路上觀察・都市探險篇 其ノ四
(携帯写メ篇@)

  

左:撮影日不明。今は亡き名建築、三信ビル内「ニューワールド」の巨大なハンバーガーである。
右:これも撮影日不明。東京・自由ヶ丘マーケットの甘党店で現役で活躍するカキ氷マシン。
右:2005年12月30日撮影。日本最大のコリアタウン、大阪市生野区旧猪飼野地区にて、旧地名の町名板が残っていた。



 

左:石切さんの愛称で知られる由緒正しい式内社石切劔箭神社の施設の一つ、「石切夢観音」の本尊。なぜか石切劔箭神社のオフィシャルサイトには出ていないが、石切参道に数多ある「小判鮫型新興宗教」ではなく、あくまで石切劔箭神社の一部である。「珍スポット」としてマニアの間では有名だが、しかし「仰々しい権威主義」とは対極にあるこの緩さ、極めて関西的でとても好感が持てる。(2006年1月3日)
右:これは生野区で見つけたと思う、珍しい名字。「加貫ローラ製作所」である。(4月26日)



 

左:同じく生野区にて。「メゾンド花」というマンションだが、「Maison de Hana」ではなく、ローマ字で「MEZONDO HANA」と書かれている(-公- ;)。誰か途中で注意してやるやつはいなかったのか…? ともあれ、この日は生野区内を今里から巽附近まで歩いた。生野区とはいえ、最寄駅は今里というエリアである。
右:非常に古風な店名であった。「満田かもじ店」。鬘屋さんか?



 

左:そして巽北にて。元気に頑張っている「力餅食堂」を見ると嬉しくなる。以上、2006年4月26日。
右:競馬(くらべうま)神事が行われる日、上賀茂神社(賀茂別雷神社)にて。(同年5月5日)



 

左・右:伊勢神宮に次ぐ社格を誇る上賀茂神社の祭礼には、国家神道化される以前の古いスタイルがよく残っている。騎手を乗尻と呼ぶが、全て社家の男性が務めることになっている。社家の「名字」は様々であるが、「(本姓)」は全て「賀茂県主」氏である。烏帽子には「物忌」と書かれた小さな札がある。陰陽道である。



 

左:これも5月5日。北山通りの店先で見つけたバリの石造。結局このあと、当家(甲麓庵)の玄関先を飾ることになった。この蛙も欲しかった。
右:和歌山市の中心街、ぶらくり丁近くの雑居ビルにて。注射器のイラストと「Drug」とはまた、すごい店名であるσ(^◇^;)。(5月9日)



 

左・右:尼崎市にて。阪神尼崎駅近くの神田公園の砂場には巨大な蛸がいて、そして「恥ずかしい干し物」をしてはいけないという注意書があった(笑)。これ、どう見てもおねしょ布団である。(5月20日)



 

左:同日、神田公園すぐ横で見つけたジュースの自動販売機にて。こんなもん、冷やして売ってどうするσ(^◇^;)。幾ら周囲がフーゾク街だからとはいえ……。
右:大阪駅前第一ビル一階エレベータホール近くにて。色んな学校があるもんだ。(5月29日)



 

左・右:くれぴ少年と共に、明治の政商大倉喜八郎男爵京都別邸として鬼才伊東忠太博士によって建てられた「祇園閣」を訪れた。(6月3日)



 

左・右:そして、伯爵邸甲麓庵の玄関先に鎮座したバリの石造。くれぴ少年が「考えぬ人」と命名した(笑)。(6月7日)



 

左:阿倍野区にて発見した、「ナウなファッション」。この店舗、少なくとも2010年には現存していた。恐らく今もまだある。店名は「クラマエK.K」であった。(6月12日)
右:台東区入谷で見つけた、木造三階建ての渋い酒屋さん、「水上酒本店」。1929年築である。(6月24日)



 

左:悲惨な姿にされてしまった交詢社倶楽部。唖然とするほかない。日本綿業倶楽部(重要文化財)、大阪倶楽部(登録有形文化財)、中央電気倶楽部(近代化産業遺産)などが現存し、大切に使われている大阪と違い、東京の歴史的クラブハウス建築は全ては解されてしまった。(6月25日)
右:関西では全く見かけないのだが、東京には「富士塚」が多数あり、それぞれ「お山開き神事」が行われている。これは「下谷富士塚」と呼ばれる小野照崎神社のもの。僕ら関西人から見るととても珍しく興味深い。(6月27日)



