二千九年北陸旅行記篇



 

左・右:2009年8月25日、北陸を旅した。富山県下新川郡入善町町立発電所美術館に、友人エヌガール女史絶賛の塩田千春展「流れる水」を見にいったのだ。右側、煉瓦の建物が旧発電所である。1924(大正15)年に竣工だから煉瓦建築としては最後期のものであり、登録有形文化財となっている。背後に見えているのは崖上の煉瓦建築と、新設の展望台。



 

左:旧発電所一帯は「下山芸術の森」として整備されている。「下山」は「しもやま」ではなく「にざやま」と読む、難読地名であった。
右:発電所前の広場。



 

左:水力発電所だったので、水門の跡がある。
右:発電所外観。実用一点張りで全く装飾がなく、既にモダニズム建築となっている。



 

左:同じ場所から角度を変えて。
右:こちらが入口である。平野の真ん中にいきなり崖があり、その上はまた平たい台地であった。この高低差を利用しての水力発電所で、銀色の導水パイプが二本見えている。



 

左:この妻壁のほうが「正面ファサード」ということになる。装飾性は非常に希薄。
右:内部は撮影できないので、ここからは見学後。裏の崖の上まで芸術の森は広がっていて、階段で登れるようになっていた。



 

左・右:この太いパイプを一気に水が流下し、巨大な発電機のタービンを回していたのだ。



 

左・右:このように、側面からパイプが発電所内に引き込まれていく。



 

左・右:崖を登る階段。屋根は芸術の森として整備する時に架けられたものだと思う。



 

左・右:上から見下ろすとこんな感じ。



 

左:崖っぷちにも小さな煉瓦の建物があった。カフェになっているのだが、非常に商売っ気がなく、この時も閉まっていた。営業時間が極度に短いのだ(-公- ;)
右:崖っぷちから見下ろした発電所。発電に利用された水は、そのまま富山平野の田畑を潤すのだろう。



 

左:更に、崖上の展望台に昇った。
右:展望台からの絶景。ほぼ地平線と平行に走っている高架は、「無駄」というほかない北陸新幹線建設現場である。「ストロー効果」で地方がますます衰退するだけ。しかも東京とだけ結ばれて大阪までは「計画路線」であり同時完成ではないので、ますます「東京一極集中が進むだけ」に決まっている。愚策というほかない。



 

左:展望台から見た、導水路。この水路の水が一気にパイプを流下して発電所に入るのだ。
右:崖上に設けられた芸術の森の施設。このように、崖上はまた平坦な田畑が広がっている。



 

左:遠く富山湾まで見通せた。
右:人面木があった。



 

左:ギャラリーやアトリエらしい。
右:展望台と煉瓦建築。



 

左:ドラマのロケなどにも使われ、最近人気が高まっているという電気ビル。富山市の中心部で、正式名称は富山電気ビルディング。設計は富永襄吉、竣工は1936年である。
右:何とも変わった名前のお店。



 

左:越中富山というと褌と薬売りで有名である。ここは反魂丹の老舗、池田屋安兵衛商店である。
右:富山市の中心市街地「総曲輪(そうがわ)」は駅から離れていて、富山地方鉄道富山市内線で結ばれている。



 

左:路面電車の大半は広告が施されているようだ。
右:北陸の名門百貨店、大和旧富山店。本店は金沢の香林坊で、富山の総曲輪にもこのような名建築の店舗を構えていたのだが(-公- ;)



 

左・右:大和旧富山店。1934年(1937年?)竣工のアール・デコ建築であるのに、取壊し寸前といった風情であった。村野藤吾の傑作、心斎橋本店を破壊した結果経営に行き詰ったそごう(ミレニアム・リテイリング)同様、富山店を新築の再開発ビルに移したこの愚かな田舎デパートは、案の定破綻を待つばかりの経営状態となっている。設計は清水組、とまでしか判らないが、新宿伊勢丹をモデルにしたらしい。確かに似ている。



 

