友ヶ島篇
(旧帝国陸軍由良要塞・淡島神社・海南市)



 

左・右:前章に引き続き、2008年5月18日に、紀淡海峡に浮かぶ無人島、友ヶ島に渡り、旧帝国陸軍由良要塞を探訪した時の写真で構成する。海軍聴音所址をあとにして、今度はコウノ巣山山頂まで登った。まさか、標高119.90米だとは思わなかった(>_<)。ネクタイ締めて革靴で登ったのである(´ω`;)。この高さだから、103メートルの通天閣や108メートルのポートタワーより高い( ̄□ ̄;)!! ビルにしたら三十数階建てに相当する。登ってから、この一等三角点の標高を見てげんなりした。



 

左:周囲を四つの石で保護されている、一等三角点の標柱石。
右:コウノ巣山山頂から見下ろした友ヶ島灯台と、霞む淡路島。



 

左:灯台をズームで撮影。
右:コウノ巣山から友ヶ島群島を見る。小島が神島、沖ノ島とつながって見える画面右奥が陸繋島虎島、更にその向こうにはよく見えないが地の島がある。地の島は大きな島なのだが、灯台がある以外全く利用されていないようだ。ところで「島」で色々検索していたら、ヒューロン湖に浮かぶマニトゥーリン島に行き当たった。「淡水湖の中の島」でありつつ「その中に湖があり」、しかも「その湖にはまた島があり」「その島に更に湖があり」というすごいところらしい。



 

左:神島のアップ。神島にも定期船は通っていない。よって友ヶ島諸島四島のうち、個人で船をチャーターせずに渡れるのは沖ノ島と、沖ノ島から干潮時のみ歩いていける虎島のみである。
右:一等三角点より少し低いところに、巨大な関西国際空港航空保安無線施設が見える。



 

左・右:そして、コウノ巣山の尾根に沿って、広大な第三砲台が残っている。百二十年以上の歳月を経て、しかもそのうち六十年は放置されていたのに、ほぼ完全な形をとどめている。煉瓦建築の堅牢さには感心させられる。



 

左・右:第三砲台はこのように自由に出入りできるようになっている。



 

左:えらく明るいのはストロボを焚いたせい。本当はかなり真っ暗だった。
右:これは自然光で撮影。



 

左:トンネルを抜け、石段を登ったところから撮影。落ち葉がすごい。
右:これは真っ暗な階段をストロボで。



 

左:その先はこうなっている。
右:溜まった水に可愛い青蛙がいた。



 

左:けろちゃんのアップ。
右:腐海の底に沈む古代都市のようであった。



 

左:一面の緑色は実は水面である。右端はヒロポン
右:一面を水草が覆っている。



 

左・右:いくつもの石段と隧道が連なる、複雑な構造であった。



 

左:半ば以上枯葉に埋もれた塹壕。尾根筋である。
右:古代都市遺跡の神殿のようであった。



 

左:大きな丸い穴が沢山あったが、一体どういう用途なのだろう?
右:ここが砲台の中枢だったのだろうか?



 

左・右:このように多数の横穴が掘られ、部屋となっていた。



 

左・右:車も通れそうな大きなトンネルがあった。



 

左・右:トンネルを抜けると、かつての兵舎だったのだろうか? 屋根が抜け廃墟と化した煉瓦造の住宅があった。全く無装飾の簡素なものだが、煉瓦というのは素晴らしい素材でそれだけで美しい。



 

左:内部は和室だったようだ。床の間まであるから、兵舎というより佐官クラスの高級将校の官舎だったのだろう。将軍クラスならもっと豪華になるので、要塞司令官の官舎ではないと思われる。
右:「立ち入り禁止」ではなく「火の用心」なので、入るのは別に構わない。



 

左・右:第三砲台にいた野良孔雀。かつて観光用に飼われていた鹿や孔雀が野生化しているそうである。



 

左:このように非常に人に慣れていた。
右:それにしても、廃墟に孔雀とは、ちょっと超現実的光景であった。



 

左・右:官舎は分厚い土塁で守られていた。



 

左:埋もれた人道トンネル。
右:工事用フェンスに描かれた謎の蟲。羽がないのに飛んでいるようだ。しかも白ペンキで何か消された跡がある。



 

左:そのあと、深蛇池という沼(海岸から百メートルも離れていないのに水面は標高五メートルはある淡水池)を巡り、海岸に出た。蛇に因んだ地名が多いが、色々な神話の島なのだ。イワタイゲキという植物の群生地とのことで、確かに変なのが沢山生えていた。漢字で書くと岩大戟らしい。ゴミさえ気にしなければ、恐山のような超絶的な光景でなかなかにいい。



 

左・右:漂流木の下に岩大戟が咲いていた。珍しいのかも知れんが、特にどうということのない地味な花である。



 

左・右:一向は更に虎島方面を目指すというのだが、この段階で既に二十四時間以上寝ていなかった僕はそこでリタイア。一人野奈浦桟橋に戻り、ベンチで昼寝したり、桟橋で海月を見たりして過ごした。



 

左・右:とにかく海月だらけであった。



 

