友ヶ島篇
(旧帝国陸軍由良要塞)



 

左:本章は2008年5月18日、和歌山市加太の沖合いに浮かぶ友が島に残る旧帝国陸軍由良要塞の遺構群を訪ねた時の写真で構成する。まずは前夜に入った和歌山市内の名風呂屋、「本町温泉」のアジアンゴシックなネオン。月も出ている。一般公衆浴場でありながら天然温泉かけ流しの素晴らしいお風呂屋さんである。
右:宿泊したヒロポン邸客間にて、ヒロポンに抱かれた愛猫のノラちゃん。



 

左・右:和歌山市中心部から友ヶ島へ渡る加太へ向かう途中の山裾の高台を切り拓いて造成された新興住宅地、「つつじヶ丘」のバス停だが、一日二本しか走っていない( ̄□ ̄;)!! しかもそんな超過疎路線に運輸事業振興助成金を使っているとは(-公- ;)。



 

左:造成だけされた空き地が広がるつつじヶ丘一丁目バス停周辺。
右:その、一日に二本しか来ないバスが丁度やってきた。周囲には本当に何もない(>_<)。



 

左:なんと、送電線がここで途切れている( ̄□ ̄;)!! まるで地の果てといった感じ…。
右:つつじヶ丘をあとに、加太港へ。ここからはで島に渡るのだ。



 

左:こんなところを通っていった(笑)。
右:この波止場から友ヶ島行の通船が出ている。



 

左:「菊の紋章」が貼られた原付が止まっていたww。まさか皇族がいるわけではあるまい(笑)。
右:そしてその名も「ともがしま」という船に乗り込んだ。



 

左・右:窓から見た岸壁。



 

左・右:ともがしまの船窓から多くの漁船が見えたが、なんと船尾に帆を備えた帆掛舟であったのには驚いた。



 

左:島が近付いてくる。
右:加太港から二十分ほどで友ヶ島諸島の中心、野奈浦桟橋に到着した。「友ヶ島」とは単一の島の名前ではなく神島、地ノ島、沖ノ島、虎島の四島からなる諸島である。野奈浦桟橋は最大の島、沖ノ島の中央付近にあって、数軒の民宿などが集中している。



 

左:桟橋に上陸。
右:接岸中のともがしま。



 

左:右手に見えているのは神島。海は紀淡海峡である。
右:沖ノ島中心部の「街並み」。軽トラックなどの車輛が走っているが、ここには公道がないのでナンバープレートがない( ̄□ ̄;)!!



 

左:桟橋の付け根に飾られた要塞砲の砲弾。由良要塞友ヶ島第三砲台、第四砲台で用いられていた8インチ砲のものだと書いてある。
右:友ヶ島砲台群は「土木学会選奨土木遺産」に指定されている。



 

左:このように、どの車にもナンバープレートがついていない。
右:緑の山をどうしろというのだ?



 

左:桟橋の近くにあった小祠。派手なTシャツ姿のヒロポンが写っている。
右:結構荒れていた。



 

左:由来その他何も書かれていなかったのだが、丸に金の字だから金比羅宮だろうか?
右:電柱に貼られた看板だが、どこへ逃げろというのだろうσ(^◇^;)?



 

左・右:和歌山市というと「廃墟とシャッター通りの街」なのだが(´ω`;)、ここにもあった。友ヶ島はそもそも由良要塞の大廃墟群で非常に有名だが、それ以外にもあったわけだ。どうやら民宿だった建物らしい。戦前は民間人の立ち入れない軍事要塞だったのだから、戦後払い下げられた陸軍の建物でない限り、古く見えるが戦後に建てられたもののはずである。



 

左・右:廃墟民宿のすぐ近くにあった、赤煉瓦の倉庫と思しき建物。これは結構状態が良く、まだ廃墟といった感じではない。しかし由良要塞の施設だとすると、明治20年代、つまり19世紀末の建物ということになる。



 

左:但し、付属家の部分の屋根は抜けつつあった。
右:民宿の送迎用らしい乗用車もナンバーがない。



 

左:このように、車の台数は結構ありそう。勿論ガソリンスタンドはないので、各戸で購入し、船で運び、備蓄しているのだろう。
右:日本庭園ならば石臼かと思うのだが、これは正体不明の石製穴開き円盤であった。



 

左:確かにバーベキューをしたら気持ちよさそうな島であった。
右:島内の道路は未舗装で幅員も狭いが、それでもこのように車が通れるレベルに作られている。軍事要塞として陸軍工兵隊が造成したのだろう。



 

左:かつての要塞時代の遺跡だろうか?
右:このように、友ヶ島と淡路島は指呼の距離である。「由良」とは淡路側の地名で、紀淡海峡を挟んで大砲台群を整備し、国家枢要の地である京阪神を侵攻してくる外敵から守ろうとする防衛施設がこの由良要塞なのだ。もっとも、航空機時代に突入してからは「無用の長物」となり、第二次世界大戦では実践に使われることは全くなかった。



 

左:紀淡海峡を大型コンテナ船が通っていく。神戸港か大阪港へ向かうのだろう。
右:入り江越しに見た丘の上の友ヶ島灯台。下には民宿、そして岬の突端には第二砲台址が見えている。



 

左:あちこちに要塞時代の遺構が見られた。
右:これで英語として通じるのだろうか?????



