二千八年関東下向記\(横浜松坂屋最終日)



 

左・右:2008年10月26日横浜松坂屋最終営業日である。伊勢佐木町も一番駅に近いこの界隈の人通りは結構ある。それでもこの創業144年の名門老舗デパートは持ちこたえられなかったわけだ。名残を惜しんで写真を撮る浜っ子の姿が数多見られた。



 

左・右:伊勢佐木町通から見上げた正面ファサード。落葉前だったので木の葉が邪魔である。現存する百貨店建築としては非常に古く、1921年(大正10年)に出浦高介の設計で建てられたものがベース。その後増築を重ね、現在のアール・デコ調のファサードは鈴木禎次の設計で1934年に完成したもの。幕末1864年に茂木惣兵衛が横浜市中区弁天通に創業した「野澤屋呉服店」を前身とする老舗であった。したがって松坂屋傘下になってからも別会社「横浜松坂屋」であって、「松坂屋横浜店」になったことはない。



 

 

上四枚:日中撮影したファサード各部。



 

左:撮影許可証を貰って、いざ店内撮影開始。
右:横浜松坂屋の一番の見所は、この四台並んだ古式エレベータだろう。そのうち一番右の一機は物置になっていて、駆動していない。また、扉はオリジナルも残っていたが、籠は変えられている。全円時計式インジケータが素晴らしい。



 

左:右端の物置化しているエレベータ。インジケータの照明は入っていた。
右:さすがに最終日は混んでいた。レジも行列だった。



 

左:一階のインジケータはことのほか立派なものがつけられていた。アール・デコ様式である。
右:窓のある扉は手動時代からのオリジナルであると判る。



 

左:一階以外のインジケータはこのように簡素だが、デザインは美しい。左側の二台のみ、このように地階から七階まで通っていた。
右:四台並ぶ様は壮観であった。



 

左:調整中は真っ赤な嘘で、単に一階に留め置かれて物置と化していた。
右:真鍮製の呼び出しボタンも美しい。古いものだが、オリジナルかどうかは微妙。



 

左:この部分の扉はオリジナルではない。
右:別れを惜しむお年寄りの姿が目立った。四台まとめて写っているのはこの一枚のみ。広角レンズがないので苦しかった。



 

左・右:六階エレベータホール。左側二台は地階から七階まで、右側二台は一階から六階までであった。



 

左:天井の装飾も美しい。エレベータ周りは擬石(人造大理石研ぎ出し)造りとなっている。
右:七階に登ると、このようにエレベータは二台のみとなる。



 

左:同じく七階エレベータ前。とにかくエレベータの写真を撮りまくった。
右:一階へ降りた。豪奢な造りで、壁面も一面大理石張りとなっている。



左・右:この建物、横浜市の指定文化財となっている。空ビルのまま放置されているが、文化財を生かした活用が望まれる。



 

左:六階エレベータホールにて。
右:内部はこのようにごく普通のものに変えられている。この操作盤は1980年代前半ぐらいの形である。



 

左・右:とにかく美しい。



 

左:針まで凝ったつくりである。「上」「下」の字の下に小さく書かれた「リ」もいい。
右:地下に降りると吃驚。古式エレベータには見えなかった。インジケータ、扉、呼出ボタン、全て変えられているっぽい。



 

左:何しろこんな感じである。とにかく、人口五十万前後の地方県都のデパートを思わせる小さなデパートで、生き残りは大変だったのだろうが、それにしても何とかならなかったのか。松坂屋が大丸傘下に入るのがもう少し早ければと、非常に惜しまれる。
右:籠内のインジケータもごく普通。そもそも古式エレベータには籠内インジケータはないものである。



 

左・右:エレベータだけでなく、エスカレータもこのように派手なアール・デコ装飾であった。



 

左:エスカレータ部分の天井照明もこの調子。蛍光灯ということはオリジナルではないはずなのだが、それでもなかなかいい感じであった。
右:エスカレータ。



 

左・右:伯爵は古式エレベータを偏愛しているがエスカレータにはさして興味がない。よって意識してエスカレータを撮影したのは初めてのことなのだが、結構難しかった。



 

左・右:妙に暗く写ってるものが多いが、実際にはこのように明るかった。



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