左:桟橋から陸地を見る。
右:友ヶ島汽船株式会社の定期船、「ともがしま」がやってきた。



 

左:戻ってきた一行と合流して、本土に戻る。19トンの小船だが、それでお122人も乗れる。それにしても船室外というか、甲板部分のことを「暴露部」というのだな(笑)。
右:加太港に到着。「友ヶ島情話」というご当地演歌があるらしい。ヤスは四本と三本で値段が違う。



 

左・右:ということで、加太港にある淡島(淡嶋)神社へ。人形供養で有名なところで、境内全域びっしりとこんな状態ですごい。旧社格は郷社であるが、式内社であり、全国にあるあわしま神社の総本社となっている。



 

左・右:様々な種類の人形が、種類別に並べられていたが、やはり市松人形が壮観であった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上三十枚:全て淡島神社にて。圧巻である。ありとあらゆる「生き物及び神仏を象ったもの」が奉納されているらしい。



 

左・右:僕の日記によく登場するのに一度も写真を載せていなかった、和歌山のじゃんじゃん横丁。1955年と戦後復興期に建てられた、まだまだ戦前の香りのするモダニズム建築である。これは和歌山で唯一まともな紅茶の飲める店である「ペコーズ」。



 

左・右:一旦帰宅後、今度は5月22日、ヒロポンと海南市を訪れた。和歌山市の南隣である。古い日本の地名とは思えない音読みの市名は1934年、黒江町内海町日方町大野村の合併によって市制を敷いて以来だから、案の定比較的新しい地名である。海草郡の南部、という意味だそう。ともあれ、何度も塗りなおされたブリキ看板がいい感じであった。



 

左:若干の改装が加えられているが、戦前建築だろう。
右:この果物屋も古い町家である。



 

左:吃驚するぐらい奥行きのある豪壮な町家邸宅があった。
右:洋風町家、畑山計量器店。



 

左:旧熊野街道に沿って、古い街並みが続いている。
右:畑山計量器店、一階はガレージ化されてしまっていた。



 

左・右:えらく危ないものと日用雑貨を一緒に売っている店があった。



 

左・右:旧街道の街並み。ヒロポンが歩いている。



 

左:町家を使ったシャンデリア工房があった。「キラキラ照明」という店名はどうかと思うし、窓などサッシ化されているのは残念だが、町家の活用はよいことである。
右:「特に寝たきり老人歓迎」だそうである。一階の改装が惜しまれる。



 

左:旧街道沿いの古い建物。スーパーの駐車場として利用されているが、元は映画館だったのではと思われる。
右:国道沿いもなかなか古い建物がよく残っている。



 

左:個人情報保護など誰も気にしなかった時代の町内地図がそのまま残されていた。「東平八郎」さんというお名前には吃驚。
今は存在しない興紀相互銀行が。また海映ビル内の映画館も今はなかろう。九鬼姓も見られる。熊野からは遠いが、和歌山県下なので熊野水軍一党の末裔かもしれない。「ソーコ」は倉庫のようだ。



 

左:海南市の中心部、旧日方町は江戸時代には港町として栄えたところである。
右:左の写真の奥に写っている橋を渡り、振り返ったところ。この川も今は浅いが、かつては港からの小船が多数行き来していたことだろう。海はすぐそこである。



 

左:川沿いにある、古い土蔵のある古民家。
右:海南文化服装学院があった。文化服装学院グループなのだろうか?



 

左・右:とても渋い学校があった。ちゃんと学校法人であるらしい。この看板は門燈に手書きで、学校法人海南割烹学校と記されている。



 

左・右:恐ろしい名前(笑)のスナックだが、横から見ると軒は「和風パラペット」とでも言うべきものであることが判る。



 

左:医療法人仁雇会森医院という普通の皮膚科醫院なのだが。
右:壁に「皮ふの森」と書かれていた。「酒池肉林」の親戚、「兵庫県立尼崎スポーツの森」の遠縁、といった感じである(笑)。しかし、を吊るして林となした阿房宮のように、皮膚で作られた森があったらかなり不気味。



 

左:走行するヒロポンの車から撮影。今となっては何が撮りたかったのか判らんww。
右:故・新町湯。海南市を代表するレトロ風呂屋さんであったのに、この当時既に廃業していて、そして2009年には取り壊されてしまったとのこと。実に惜しい。惜し過ぎる。



 

左:この頃、まだ住居としては使用されていた。二戸に分かれているのか、建物の両端に住戸の玄関が設けられていたが、二階はあまり使われていないのか、五つの窓のうち中央三つは塞がれている。
右:風呂屋としての玄関はこのように男女別となっていた。



 

左:軒蛇腹とメダイヨン。外装は石ではなく、コンクリート洗い出し仕上げ=擬石であった。実に丁寧な細工が施されている。
右:風呂部分玄関の庇。



 

左:庇のスクロール飾り。実に優美な曲線である。
右:住居玄関上のレリーフ。子供か天使だろう。



 

左・右:玄関硝子戸越しに見た内部。全て失われてしまったとは( ̄□ ̄;)!!



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