骨董建築写真館 伊太利紀行篇・其ノ九 〜ヴェネツィアの巻・中〜
骨董建築写真館

伊太利紀行篇・其ノ九 〜ヴェネツィアの巻・中〜

トルッチェロ島を巡り終わったところで、そろそろ三時頃だったろうか。朝食を食べる習慣のない僕が朝ご飯を食べているので、全く空腹にならない。とりあえず、次の目的地へ向かう。


  

左:トルッチェロ島のバス停にて。青いサカユニの美少年が写っているが、またしても後姿(-人-)。なお、左端の髭親父が彼の父親である。ということは、この子も将来はこんな風に…σ(^◇^;)。なお、彼らの使用言語はドイツ語であった。
右:一旦ブラーノ島に戻る。何しろトルッチェロ島のバス停からはブラーノ島行のT系統しかないのである。右の浮桟橋に積まれているのは港の補修用の石材。コンクリートを使わず、今でも石が使用されているのがすごい。


 

左:ブラーノ島からムラーノ島へ、ヴァポレットに乗る。ブリッジに地元民が入り込んで顔見知りの船員と雑談していた。かなりのどかな雰囲気である。
右:水路に立つ澪標。速度制限の標識がついている。


上三枚:ヴェネツィア共和国時代の防塁の遺蹟だろうか? 廃墟のある小島が沢山あった。


上:長い航海の末、ようやくムラーノ島に到着する。ヴェネツィアングラスの産地として知られる職人の島だが、街の雰囲気はヴェネツィア本島と殆ど一緒である。例の美少年の横顔がチラッと写っている。


 

左:上陸すると、すぐにガラス工房やヴェネツィアングラス専門店が並んでいる。およそ教会に見えないのに十字架のついている建物があった。覗いてみると、礼拝堂ではなく、入ってすぐの狭い部屋に祭壇がある。祠みたいなものなのだろう。
右:島の中心部にムラーノにおける大運河がある。それに沿って素朴なポルティコがあった。もし地震があったら、と思うとちょっと怖いσ(^◇^;)


 

左:運河に沿って歩くと、傾いた鐘楼を持つ、非常に可愛らしい教会があった。城壁のような銃眼のある塀の中に見える小さな建物が礼拝堂である。
右:その運河を挟んですぐ対岸には大きな教会がある。この教会もよく見るとあちこち不等沈下を起こしている。


 

左:大きな教会の内部。
右:屋根は木造の小屋組であった。


 

左:教会の窓。アレッツォでも見かけた、非常に古いスタイルのガラス窓である。
右:ムラーノ島の大運河に面した小学校。緑豊かな前庭であった。


上:ムラーノ島の大運河。ここからバスに乗って、本島のサン・マルコ広場に渡った。

 

左:本島に戻って、サン・マルコ周辺を歩き回る。ローマ同様、ヴェネツィアもバロック様式の教会の宝庫であった。
右:典型的なヴェネツィアの路地。人一人歩くのが精一杯という幅である。建物が傾いてきたのか、上部でお互いを梁でつないで支えあっているのが見える。


 

左:これもまた別のバロック教会。鐘楼の時計が一本針である。
右:美味しそうなピッツァ屋さん。お腹が空いたので、結局このあと中華料理店に入った。伊太利で二回目の中華だが、なかなかに美味しかった。


 

左:食後は一旦ホテルに戻った。これはホテルの前の路地の入口にある中華料理屋、「杭州飯店」。僕らの滞在中はずっと改装工事中で入れなかったが、いかにもヴェネツィアらしい路地の奥の、ヴェネツィアン・ゴシックの窓に漢字で杭州飯店と書かれ、中華ランタンが見えているのが面白い。
右:そのあとは土産に何を買うか別行動で下見をしようと、ホテルを出て各々好きなところをみて回る。賑やかな商店街でも一歩脇道に入るとこういう静かな空間があって、とてもいい感じである。


 

左:とにかく素敵な路地が多い。
右:これは一応表通りの商店街。路地と道幅の面では大して際はないが、素敵なお店が並んでいる。夕暮れのヴェネツィアをそぞろ歩きしてウインドショッピングというのは最高であった。


 

左:今風のお洒落げな眼鏡屋さんで見つけた、パンスネ(鼻眼鏡)。翌日再訪し、真ん中のグレーのものをヒロポンへの土産に購入した。
右:同じ通りに白衣を着たおばちゃんがやってる古風な眼鏡店も発見。やはり翌日、上のパンスネを自分のために購入した。すぐ下にあるモノクル(片眼鏡)も欲しかったが、あまり日本人向きではないので我慢することに。アーリア系の眼窩の窪んだ顔でないと、モンドロイドには片眼鏡はすぐ落ちるのである。

 

左:運河(リオ)に面したリストランテ。夜遅くまでにぎわっていた。右手に見えるのが典型的なヴェネツィアの橋。このような石造アーチ橋が非常に多い。つまりあちこちに石段があるので、必然この街は徒歩のみ、自転車も無理ということなるわけ。車椅子には厳しい街といえよう。
右:賑やかな通りからほんの一歩入ると、全く誰もいない運河沿いの小道に出る。昼間はゴンドラが客引きをするところである。


 

左:カッレ(小道)の両側から鎖でつられた古風な街燈。
右:戸口の上の聖母子像。普通の集合住宅である。


  