左・右:衰退しシャッター通りと化し、最早手の施しようがなく滅亡を待つほかない総曲輪地区の現状を象徴するかのごとき、痛々しい旧大和富山店。この名建築を活かせないのだから、大和にも総曲輪にも将来などあるはずもない。



 

左・右:今年ぐらいに取り壊される可能性もあるらしい。和歌山の中心市街地「ぶらくり丁」が衰退した原因の一つとして、路面電車の廃止が挙げられている。総曲輪同様、ぶらくり丁も南海和歌山市駅、国鉄和歌山駅から離れているのだ。しかし、路面電車が頑張っている富山で、どうして総曲輪がここまで衰退しているのだろう。やはり文化も歴史も伝統も理解しない馬鹿が街造りの中心に居座っているのだとしか思えない。和歌山の場合、路面電車が残っていたらここまで無残なことにはなっていなかっただろう。



 

左・右:どうやら右半分は戦後の建増しらしいが、スタイルがちゃんと統一されていて、大阪ガスビルの増築同様違和感がない。それに何より、地方都市のデパートとしては十二分な大きさである。移転する必要など全くないのに、何という無駄をするのか。呆れるほかない。大和百貨店の倒産、数年以内であろう。全く同情の余地がない。さっさと潰れるがいい。



 

左:「閑散」「人っ子一人いない」という言葉以外に形容する言葉がない、総曲輪商店街の惨状。
右:黒部峡谷鉄道宇奈月駅。二重連の電気機関車が牽引する13両編成の長大な列車に乗り込んだ。762ミリゲージの軽便鉄道なので、なんとも可愛らしい電気機関車である。



 

左:黒部峡谷鉄道は軽便ながら観光鉄道ではない。このように実用の貨車が沢山並んでいた。
右:この吹きさらしのトロッコ列車に乗った。真夏なのに特に帰りは凍えるほど寒かった。



 

左:上り終電の出発を待っていると、関電専用列車が入線してきた。
右:富山だけに薬の広告が出ていたが、「ズバリ(頭齒利))」というズバリなネーミングであった。



 

左:いよいよ発車。
右:黒部川を渡る。人が渡っている橋は峡谷鉄道の旧線路である。



 

左・右:黒部川はダムだらけ。最初に見えてきたのは宇奈月ダムである。自動車道が通じているのはここまで。



 

左:物凄く趣味の悪い西洋古城もどきのこの建物は何かというと、関西電力の新柳河原発電所であった。ここまでやるなら、ちゃんと石を使わないと、すごくちゃちに見える。左側から発電所へつながる通路は黒部峡谷鉄道の引込み線になっていて、線路が引いてある。架線鉄柱も見えている。
右:吹きさらしなので、乗り出して撮影できる。危ないが。



 

左:非常に険しい地形なので、トンネルだらけ。
右:砂防ダム(堰堤)だらけの支流がダム湖に流れ込んでいる。



 

左:先頭方向を見て撮影。機関車二両に続いて、客車二両目に乗っていた。
右:振り返るとこんな感じ。軽便鉄道なのに大変な長大編成なので、機関車が重連なのだろう。後ろのほうには吹きさらしでない客車もつながれている。



 

左:猿専用吊り橋。ダム湖によって猿の交通が遮断されるので、そのためにかけられたものだそう。
右:ゆっくりとはいえ走行中の列車からなので、ぶれた写真が多い(-公- ;)。これは仏石。天然の石仏である。



 

左:今度は人間用かと思えば、さにあらず。源泉である黒薙温泉から宇奈月温泉郷への導湯管であった。
右:トンネルはセメントで固められず、岩肌剥き出しのものが多かった。



 

左:観光列車は停まらない関電専用の駅が沢山あった。単線なのでそういうところで「運転停車」(旅客を乗降させない停車)して対向列車とすれ違う。僕らの乗った上り最終はがらがらだったのだが、すれ違う列車はいずれも超満員であった。
右:とにかく風光明媚。



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