 

左:確かに、ソフトなショルダーwwが崩れていた。
右:これも要塞時代のものだろう古井戸。



 

左:海岸にも崩れた要塞の一部らしき煉瓦構造物の残骸が沢山見られた。
右:蛇ヶ池近くにあった食堂と民宿



 

左:民宿「冨士屋別館」。
右:蛇ヶ池。鬱蒼と水生植物が繁っていて、池には見えない。



 

左・右:そして最初の目的地、第二砲台址に到達。ここは戦後、米軍により爆破されてしまったので、本当に廃墟になっている。明治二十年代に築造された砲台だが、残存部分は非常に美しく、古さを感じさせない。当時として最高レベルの材料を用い、最高レベルの施工がなされたのだろう。



 

左・右:ロープが張られ、入れなくなっている。戦後の爆破による痛み、そしてこの砲台は海岸沿いにあるので波浪による侵食も受けていて、危険なのである。



 

左:物凄く分厚い外壁。敵艦の艦砲射撃に耐えられるように頑丈に造られているのだ。
右:これを爆破するのは大変だっただろう。



 

左:鉄筋に御影石がぶら下がっていた。煉瓦はイギリス積みである。
右:丸いのはえらく小さいが砲座か? 対岸は淡路島の由良地区。両岸に砲台を設置して、大阪湾を守っていたのだ。



 

左:双眼鏡があれば対岸の人物が見えそうな距離である。
右:分厚い煉瓦壁。御影石とセメントも用いられている。



 

左:右:爆破されて既に六十年ほど経過しているのだが、それでもこれだけ堅牢なのだから、明治の建築技術のレベルが偲ばれる。



 

左:ヒロポンが立っている。
右:破壊のひどい部分。



 

左・右:ここに巨砲が据えられていたようだ。



 

左・右:巨大な砲座が一つ、波打ち際に転がり落ちていた。



 

左・右:映画やドラマのロケによく使われるというのもさもありなんと思わせる迫力である。



 

左・右:偶然見つけた「人面木」(笑)。



 

左:友ヶ島灯台へ向かって登ると、途中に第一砲台跡がある。



 

左:まずは灯台へ。リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計で1872年8月1日(明治5年6月27日)に竣工した、わが国最古級の洋式灯台である。
右:完全に埋もれた石造トンネル。第一砲台の施設だろう。



 

左:友ヶ島灯台の官舎。「おいら岬の〜♪ 燈台守は〜♪」と唄いたくなる。
右:友ヶ島灯台の門。今は無人化されていて職員はいない。



 

左・右:白亜の石造灯台、友ヶ島灯台。実に美しい。140年近く前に建てられた貴重な文化遺産であり、現役の灯台である。



 

左:灯台の銘板。
右:日本第二位、光度百九十万カンデラの強烈な光がここから放たれる。



 

左:地上から灯火までは12.2メートルだが、岬の山頂に立っているので海面からは60メートルの高さがある。
右:赤煉瓦の階段があった。



 

左:何故だか旧漢字だった。
右:ぎりぎりまで崖に寄ってみた。



 

左・右:灯台から下って、第一砲台址へ。比較的よく保たれている。



 

左:扉は固く閉ざされていたが、かつては倉庫だったのか、事務所だったのか?
右:とにかく全てが赤煉瓦。圧巻である。



 

左:とても百二十年前のものとは思えない、非常に綺麗なトンネル。
右:当日の面々が写っている。



 

左:こちらはコンクリートで塞がれてしまっている。
右:ゴミではなくモラルを捨てないで、だそうである。足跡のようなイラストは何を意味するのだろう?



 

左:関西国際空港の航空保安無線施設が見える。コウノ巣山である。まさかあそこまで歩いて登ることになろうとは(´ω`;)。僕はこの日、いつもの伯爵スタイル、つまりスリーピースに革靴だったのだ。
右:幸助松海岸。



 

左:幸助松海岸を高台から見る。とにかく登ったり下りたり、大変であった(>_<)。とにかく結構ゴミが目立った。
右:右上の写真の岩を上から。



 

左:ぜえぜえいいながら車の通れない山道を登ると、友ヶ島で唯一の帝国海軍施設、旧海軍聴音所址に到達する。
右:石を貼り、木を植えて擬装された海軍聴音所。鉄筋コンクリート二階建てのように見えるが、これも明治期のものだろうし、よく見ると煉瓦造で、モルタルを塗って仕上げているらしい。無装飾なのはモダニズムの洗礼を受けたわけではなく、単に実用一点張りの軍事施設だからである。検索していると昭和に入ってからだと説明しているサイトもあったが、どうだろう? 堅牢さが要求される軍事施設を、昭和に入ってから、当時としても相当時代遅れであった組積造で建てることはあまり考えられないのだが。



 

左:海軍聴音所庁舎には自由に入れるようになっている。
右:屋内には馬鹿の落書きが多数。どうして「おめこ」と落書きしたくなるのか謎だが、よく見かける。



 

左:何部屋もあって結構広い。ここは厨房か? 
右:入口脇にはぼっとん便所もあった。



 

左:天井など、かなり傷んでいる。
右:壁は煉瓦に漆喰を塗って仕上げられている。



 

左:海に向かって窓がいくつも開いている。ここに機材を置いて、敵艦のスクリュー音や敵機のプロペラ音などを探っていたのだろう。
右:このように外壁と開口部を見ると、煉瓦を積み上げた躯体であることが判る。



 

左:窓からは海がよく見える。レーダーのない時代には、聴音所というのは重要だったのだろう。
右:建築として崩壊はしていないのだが、しかし内部は完全に廃墟であった。



 

左:内装の漆喰が殆ど剥がれ落ちている。
右:天井に開けられた謎の穴。明り取りか?



 

左・右:海軍聴音所外観。



 

左:廃墟化して草木が生えたのではなく、擬装のため元からこのようになっていたと思われる。
右:石貼りも擬装だろう。



 

左・右:このように、二階建てである。内部に階段はないので、外階段があったと思われる。



 

左:海軍聴音所から見た友ヶ島灯台。
右:聴音所の二階。



 

左:海側の窓から見た室内。
右:謎の穴もあった。通風孔か?



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