阪神間雑記V
旧大庄村役場・阪神電車武庫川駅舎他



 

左:本編も旧作補遺として、2009年5月現在に、2007年撮影分をアップする。まずは同年6月15日の写真から。尼崎市立大庄公民館である。元々は武庫郡大庄村の役場として1938年にモダニズムの巨匠村野藤吾の設計で建てられたもので、登録有形文化財である。敷地は不整形で、裏側の道路はこのように湾曲している。元は水路だったのではないかと思われる。大庄村は阪神工業地帯の発達に伴い人口も税収もどんどんと増加し、このように村役場とは思えない立派な庁舎を建てているのだが、とはいえ昭和初期、まだまだ田園風景も沢山残っていたことだろう。
右:旧村役場を裏側から見る。とても戦前のものとは思えないすっきりしたモダニズムスタイルだが、塔に特徴がある。



 

左:裏側から見上げた塔。コンクリートの浮き彫りが施されている。
右:正面ファサード。こちらもいかにもモダニズムといった風情である。しかし玄関部分の造作など美しく、「戦前のモダニズム」であり「村野作品」であることを感じさせる。決して実用一点張りではないのだ。



 

左・右:玄関詳細。様式建築ならアーチの要石に当たる部分に鳥の彫刻が置かれている。



 

左・右:玄関周りも柔らかい色合いの石材で美しい。ステンレスの自動扉は近年のもの。



 

左:正面は西面し直接街路に面しているのだが、南側には庭が設けられている。現代なら駐車場にしてしまうところだろう。
右:南側ファサード一階、つまり庭に面した壁面のグリフォン。村野藤吾の、特に戦前期の特徴は、モダニズムとはいえ装飾を決して完全には排除していないところにある。そのバランス感覚も絶妙といえよう。



 

左:中庭から塔を見上げる。
右:中庭から南側ファサードを見る。三階は天井高が高く、窓にもアクセントが置かれている。決して単調なモダニズムではない。



 

左:中庭と街路の間には、美しい回廊風の門が架けられている。
右:南側敷地外から塔を見る。



 

左:南側から塔のアップ。
右:真向いには旧大庄尋常小学校が。



 

左・右:近年塗装されたので新しく見えるが、見事な近代建築である旧大庄尋常小学校。正面の七連続尖塔アーチが圧巻である。ゴシックの意匠と表現主義的意匠の融合も素晴らしい。まさにこの時代にしか建てられなかったであろう特徴的な建築といえる。この界隈は室戸台風によって大きな被害を受けたので、その復興期に建てられたものが多いが、この校舎はその前年の1933年である。



 

左:尼崎市は、戦前からのブランドお屋敷町が連なる「阪神間」にあって唯一異色の存在で重工業を主体とする工業都市であり、阪急沿線の武庫之荘を例外に工業地帯と下町によって構成されると思われがちといえよう。しかし阪神武庫川駅周辺は尼崎市の浜手にあって比較的阪神間の風情を感じることが出来るエリアである。この洋館付数奇屋邸宅は阪神電車の車窓からよく見える。
右:同じお屋敷の洋館。大震災後かなりの改修が加えられてはいるが、南洋植物と共に昭和初期の阪神間の雰囲気を今に伝えている。



 

左・右:同じお屋敷を更に角度を変えて二枚。



 

左:代表的河川上駅舎として鉄道マニアの間では名高い、阪神電車阪神本線武庫川駅。これは下り線駅舎である。当時は急行停車驛であったが、2009年3月20日に阪神電車なんば線が開通、近鉄奈良驛と阪神三宮驛を結ぶ快速急行が往復するようになってからは、急行、快速急行とも時間帯によって停車する駅になっている。急行が必ずしも停まらなくなったという意味では格下げだが、今までは停まらなかった快速急行も一部停車するようになったので格上げとも言える。
右:ひょっとしたら戦前のものか? ロゴが非常に渋い。



 

左:この写真まで、6月15日撮影分。実は甲麓庵歌会第23回関西例会の下見であった。
右:ここからは6月17日、歌会当日の撮影である。集合場所は武庫川駅上り線改札であるが、なんと自動改札の真上にハーフチンバーの妻壁があった。この部分は戦前だろう。



 

左:かつては手前部分の屋根はなかったのかもしれない。
右:窓越しにホームを見る。木造の柱など、戦前建築であろうと思われる。なお、武庫川左岸(尼崎側)堤防道路の踏切が見えている。高架化が進み地上線が残りわずかとなっている阪神本線にあって、恐らく最後まで残ると思われる踏切である。



