骨董建築写真館 伊太利紀行篇・其ノ拾 〜ヴェネツィアの巻・下〜
骨董建築写真館

伊太利紀行篇・其ノ拾 〜ヴェネツィアの巻・下〜

●五月二十日(木)・・・昨夜もぐっすり眠り、僕は完全復活である。山下もやや復活(^_^;)?! まずは二階の食堂に降り、今日も今日とてコンチネンタルスタイルの朝食である。かなりたらふく食べてしまった。


 

左:ホテルの部屋のバスルーム。結構綺麗でしかも広かった。
右:流水ボタン。右が「小」、左が「大」で判りやすかった。


 

左:ホテルを出て、とりあえずサン・マルコ広場まで行ってみたのだが、鐘楼もサン・マルコ大聖堂も長蛇の列(-人-)。一時間やそこらは待たされそうなので、この際寺院拝観は諦めようということになって、サン・マルコバス停に行く。これはそこの公衆トイレである。イタリアではなぜだか、便座のない洋式便器をしょっちゅう見かけた。小は問題ないが、大の場合はどうするのだろう? しかも無料トイレならまだしも、ここは有料トイレなのである。これでは詐欺といわれても仕方なさそうに見える。
右:リド島行のヴァポレットに乗った。澪標が沢山立っている。


上:リド島辺りから本土へ向かうのだろう、大型トラックを載せた自航台船がヴァポレットとすれ違った。船首に立って腕組みしているのがトラックの運転手らしいが、「我が物顔」の見本のような感じで、天下を取ったごとくに威張って見えたのが面白かった。


上:リド島に着いた。また目抜き通りを海水浴場に向かって歩いていくと、途中に物凄く美しい藤棚の庭があった。個人邸宅であろう。門扉のデザインが実に優美なアール・ヌーヴォーである。「ベニスに死す」の作中人物になったような心地がした。


 

左・右:それぞれリド島中心部の個人邸宅。


 

左:昨日も前を通って感動した、オーソニア・パレスホテル。
右:個人邸宅の門扉。吊環状のものは呼鈴である。実はオートロックが物凄く普及しているので、このような古風なものは滅多に見られない。


 

左:まだ午前中だったし、今日もスーツを着ていないので、オテル・デ・バンでのティータイムは断念。山下と別行動しようということになり、離島に向かう山下とリド島ヴァポレットターミナルで別れて、本島に戻る。これは本島でも街外れの方である。
右:大運河沿いにあった、お役所の建物の紋章。マリナイ・ディタリアだから、海洋関係の機関であろう。


 

左:素敵な路地が多いので、どうしても似たような写真が多くなってしまう。
右:どうということのない窓だが、いい雰囲気だった。


 

左:とても短いが、ちゃんと名前がついているソットポルティコ・ツォルツィ。
右:ちょっと派手な“イタリア地蔵”を発見。

上:旧造船所の水門。現在ではイタリア海軍の施設になっている。左の門にはヴェネツィア共和国の象徴であるサン・マルコのライオンが刻まれている。


上:水門手前の橋の上から内部を見ると、左手に共和国時代の古い造船所のあとが並んでいる。門内の橋を歩いているのは海軍の制服を着た軍人。


  

左:向かって左の門柱。時計が美しい。
右:向かって右の門柱。


 

左・右:海軍要塞の城壁に取り付けられたブロンズの装飾。猪らしき獣と髭のおっさんであった。


上:要塞近くの土産物屋。どういう訳か超ヴェネツィアらしい謝肉祭用の仮面各種と、サンリオキャラクターが同居しているσ(^◇^;)


 

左・右:路地を巡る。洗濯物が下町情緒を盛り上げていた。


  

左:呼鈴。ライオン型のものが多かった。
中:これはインターフォン付のもの。日本だと安手のプラスチックが普通だが、かの国では殆どが趣きのある青銅製や真鍮製であった。
右:これは装飾のないあっさりしたもの。殆どがオートロックの集合住宅なので、インターフォン付が多い。


 

