阪神間雑記V(旧作補遺)
旧乾邸・尼崎警察署旧庁舎他



 

左:二千九年四月作成だが、旧作補遺なので撮影は二千六年五月十三日の写真から始まる。住吉山手旧乾邸にて、湯浅宣子女史のバロックダンスのコンサートであった。1936年、巨匠渡邊節の設計で建てられた大邸宅である。
右:この素晴らしい広間での講演であった。この二枚、携帯での撮影。



 

左・右:同年4月13日の撮影。阪神甲子園驛の土手である。大正13年に開設された驛なので、古い意匠や石垣が随所に残っている。



 

左・右:5月20日、毎日新聞糸瓜句会の吟行で尼崎市の出屋敷を巡る。古きよき下町である。



 

左:「質」を「ひち」と書くのは関西独自の洗練された美風である。辺境の民には真似が出来ないだろう。「二丁」「半丁」という距離単位、三桁の市内局番など、時代を感じさせる。
右:三和商店街の漢方薬屋のショーケース。ゴジラまでいて、何がなんだかわからない(笑)。



上:尼崎市のこの界隈、広大な下町商店街・市場が連なっていて、珍しいものもあり、とにかく安い。



 

左:2007年となった。10月8日撮影のこの写真は、大豊作だった拙宅甲麓庵の柘榴。
右:このように門の外側まではみ出していた。



 

左:因みに2008年はほぼ収穫ゼロであった。当たり外れの差が激しい。今年2009年はどうだろうか。
右:甲麓庵正門。裏に見えているのは住友別邸跡のマンションである。



 

左:甲麓庵。
右:東隣の駐車場にもはみ出していた。実を拾っているのはくれぴ。



 

左:くれぴと柘榴。
右:2007年10月13日、尼崎市の城内地区にある旧尼崎警察署庁舎一般公開のため、はまやん氏と二人で尼崎市へ。甲子園驛からなら阪神電車の急行ですぐである。これは阪神尼崎駅すぐ南側の路地裏にあった趣のある木造家屋。



 

左:それなりに気を使って再建されている飴の老舗、ヒノデ阿免本舗
右:1937年に建てられたモダニズムスタイルの学校建築、旧城内中等学校(現市立城内高校)。戦後すぐには市役所としても使用され、講堂が議場になっていたそう。後に見えるのは阪神尼崎駅北側に出来た温泉付超高層マンション。



 

左:今日の目的地、旧尼崎警察署。後姿ははまやん氏である。
右:旧尼崎城跡のこの界隈は文教地区となっている。この庁舎は生田署に続き県内二番目の鉄筋コンクリート警察署として1925(大正14)年に置塩章の設計で建てられたもの。全面的に吹き付け塗装がなされてしまっているのが惜しまれる。現在、普段は閉鎖されており、年に数度のイベントでのみ公開という状況ながら、市としても活用したいとのこと。



 

左:玄関をせり出し、装飾を集中する、典型的な官庁建築である。
右:半地下を設け、一階が高くなっているのも近代建築に多く見られる特徴である。吹き付け塗装の痛みが見られる。



 

左・右:その真向いには旧尼崎市立高等女学校が。撮影当時は中学校だったが、今は廃校になり市の機関などが入っている。1938年と近代建築としては最後のものなので、かなりすっきりしたデザインだが、門柱は無骨で女学校とは思えない造り。



 

左:高等女学校の校門を内側から見る。
右:高等女学校の校庭から警察署を見る。



 

左:校門前から見た警察署。
右:いよいよ警察署内部に入る。階段の手すりはなかなか見事であった。ジントギこと人造大理石研ぎ出し仕上げである。



 

左:戦後は長らく児童館として使われていたのだが、そのときに結構ぞんざいな改装が加えられている。
右:地下の旧留置場は警察署時代をよく留めている。



 

左:壁が剥げ落ち、なかなか鬼気迫る雰囲気になっている。
右:警察署時代の表示がそのままである。



 

左:アーチと梁で支えられている地下の空間。
右:かつては蛍光灯ではなく裸電球だったろう。



 

左:宿直室か? 畳敷きだったと思しき部屋。
右:児童館時代、地下は封鎖されていたはずなのだが、謎のオブジェが吊るされていた。



 

左:ボロボロになりつつも往時の装飾をとどめている天井。
右:取調室にて、見学者の皆さん。



 

左:取調室の壁に残る、被疑者の落書。
右:留置場部分の通路。



 

左:当時の日課表がそのままになっていた。
右:ぶれてしまったが、独房の扉。



 

左:同じく、独房の扉。鉄網製であった。
右:独房が並ぶ通路。



 

左・右:独房の壁は落書だらけ。この辺り、警察の留置場の処遇は緩やかである。法務省管轄下の拘置所は非常に強圧的かつ非人間的な処遇が実施されているので、落書など即懲罰の対象とされる。



 

左:やくざや右翼と思しき落書が多い。
右:独房内。左の低い仕切りの内側がトイレである。



 

左:この丸い小さな扉は監視口。この蓋を開けて独房内を覗くのである。
右:見学会の様子。



 

左:暗くてじめじめした地下の通路と独房の扉。
右:独房の裏側の通路。こちらからも監視できるようになっている。拘置所にもこういう造りはよく見られる。



 

左:独房の扉。
右:見学会の一行。



 

左:同上。
右:監視口と扉が並ぶ通路。監視口の下にある四角い扉は食器口である。一々独房の扉を開かなくても、小さな扉から差し入れや食事を入れることが出来るのだ。



 

左・右:手書きの張り紙。警察官以外ということは、署内に結構いたであろう警察職員(身分が事務官である職員)は入れなかったのだろうか? 課長級などもいたはずなのだが。



 

左・右:かつては和室だったと思われる地下の一室。



 

左・右:地下室の様相はもはや単なる空ビルではなく、廃墟であった。



 

左:照明があるのとないのでは大違い、普段は嫌いな蛍光灯の光だが、これのおかげで廊下部分は「廃墟化」を免れている。
右:大正も末期、しかも当時としては最新鋭の鉄筋コンクリート造なのだが、それでも土台部分には煉瓦が積まれていた。



 

左:地階のトイレは使えなくなっていた。
右:地階廊下。



 

左・右:地階から一階へ上がる主階段。かなり傷んでいる。



 

左:一階〜二階の間はそれほど傷んでいない。また造りも立派である。
右:ジントギ製の親柱と手すり。装飾はタツノオトシゴか?



 

左:二階にも児童館時代の無粋な改変が。
右:二階の親柱。



上:二階の旧武道場。警察署にはつきものの空間で、写真展などが開かれていた。



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