巡らした城塞都市である。南側に、市門と土塁が一部だけ復元されている。但し堀に水がないので、雰囲気はいまいち。西側には水を湛えた堀が残っている。
左:廃墟と化した小規模な町家。
右:地蔵の祠の周りが猫の楽園となっていた♪
左・右:おヌコさまたち。
左:こちらが飼い主のお宅らしい。
右:今井御坊の裏手。こちらもかなり傷んでいる。
左:寺内町をあとにして、八木の街を畝傍駅へ向かって歩く。
右:国鉄畝傍駅近くの国鉄桜井線ガード。こちらも明治の赤煉瓦であった。
左・右:関西圏の主な近代建築は大体知っているつもりなのだが、これは知らなかった。畝傍駅すぐ近く、国道165号線初瀬街道沿いにある旧六十八銀行八木支店で1928年竣工、設計は舟橋俊一で登録有形文化財である。今は「La Bank」という結婚式場となっている。歴史的建造物を活かすのは非常によいことなのだが、フランス語なら「La Banque」となる。こういうミスは非常にとほほ感が漂うので避けて欲しいものだ(´ω`;)。
左:イオニア式柱頭はゼセシオンの影響が強く現れていた。
右:美しい琺瑯看板。
左:畝傍駅前広場の廃墟。
右:畝傍駅の駅舎の側面とホーム上屋。官尊民卑な時刻表などでは天下の近鉄大和八木駅を差し置いて「橿原市の中心駅」扱いを受けているが、単線のローカル線である国鉄桜井線の小さな無人駅である。
左:畝傍駅正面ファサードのうち、西半分。破風がある部分が貴賓室である。開業は1893年だがこの駅舎は1940年、国威発揚大日本帝国まんせー時代に橿原神宮の玄関口として建てられたので、皇族をはじめとする貴紳顕官の利用が想定された駅舎なのだ。
右:東半分が一般庶民用の玄関、コンコース、改札となっている。
左:畝傍駅コンコース。格天井であった。
右:今は無人の改札を通ると、この立派な階段がホームへ通じている。
左:なんと、梁には沢山の空蝉が。
右:ホームへの階段。西日が射してきた。
左・右:ホームにて。かつては長大編成のお召し列車なども到着したのであろう、やたら立派で長いホームであった。
左:ホームから見た駅舎。
右:別にパノラマ写真を撮るつもりはなかったのだが、こうやって並べるとほぼ左の写真とつながっている。跨線橋は残念ながら古くなかった。
左:複線なのは駅構内だけである。
右:ホームより改札を見下ろす。
左:大和信用金庫八木支店(やたら立派な建物なのは、元々は本店だったのが合併によって支店になったのだろう)のすぐ隣に、非常に豪壮な豪農邸宅があった。
右:なんとそのお宅、本来門があったであろう部分が洋館になっている。いわゆる「接客スペースとしての洋館」とは違うようだし、大正〜昭和初期に郵便局か醫院でもしていたのだろうか?
左:郵便局よりは醫院であったっぽい。
右:母屋の玄関は立派な式台玄関である。そもそもこの屋敷、町家でもないのに敷地がやたら細長い。ひょっとしたら、大和信用金庫の前身の創業者一族で、邸宅の一角を店舗にしたのかもしれない。
左:大和八木駅にて。阪神なんば線開通、近鉄奈良〜阪神三宮間相互直通運転開始からまだ三ヶ月経っていないころだったので、行先として「尼崎 甲子園 三宮」と阪神の駅名が表示されているのが非常にものめずらしかった。但し八木駅を通っているのは大阪本線、橿原線なので、阪神なんば線への直通電車はない。大阪本線で鶴橋に行って乗り換えるか、橿原線で大和西大寺に行って乗り換える必要がある。
右:近鉄奈良駅前にて、悪名高いせんと君が活躍していた。僕はインパクトが薄く他のゆるきゃらに埋没してしまうつまらないまんと君よりせんと君の方が個性的で好きなのだが、しかしせんと君をゆるキャラ扱いするのは許せない。どう見てもキモキャラである。
左:奈良女子大前の旧奈良警察鍋屋連絡所(旧北魚屋町交番所)。1897(明治30)年頃の建物である。
右:旧制奈良女子高等師範学校。この門と奥に見える本館は国指定重要文化財である。1909年、創立の翌年に竣工。
左:激しい怒りは伝わってくるが、ひどい悪筆の上、旧仮名、新仮名が入り混じっている。
右:この界隈、閑静な住宅地でこういう洋風住宅もちらほら散見される。
左:卯達を挟んでその隣りは「ちちろ」という町家カフェであった。
右:非常に昭和な雰囲気の半田アパート。
左:極めて可愛らしい洋館附設住宅。このタイプとしてはミニマムサイズだろう。
右:なんと門に菊の紋章をつけた民家があった。T邸である。
左:T邸全景。
右:かなり暗くなった頃、奈良国立博物館に到達した。1894(明治27)年に建てられた旧奈良帝室博物館である。作者はもちろん、宮廷建築家として名高い片山東熊なので、同じ作者の手になる京都国立博物館ともよく似ている。開館時の名称は帝國奈良博物館であった。
左・右:奈良国立博物館正面。
左・右:僕の陰が写っているww。
左:登録有形文化財の菊水楼旅館。
右:奈良ホテルにかけられていた鳥瞰絵図。
左:不審ヶ辻子町とはまた、すごい地名であった。
左:せんとくんの着ぐるみはなんともこもこ。これは余計に気持ち悪いww。
右:古都奈良の中心部、奈良町エリアにうらぶれたストリップ小屋があった。いい雰囲気である。
左・右:せんとくんとまんとくん、大喧嘩していたはずなのにいつの間にか手打ちをしたらしい(笑)。両者の仲を取り持っているのは龍丸である。
左・右:国鉄奈良駅から三条通を興福寺に向かって歩くと、この焼肉屋と化した近代建築がある。