 

左:ぶれてしまったが、ハーフチンバーの妻壁の下が改札口である。阪神本線は1970年代から全驛自動改札化されている。関東より二十年以上早かった。
右:上り線側のロゴも同じく渋い。



 

左:同上。
右:皆で歩いて、旧大庄村役場へ至る。ジントギ製の階段、手すりの上部のみ黒御影石が貼られている。カーブが絶妙である。



 

左:同じく主階段。
右:廊下。床はジントギである。



 

左:元村長室。この部屋はモダニズム建築とはいえ古典的な意匠で豪奢にまとめられている。フミ・ヤス夫妻が写っている。
右:歴代村長の肖像が掲げられた室内。こちらを向いているのはくれぴ少年。



 

左:床は美しい寄木細工であった。
右:スチーム暖房を覆うラジエターグリル。



 

左:壁の肖像写真。
右:扉。ノブもオリジナルが残されている。



 

左:この庁舎が落成する前年までの村長、森平次郎氏。ということは、実際にこの庁舎を建てた人だろう。ウィングカラー、懐中時計など、当時としてもオールドファッションの礼装が渋い。
右:天井は比較的簡素で、縁飾りのみであった。シャンデリアはオリジナルではなかろう。



 

左:公民館なので、塔の内部にはなにやらアートが。地元作家の作品だろう。
右:階段室内部。



 

左・右:主階段。非常にスタイリッシュである。



 

左:三階のホール。かつては議場だったのか?
右:歌会会場にて、自らの落書を満足げに眺めるくれぴ。



 

左:メロンパンを食べるくれぴ。
右:落書は伯爵邸の猫たちらしい(笑)。



 

左・右:仔猫たちが擬人化(萌え〜化)されているので、唯一猫体なのはちはる姫か。



 

左:公民館一階。歩いているのは蕨餅アーティストのフィリップ女史
右:玄関外側天井見上げ。



 

左:玄関透かし窓。
右:中庭にて。柱の向こうにくれぴ、フィリップ女史など。



 

左:これはくれぴと元共同管理人風太か。
右:中庭から見上げた塔。



 

左・右:大庄小学校前の歩道橋から撮影。



 

左:同じ歩道橋から旧大庄村立大庄尋常小学校を見る。尼崎市立大庄小学校である。左側が北校舎、右側手前が南校舎である。
右:歩道橋から見た本館(南校舎)正面附近。



 

左・右:正門から見た南校舎南側正面ファサード。中央部は二階三階吹き抜けの講堂と思われる。



 

左:同じく。
右:大庄小学校前から旧国道(1927年に阪神国道=第一阪神=国道二号線)が開通するまで大幹線であった)である琴浦通を東へ向かう。阪神間的お屋敷町はすぐに途切れ、下町の様相となる。いかにも昭和戦後期の文化住宅。かなり規模が大きい。



 

左:どういう事情があったのか、廃業してなお顧客に詫びたいという非常に痛切な張り紙。
右:琴浦通り北側に一軒だけある、大正期と思しき可愛らしい洋館。



 

左:同じく。門は少し改修されているようだ。
右:裏側に回る。この規模の洋館は数寄屋造りの和館に接続していることが大半なのだが、これは独立した建物となっている。敷地は細長く、母屋は洋館とは離れて裏側(北側)にあるようだ。



 

左:洋館西側の路地。恐らく農村時代からそのままの道幅だろう。茶色い扉のところの和館が母屋らしい。
右:母屋の前まで行き更に奥を見る。



 

左:洋館前には古い石臼が埋め込まれていた。風流である。
右:笠が失われているが、非常に美しい門燈。



 

左:旧国道南側歩道から。くれぴが歩いている。
右:腰折れ屋根。瓦も洋瓦である。



 

左:崇徳上皇縁の地なのだろうが、非常に恐ろしい地名といわざるを得ない。
右:だからこんな名前のマンションもある(笑)。怨霊がいっぱい住んでそうであるww。



 

左:戦前建築かもしれない、古い二階建て長屋の裏側。
右:同じく正面ファサード。



 

左:「阪神間雑記T」でも紹介している、旧赤線「スタンドセンター」とくれぴ少年。
右:三和商店街にて。この頃から変わり缶が流行りだした。



 

左・右:尼崎戎神社近くの自販機。周りがフーゾク街であるとはいえ、幾らなんでもこんなものまで売らなくても(笑)。



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