骨董建築写真館 路上觀察・都市探險篇・其ノ弐
骨董建築写真館

路上觀察・都市探險篇・其ノ弐

 

左:大阪市福島区にて。大阪市内には莫大小がつく社名が多く、同じ福島区内には近代洋風建築である大阪莫大小会館も存在する。さてなんと読むのでしょう? これで「いながきめりやすかぶしきがいしゃ」と読むのである。糸偏(繊維産業)の街大阪ならではの社名といえよう。(2001年夏採集)
右:[VOW」などでも同名社名が時々報告されているが、見も蓋もない社名。でも下の写真を見てもらえば解るように、ごく普通の極めて真面目そうな会社である。大阪市北区、財務省造幣局の近所にて。(2002年春採集)

 

左:アクメ渇東i。このように堂々と大看板を高く掲げて営業中である。
右:神戸市旧葺合区、阪急電車神戸本線春日野道駅北側の商店街にて。煙草と珊瑚という脈絡のない二品を商う店を発見。(2002年春採集)

 

左:神戸市旧生田区、新神戸駅から北野町の異人館街に登る途中で見つけた張り紙。六大都市の一つ、人口百五十万人の神戸市の中央区であるのに、「猪に餌を与えないで下さい」との趣旨である。標高九百三十一米の六甲山が市のど真ん中に聳える神戸市ならではの張り紙といえよう。
右:神戸市旧生田区、大神戸市随一の盛り場東門街にある巨大な魔女型看板。共同管理人の遊月に似ているなどと口を滑らせたら命の危険が・・・(^_^;)。(いずれも2002年初夏採集)

 

左・右:神戸市旧生田区、旧外国人居留地にて。旧居留地唯一の明治期の異人館(木造洋館)である元アメリカ総領事館( 旧居留地15番舘)、潟mザワ前にある銅像。タイトルは「おしくらまんじゅう」なのだが、どう見ても“阿鼻叫喚地獄”にしか見えない(^_^;)。参照⇒<増補>。(2002年春採集)

 

左:大分県別府市内にて、美麗なる“純粋階段”を発見。純粋階段とは路上観察学会の定義による“超藝術トマソン”の一種。行き先が塞がれたためどこにもつながっていない、純粋に昇降するためだけに存在する階段をいう。(2002年4月採集)
右:東京都武蔵野市、井の頭公園にて。これまた“超藝術トマソン”の一種といっていいだろう。実用性皆無とはいえないが、元々スロープ上になっている橋に更に付け足されたスロープ。典型的な税金の無駄遣いである。(2002年4月採集)

上:いわずと知れた、見ての通りの「楽天市場」のバナー広告。しかし、あまりにもお下劣である・・・(^_^;)。何も動かさなくても・・・。(2002年10月採集)

  

左:京都市中京区姉小路通で見つけた実に珍奇なる物件。これも“超藝術”系といえようか。道の狭い京都では角に石等を置いて車が建物を擦らないように保護しているところが多いのだが、この角石の場合、更にそれを保護するための鉄柵が設置され、更にご丁寧なことに屋根まで架けられているのである。建物の角を保護するために設置されたはずの石を更に過保護なまでに保護するこのこだわりは一体何か? 高価な庭園用の石を用いているのだとしても、これでは意味をなさない。派手な赤い鉄柵はその石が観賞用であったとしても、情趣を著しく削いでいるのである。つまりは石の存在意義が全く希薄になっているが、この作者にはそんなことは対して意味を持たないのだろう。何が何でも石を守るという執念を感じる。(2000年採集)
中:ついでに京都ネタを並べてみる。これは有名な茶の老舗、寺町通の「一保堂」の古雅なネオンサインである。(2002年夏採集)
右:「一保堂」の近く、古い商家の側壁に残されている昔の看板。(2002年夏採集)

 

左:古い民家の玄関付近によく見られる、様々な標章を貼付した板。円形の青い琺瑯バッジは今はなき旧京都瓦斯の加入者証である。
右:古い酒屋の軒先などでよく見かける、醤油や酒の特約店証。(いずれも京都にて、2002年夏採集)

 

左:同じ醤油屋にて。
右:これも京都にて見つけた、1960年代ぐらいと思われる琺瑯看板。三洋電機のロゴが今のものとは異なるし、京都市内の市内局番が二桁である(2002年夏採集)

  

左:京都市左京区、古い寺院の山門のくぐり戸にて。修行僧がいるのであろう、このような表示があった。
中:左京区の古い風呂屋にて。本日っていつだかわからないが、相当の年月を経ていることは確かだろう。
右:同じ銭湯の門灯。傘付裸電球が懐かしい。

  

左:京都の中心部、下京区綾小路通にて。何故に「ロココ」なのだろう? マリー・アントワネット王后でも出てきそうな店名である。西洋惣菜ならまだわかるが、京のおばんざいなのにぃ〜。
中:京都の目抜き通り、烏丸通にて見つけたすごい名前の会社。医療系の会社なのだろうが、マークがかわゆい♪
左:京都御所に面した丸太町通にある、如何にも老舗らしき烏帽子屋さんの看板。