上三枚:あちこちにこういった感じで、美術展やコンサートのポスターがべたべた貼っている。情報誌など見なくても、観光客相手のコンサート程度なら簡単に情報が得られるわけだ。イタリアでは三回コンサートに行ったが、全部こうやって辻のポスターで知ったわけである。


 

左:骨董店のショーケース。東洋骨董を扱う店が多かった。
右:夜の運河。静かで不気味で美しかった。


 

左:水面まで下りる階段。水が満ちてきていた。
右:満ち潮になると玄関が水没する建物。結構多かった。


 

左・右:街燈も素敵なものが多い。


 

左:これもお洒落な街燈。
右:カッレの曲がり角でバロックリュートを演奏していた辻音楽師、Boka Bence氏(姓・名の順に表記)。話しかけたらハンガリー人とのことで、マジャール語では名前はファミリーネームが先だろうとか、コダーイやバルトークの話をするとすごく喜ばれた。話が弾んだので、結局彼のCDを二枚購入してしまった。今でもよく聴いている。古楽狂いの僕だから、当然リュートという楽器も大好きなのだ。

 

左:一旦ホテルに帰って山下と合流する。山下はもうお休みモードだったが、僕はまだまだ元気なので、もう一度夜の散歩に繰り出した。日本人はやたら臆病だが、僕はいつ海外旅行しても結構夜遅くに路地裏とか平気で歩く方である。もちろんちゃんと用心して、警戒しながら歩くのだが、ヴェネツィアなど大観光地だし、深夜までバルやカフェがにぎわっている。よっぽど変なところにわざわざ入り込まない限り、まず大丈夫なのである。
狭い路地裏に、なぜだか日本のオタクグッズを売っている気色悪い店があった。やはりイタリアでもオタクグッズは後ろ暗い、買うのが恥ずかしいものなのだろう。
右:狭い路地を抜けてでた小広場にいきなり立派な階段があったりするのもヴェネツィア徘徊の楽しみ。緑少ないヴェネツィアの中心部では、雑草も何だか珍しく感じた。


 

左・右:日本語フォントの使えるインターネットカフェは各地にあって、遅くまで開いていたので、僕もフィレンツェとヴェネツィアではメールチェックをし、このサイト掲示板にも書き込みをすることができた。とはいえ、訳の解らん日本語ワープロソフトを使っていたり、もちろん店員はイタリア語とある程度の英語しか話さないしで、英語が苦手で機械に弱い日本人なら、入ったはいいがお手上げで使えない〜、という危険も無きにしも非ずであった。


 

左:運河に沿った賑やかな通りを歩いていると、もう夜十一時を過ぎていたが全然怖くない。時々このように、明かりのともった豪奢な部屋が覗けたりした。
右:リオ(小さな運河)に架かる橋の上から、大運河とその対岸のきらびやかにライトアップされたパラッツォが見えた。欄干にカメラを置いての撮影なので、長時間露光のわりには綺麗に写った。


上:同じ橋の上から、ちょっと移動しての撮影である。


 

左:美しくライトアップされた、ヴェネツィアン・ゴシックの館。
右:目抜き通りから大運河の方に曲がると、その突き当たりにカジノがあった。市営のカジノとはいえさすが欧州、日本の場末的競馬場などと違って、非常に格式が高い。門前には物乞いのおじさんがいたが、もちろん無害である。


  

左:上の写真の門を入ると、こういう豪華な中庭に出る。もちろん門は裏口で、この反対側、大運河に面した側が正面である。
右:一応ちゃんとスリーピースは着ていたし、どんな雰囲気かちょっと興味もあったのだが、僕は賭博はしない主義なので中には入らず表、つまり大運河側に回る。ここら辺からナイトバスに乗ってホテルに戻ろうと思ったのだ。すでに深夜十二時近い。

上:カジノ近くのバス停でナイトバスを待つ。大運河の対岸に、非常に美しいヴェネツィアンゴシックのパラッツォがライトアップされていた。しかし水没寸前である。


 

左:バス停付近の大運河。ライトアップというほどではないが、街燈が多く全体に結構明るい。
右:ヴァポレットに乗り込んで、大運河側、カジノの正面ファサードを見る。揺れるので、ノーストロボで撮った写真は全てぶれていた。デジカメの小さなストロボの光ではこの程度しか写らない。


上:これも少しぶれているが、リアルトバス停よりポンテ・リアルトを見る。ライトアップされ、美しい。もう深夜だが、多くの観光客がゴンドラに乗り込んで出発を待っていた。ヴェネツィアの夜はこれからなのだろう。


 

左:リアルト橋より。左に見えるのがバス停である。
右:リアルト橋よりリアルト市場側の河岸を見る。満潮で、若干浸水している。


 

左:リアルト橋近くの素敵な路地。真夜中に人気のない路地を歩くのも乙なものである。この辺りは都心なので、お化けは出るかもしれないが治安上の問題はまずない。
右:同じ路地で見つけた“イタリア地蔵”。幼子イエスと洗礼者ヨハネであろうか? 下に見えるのは賽銭箱である。


 

左:狭いカッレを抜け、カンピエッロ(小広場)に出ると、こんなところにも夜遅くまでにぎわっているリストランテがある。
右:ということで、ホテルに帰る。窓の鎧戸を内側から撮影。

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