 

左・右:厚かましくも「文化学院」を名乗る底辺校が自らの文化性を否定する愚行、つまり校舎を破壊している犯行現場に遭遇した。こんな学校、じきに倒産するだろう。(同日)



 

左・右:この日の昼食は神田の老舗、「今荘」にて江戸前の鰻丼を食した。1933年築の近代建築で、千代田区の景観まちづくり重要物件に指定されている。



 

左:同日、神田にて。結構なお値段の木彫の蛸が、何故だか路上で売られていた。
右:神戸市東灘区御影。豪邸の建ち並ぶ界隈でも一際目立つこの洋館は、朝日新聞創業者香雪・村山龍平の邸宅である。明治42(1909)年の建築、河合幾次設計、竹中工務店施工。(7月13日)



 

左:これは確か元共同管理人風太から届いた写メ。よって場所など一切不明。(8月9日)
右:撮影場所は記憶していないが、多分西宮市内にて。阪神間の住人なら素直に「だいもつ」と読めるが(念のために書いておくと、大物は尼崎市に存在する歴史の古い地名である)、知らない人は「大物が乗ってるわりには庶民的な車だ」と思うだろう(笑)。と思って念のために「株式会社大物」で検索したら、関西企業ではあったが尼崎ではなく大阪市生野区の会社で、しかも読みは「だいぶつ」だった。「大阪物産」の略ということで納得。(8月18日)



 

左:岸和田の名建築ながら何の保護もされず破壊されつつある、マンサード長屋。(8月20日)
右:平野区の融通念仏宗総本山大念仏寺のトイレにて。(8月27日)



 

左:同じく大念仏寺にて。年に一日だけ、寺宝の「亡女の片袖」などが公開されるのだが、一宗の総本山であるのに、さすが大阪のお坊さん。なかなかのいちびり振りを発揮した、不気味な手書き看板であった。平野・町ぐるみ博物館の一つ、「幽霊博物館」でもある。(8月27日)
右:登録有形文化財小林新聞舗。「新聞屋さん博物館」として月一回だけ公開されている。建物は1929年で、看板建築ではなく鉄筋コンクリートのビルヂングである。中央黒いシャツはヒロポン。



 

左:これも平野区にて。高野山真言宗の古刹野中山全興寺の門前なのだが、些か悪乗りしすぎの感もある看板(笑)。地獄堂はいわゆる「B級スポット」として有名である。
右:これより「おわら風の盆」で有名な越中八尾の街並みとなる。毎日新聞糸瓜句会の一泊吟行で訪れたのだが、一番感動したのはこの看板だった(笑)。何しろ「刀剣鞘製作 クリーニングのヤングドライ」なのだwwwwwww なお、この当時は富山県婦負郡八尾町だったが、悪しき平成の大合併のせいで今では富山市に侵略され、富山市八尾町となってしまっている。(2006年9月1日)



 

左:翌朝、外山駅前にて撮影した富山地方鉄道富山市内軌道線の路面電車。
右:そして旧国鉄富山港線をLRT化した第三セクター、富山ライトレールの電車。(9月2日)



 

左:大阪市北区、天六附近にて、寿司屋の看板なのだが……。もう少し美味しそうに描いた方がいいのではないかσ(^◇^;)。
右:同じく天六附近の中華料理店「清龍」の提燈。「うざ」と書かれているが、実は「ぎょうざ」の「ぎょ」が見えていないだけ(笑)。(以上二点、9月24日)



 

左:阪急西宮北口駅に2010年まで存在していた、シャッターに描かれた「どう見てもプロが描いたとは思えない」ひどいペンキ絵(笑)。いや、好きだったので、なくなったのが残念なのだが、大手私鉄の本線の特急停車駅なのに、あまりにも珍妙であった。(10月2日)
右:これは大阪の都心中の都心、御堂筋にて、それも登録有形文化財である瓦斯ビル前に置かれていた現代アートのオブジェであった。榎茸である。(10月2日)



 

左:京都の都心部にて。新京極か寺町京極であったと思う。「小便」ではなく「しょんべん」という表記に、犬への愛情が感じられる(笑)。
右:河原町四條下ル、壽ビルデイングの「ギャラリーギャラリー」に展示されていた、不気味な陶製の皿。ヒロポンと二人で行ったのだが、「現代アートなんてキモくて何ぼ」というのが持論の僕らなので、これはいたく気に入った。(以上二点、10月23日)



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