左:なんと、ヴィスコンティさんというお宅があった!! Gはジョバンニかジュゼッペだろうか? かの映画監督ルキノ・ヴィスコンティ伯爵の生家、イタリア屈指の名門貴族ヴィスコンティ家ミラノ公爵であるからロンバルディア州が本拠地のはずだが、ヴェネツィアにも支族がいるのだろうか? 近衛、鷹司、武者小路などのように、極めて貴族的な姓なのか、それとも山田、鈴木のようなありふれた姓なのか判らないが、そもそもヴィスコンティの語源は子爵という爵位(例えば英語でも子爵はviscountという)なので、貴族的な姓であろうと思われる。
右:ヴィスコンティ家の表示もあるインターフォン。


 

左:ライオンが三つついたオートロック用インターフォン。
右:これは宇宙人のようなけったいな飾り釦がついたオートロック用インターフォン。伝統素材を使っているが、真新しいのが判る。古い古いアパートを改装して高級フラットにしたところのようだ。

 

左・右:路地を逍遥しつつ、サンマルコ地区を目指す。かなりの距離を歩いた。


 

左:草生したアーチ。
右:ソットポルティコで、“ベニスの丁稚”といった風情の少年が荷物を運んでいた。ローティーンぐらいでとても可愛い少年だった(^_^)v


上:典型的カンピエッロ。井戸型貯水槽と水栓がある。


 

左:同じ小広場を反対から撮影。シスターが歩いていた。
右:傾いた塔があちこちにある。


 

左:木の少ない街なので、その分花を飾っている家が多かった。
右:美しいドアノブ。とにかく、装飾の施されていないところはない、というぐらいどこもかしこも何らかの装飾がある。日本もかつてはそうだったはずなのだが、いつから工業製品しかない国になってしまったのか。


 

左・右:前出の宇宙人型呼鈴が附いていた、高級そうなアパート。


 

左:門の隙間から内部を覗く。
右:壁面に施されたテラコッタ製の装飾。

 

左:運河の交差点。
右:扉の下のほうが潮に洗われている。沈みゆくヴェネツィアなので、こういう風景は至るところで見ることができた。


 

左・右:水没しつつある扉。


 

左:運河に面して正面玄関のある建物。
右:隣り合う建物同士を支えあうフライングバットレス(飛び梁)。


 

左:美しい建物の並ぶ小運河。ヴェネツィア中がこんな感じである。
右:ドアフォンなどに美しいものが多いのも当然。要するにこのような真鍮製の美麗な品が既製品として普通に売られているのである。


上:ようやくホテルの近くまで戻ってきた。つまりヴェネツィアの都心サンマルコ地区のそのまた中心部である。観光地とはいえ住民も決して少なくはないので、スーパーマーケットや昔ながらの商店が並ぶ市場のような地区もあり、そこの八百屋にての一枚。グリーンアスパラは判るが、缶詰や瓶詰でない生のホワイトアスパラは生まれて初めて見た。


 

左:本当は昼からリド島に戻ってオテル・デ・バンで優雅にお茶するつもりでスーツまで着ていたのだが、結局まだ全然土産を買っていないので、買い物をすることに。ネットカフェに入ってメールチェックをしてから、サンマルコ広場に行ってみる。しかし相変わらず大聖堂は入るのに随分並ばなければならない様子だったので、とうとう入ることは断念した。
右:広場の一角に、ヴェネツィアを襲った洪水の記録などが掲示されていた。洪水の頻度は年々増えていっているらしい。この世界遺産を守るために、人類の英知を結集する必要がありそうだ。


 

左・右:同じ掲示板のアップ。現在採られている対策などが書かれている。


 

左:新政庁のポルティコ。高級店が並んでいる。
右:その一角にある、超有名な老舗カフェ「フローリアン」。室内だけではなく、広場に張り出してオープンカフェがあり、楽団が生演奏している。なんと1720年の創業で、カサノヴァバイロン卿(第六代バイロン男爵ジョージ・ゴードン)、フォン・ゲーテなど幾多の歴史上の著名人が通ったことでも知られている。