  

左:京都市内で見つけたかなり年代物のマンホール。「排気弁」と書いてるのだが、「気」は「氣」だし、「弁」が「辨」でもないすごい字になっている。
中:古い民家の壁。
右:同じ町名表示板のアップ。

   

上四枚:京都市中にまだまだ沢山残っている、昭和初期の仁丹広告つき琺瑯製町名表示板。中右のものなど、京都の地名表記の原則がよく判る。河原町通に面した側は「河原町通夷川」、夷川通に面した方が「夷川通河原町」となっている。

  

左:これも同じく。
中:中には仁丹物以外もある。これは戦後のものだろうが、琺瑯製ではなくブリキ製なので、遥かに劣化が進んでいる。
右:中京区にて。小さな寺院の門で見つけたニャンコである。(このページいずれも2002年夏〜秋に採集)

  

左:京都の繁華街、新京極の裏通りにて。仲がいいのか悪いのか、各自微妙な距離を保って寛いでいる。
中:大阪市の南部、住吉公園にて。気合の入った野良猫でじゃりン子チエにでも出てきそうな感じ。
右:これも大阪の下町、西成区山王の路地裏にて。猫のパラダイスといった感じのところであった。

 

左:同所にて。とにかく猫の多いところであった。(以上猫の写真は2002年夏採集)
右:大阪市西区の安治川沿いの倉庫街にて。ナンバープレートに注目。連番である。(2000年3月採集)

 

左:同じく大阪市西区、安治川の埠頭沿いの倉庫街にて。住友倉庫本社内に右から左に「たばこのめぬ」とと書かれた、明らかに戦前のものである琺瑯看板が無造作にしまわれていた。(2000年3月採集)
右:神戸市旧生田区、異人館街の一角、不動坂にて。外国人の多い街神戸にあってもこの地区は殊のほか外国人人口が多く、このように外国人オーナーが主に外国人を対象に賃貸しているマンションも幾つもある。「サドワニマンション」という名前からしてここのオーナーはインド系か? 

 

左:神戸のシンボルストリート、トーアロードにて。横浜華僑六千人に対し、神戸華僑は八千人と言われている。中国寺院である関帝廟が有名であるが、当然クリスチャンの華僑のための教会も存在するのだ。
右:トーアロードを一番上まで登り、神戸外国倶楽部から右に曲がったところにある、南アジア系らしい姓の外国人貿易商。いかにも神戸らしい。(以上神戸の写真は2002年夏撮影)

  

左:神戸の中心部、JR元町駅付近の高架下のゲーセンにて見つけた、“あゆ階段”。
右:杉原千畝代理領事の「六千人の命のビザ」で救われたユダヤ人の多くは、亡命の途中神戸に滞在した。在住外国人の多い神戸だが、現在も日本で最も在住ユダヤ人の多い都市である。従ってシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)も建立されているのだ。旧区名である生田区の名前が残っているのも感動もの。(以上三点、2002年夏採集)

  

左:東京・浅草の裏通。怪しげなネオンも美しい曖昧宿が多数並んでおり、大阪・新世界ととてもよく似た雰囲気であった。
中:曖昧宿の料金表。表にでかでかと掲げられていて、大変明朗な会計である。しかも安い。
右:浅草の商店街にて。ホームレスの店頭就寝を拒む張り紙はよく見かけるが、直接シャッターに書き込むようなえげつないことは少なくとも関西文化圏では見られない。

  

左:浅草の商店街で見つけた謎の商店。帰ってから辞書で引いてみると、「メリンス」とは「モスリン」の意で、「モスリン」とは「[(フランス) mousseline]〔モスルから織り出されたからという〕薄く柔らかい平織りの梳毛(そもう)織物。メリンス。モス。唐縮緬(とうちりめん)。〔「毛斯綸」とも書く〕」とのことであった。(以上東京四点、2002年春採集)
※2006年5月10日追記:兵庫県尼崎市と大阪府大阪市の間にかかる橋に、その名も『毛斯綸大橋』という橋がある。
中:これは大分県別府市の盛り場で見つけた、古風なポルノ映画館。
右:同じく別府市にて見つけた、いろいろなものが絡まったベランダ。(風太撮影)

  

左:大分県臼杵市の旧市街で見つけたカゴメソースの琺瑯看板と旭味のブリキ看板。(2002年3月採集)
中:大阪市北区中崎町界隈の路地に多く見られる、豊崎神社氏子標。琺瑯製で、恐らく戦前のものであろう。
右:いささかぼけた写真になってしまったが、同じ界隈の古い長屋などによく見られる、濟美會なる団体の琺瑯看板。何の会なるかは不明なるも、町内組織であるらしい。(以上二枚、2002年秋採集)

 

