和歌山篇V(南海摩登博覧會)



 

左・右:本章は前章に引き続き、2008年11月、和歌山市で開催された一大芸術イベント、「南海摩登博覧会」時の写真で構成する。これは主会場である西本ビルヂングにて11月1日に開催された若手フローリスト西尾孝行氏による活け込みのデモンストレーションの模様。



 

左・右:続いてワークショップも行われた。



 

左・右:同日夕方、西本ビルヂング裏の駐車場にて、伯爵にじゃれ付いてきた超ラブリーな仔猫。



 

左:三毛にゃんこもいらっしゃった。
右:この子はとにかく人懐っこくて可愛かった。



 

左・右:11月の夕方五時、既に薄暗くなってきた。



 

左:同日夜、ヒロポン邸にて。差し入れのチョコレートを頂いた。
右:翌朝、ヒロポン邸二階のにゃんこ様。



 

左・右:11月2日は活動写真上映会を開催、僕は活動弁士初体験であったが、非常に好評を博した。同日夜、「ハミングバード」旧店舗にて打ち上げの様子。



  

左・中:同じく打ち上げにて。同じ写真を古写真風にして遊んでみた。
右:11月3日、「和歌山負の遺産ツアー」にて和歌浦方面へ。和歌浦第一隧道旧道が見えている。赤煉瓦の近代土木遺産なのだが、閉鎖され、説明板もなく、全く活用されていない。



 

左・右:新和歌浦第一隧道。赤煉瓦で、ペディメントを持ち、非常に凝った造りになっている。蔦に覆われて、扁額の文字は読めなかった。1911(明治44)年という、百年近く前のものである。



 

左・右:無能な行政が荒れるに任せて放置している。何とかせねば。



 

左・右:トンネルの入口にある、水子供養の寺院。山の上に見えているのは和歌山市役所を巡る数々のスキャンダルの舞台となった料亭、「石泉閣」で、今は廃墟となっている。



 

左・右:道路から見上げた石泉閣。庭もジャングル化している。建築的にはなかなかのものだし、このままにしておくのは非常に勿体ない。



 

左・右:荒れ放題になっている石泉各入口付近。



 

左:石段には特段立入禁止とも書かれていない。
右:が上がっていくと、こんな状態で非常に通りにくい。



 

左:いやはや、すっかり自然に帰っている。
右:ようやく正面玄関に辿りついた。



 

左:玄関前。ひどいことになっている。
右:窓から中を覗いてみた。



 

左・右:結構モダンな数奇屋で、よい建物である。



 

左・右:玄関先に置いてあった布袋像も、屈まないと見えないようになっていた。



 

左:もう一度道路から撮影。
右:同日、和歌山市内にて。「白抹茶」って何やねん。



 

左・右:ここからは2008年11月19日撮影分。和歌山市吹上の和歌山市水道局真砂浄水場。1925(大正14)年竣工、設計は米本晋一である。



 

左:これも真砂浄水場。大正末としては非常にモダンな建物が並んでいる。
右:当サイトでは二度目の登場、紀州藩御典醫の末裔である皮膚科の名門滋野医院。1921(大正10)年の竣工とのこと。



 

左・右:端正な滋野医院。玄関周りはアール・デコ調の装飾が目立つ。



 

左:玄関の石段と親柱。
右:欄間はステンドグラスであった。



左:玄関ホールの照明も素敵。
右:すぐ隣にはモダニズム色の濃い鉄筋三階建ての立派な邸宅がある。滋野邸である。



 

左・右:側面、裏側から見た滋野邸。かなりの規模の個人住宅である。



 

左・右:これも当サイト二度目の登場になる、濱病院。なんと戦後、1951年になって進駐軍相手の洋風ホテルとして建てられたものなので、近代洋風建築ではなくもはや現代洋風建築、ということになる。しかし建設に当たってのエピソードはまるで明治初期の擬洋風建築のようで面白い。



 

左・右:大理石張りの円柱が並ぶ玄関ポーチ。



 

左・右:正面ファサードだけ見ていると鉄筋コンクリートのようだが、実は看板建築で木造二階建てである。



 

左:附近で見つけた、洋館付の「初期型文化住宅」。勿論「個人住宅」であり、戦後の関西の文化住宅=集合住宅ではない。
右:いくつかの近代建築系ブログで紹介されているし、僕自身気になっている建物ではある、杉原齒科醫院。しかし、戦前のものと断言する自信はない。むしろ戦後の可能性のほうが高いように思う。いずれにせよ、瀟洒ないい建物である。



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