 

左:サンマルコ広場の一番奥、新政庁と旧政庁をつなぐ部分に、音楽博物館があった。小さな一室だけで入場も無料だったが、アントニオ・ヴィヴァルディ展と書いてあったので早速入る。
右:内部はこのように、古楽器がたくさん展示されていた。しかし係の兄ちゃんに尋ねると、ヴェネツィアのあちこちで連夜催されているバロックコンサートの殆どは現代楽器によるものとのこと。


 

左:バロックチェロ。
右:バロックヴァイオリン。


 

左:バロックリュート。
右:バロックバイオリン。


上:楽器博物館の前からサンマルコ広場を臨む。鳩が物凄く多い。


上:広場から見た「カフェ・フローリアン」。


上:とりあえずどこかほかの島に渡ろうと、海側にやってきた。ドゥカーレ宮殿の裏に、オテル・デ・バンとともにヴェネツィアを代表する超一流ホテルの一つであるダニエリがある。


上:ということで、運河をヴァポレットで対岸に渡る。沖合いから見たサンマルコ広場の光景。

 

左:サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の汀。この島は教会と修道院のみによって構成されている。
右:大建築家アンドレア・パラディオ(1508〜1580)の傑作、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会(1563年)のファサード。パラディオは「パラディアン・スタイル」という様式が生まれたぐらい、のちの建築家に影響を与えた偉大な存在である。


上:正面の広場が狭いので、ファサードの全景を一枚に収めることは難しい。


上:ということで、正面ファサードの上半分。


 

左:玄関入ったところから正面祭壇を臨む。玄関上部のクワイアギャラリーではなく、正面祭壇上にパイプオルガンがある。
右:パイプオルガンのアップ。


 

左:祭壇側から玄関を臨む。
右:天使の照明器具。


上:この教会、聖堂内部にはティントレットの傑作などがあるのだが、裏廊下に回ると司祭の趣味か、結構けったいな絵がかかっていた。面白い。


 

左:その廊下の奥に、鐘楼の上り口がある。確か十数ユーロだったか、そのぐらい払うとエレベーターで上まで昇れるのだ。真下に立つとエレベーターシャフトの中が覗けるのがちょっと面白かった。エレベーター自体はそれほど古いものではない。
右:鐘楼の回廊に出ると、真っ先に頭上のカリヨン(組鐘)が目に入る。下界の絶景に目を奪われている時に「が〜〜〜〜ん」と一発鳴って度肝を抜かれた。その場にいた人全員が飛び上がって、数秒後にくすくす笑いが起こる。何時半だったか忘れたが、とにかく正時ではなく三十分だったから鐘は一発だけだったのだろう。とにかく頭上すぐで鳴る大鐘の音は凄まじかった。なお、その時一緒に笑い合った髭もじゃのアメリカ人とは、バルトロメオホテルで再会することになる。同宿だったのだ。

上:サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼よりの眺め。これはサン・マルコ広場方面である。


右:サン・マルコ広場よりもう少し右側を見る。左端にドゥカーレ宮殿が写っている。


上:リド島を遠望。中央やや右にサクラリオ・ミリターレ・ディ・ヴェネツィアのドームが見える。内側がラグーナ(潟湖)、島の向こう側がアドリア海である。


上:外海から豪華客船が入港してくる。どうやらアドリア海クルーズの豪華客船がヴェネツィアを基点に常時運航しているらしい。とにかく連日次々に豪華客船が入港してくるのだ。


上:真下を見下ろすと、サン・ジョルジョ・マッジョーレ修道院の静謐な空間が見える。


上:高いところから見ると、澪標(みおつくし)が航路に沿って点々と立っているのがよく判る。


 

左:ジュデッカ島、サルーテ教会前に差し掛かった豪華客船。
右:ヴァポレットで本島に戻る。これはホテルダニエリ、ドゥカーレ宮殿付近の河岸にて。竹馬を履いた芸人たち。

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