左:香川県高松市の中心部で見つけた不思議な商家。恐らく戦前の建築であろう純和風の商家なのだが、壁が一面「SHARP」のロゴのついた銀色のパネルで覆われているのだ。(2002年4月採集)
右:じゃりン子チエが飛び出してきそうな大阪の下町、西成区山王の駄菓子屋の看板。サッシではない木星建具の窓も、型押しガラスも最早貴重品である。

  

左:日本三大寄せ場の一つ、大阪市西成区の“釜ケ崎”地区にて見つけた激安缶ジュース自販機。最近近畿圏では100円缶ジュース自販機は増えているが、ここまで安いのは滅多にない。モデルは共同管理人團全員と友人である大阪の大学生まりちん。
中:大阪、飛田新地遊廓の大門のすぐ北側にある、古い煙草屋さん。タイル張りにペンキで描かれた看板が珍しい。
右:鶏肉をかしわと言い、肉屋ではなくかしわ専門店があるのは文化度の高い関西独特のものである。(以上三点、2002年夏採集)

  

左:よくあるタイプの看板型トマソン。赤字で書かれた部分のみ褪色してしまい、何が書いてあったのだか判らなくなってしまったもの。
中:新世界の外れにある寿司屋の生け簀。いつ行っても見るからにいきの悪そうな魚が死にかけている。
右:通天閣のふもとのパチンコ屋の看板。通天閣型である。(以上三点、2002年夏採集)

   

上:四枚とも大阪市浪速区。新世界のじゃんじゃん横丁の南端にある公衆便所の落書き。といっても個室ではなく、男性用小便器の上に一つずつ書かれていた。左から「デカマラ用」、「小さいチンポ用」、「右曲がりチンポ用」、「太マラ用」である。(2002年夏採集)

 

左・右:じゃんじゃん横丁南端、JRのガードをくぐったところにある名物のたこ焼・お好み焼の屋台。ご覧の通りべらぼうに安く、しかも美味しい。風太は大喜びしていた。彼はたこ焼が大好物なのだ。付近には古着をはじめ様々な露店が並んでいる。(2002年夏採集)

上:新世界の路地裏の屋台店にて。開店準備中の親をカウンター越しに冷やかす少女。このサイトの入口に置いたところ好評を博した作品である。(2002年夏撮影)

  

左:新世界で見つけた旅館。「古風豊にして真面目な旅館」なんだそう。それじゃ不真面目な旅館というのもあるのだろうか?
中:官幣大社である住吉大社にて見つけた、兎型の手水口。
右:ワールドカップ応援スタイルの食い倒れ人形。フェイスペインティングまでしている。

 

左・右:道頓堀のシンボル御三家が、この時期すべてワールドカップ仕様になっていた。こんなことをするから馬鹿な体育会系ノンケどもが戎橋からダイビングしたりするのだ。

 

左:吉本興業の本拠地、なんばグランド花月の真向かいにある古風なポルノ映画館テアトルA&Pのペンキ看板。
右:今思えば、南船場地区のオシャレゾーン化の走りがこのビルだったかもしれない。心斎橋の有名な昆布の老舗、小倉屋山本が建てた本社ビルである。資料によると、ガエターノ・ぺッシェ設計によるオーガニックビルディング大阪、竣工は1993年とのこと。

 

左:ちなみにこれが普段のグリコネオン。モデルは美人OL櫻子と、某出版社編集部のK松君。(2002年9月)
右:熊谷真菜女史の長女桃ちゃんが京都の時代祭に出演したので、風太と見物に行った時の写真。百済王明信の一行が浜崎あゆみの「voyage」のビデオクリップとそっくりのファッション、そっくりのメイクであった。

 

左:時代祭にて。中央、薄青色の着物が桃ちゃんである。(2002年秋)
右:京都、東華菜館アンティークエレベーター。(2002年9月)

 

左:京都の古い民家で見つけた、「郵便新聞差入口」。今ではあまり見かけなくなってしまった。
右:これも京都、新門前通界隈にて。タイル貼、曲面硝子の煙草屋さんもすっかり珍しくなってしまった。(2002年夏)

 

左・右:JR大阪駅構内、ギャレ大阪の2002年夏のバーゲンのポスター。いかにも大阪らしい(^o^)。大学生まりちんが狂喜していた。

 

左・右:大阪マルビル地下二階入口にある、やたらハイテックな狛犬。左が阿形、右が吽形であろう。(2002年春採集)

上:大阪市内ではよく見られる、所謂「二度づけ厳禁」スタイルの立ち食いクシカツ屋。ここは何ともふざけた店名だが、阪神電車梅田駅中央改札を出たところという地下街の超一等地にあり、恐らく阪神電鉄直営である。
※2006年5月10日追記:現在は別の店舗になっている(T_T)

 

 

左:大阪、キタ地区の下町、天五中崎商店街にある古い駄菓子屋さん。(2002年春採集)
右:生野区、桃谷商店街で見つけた文房具屋さんの看板。(同)

 

左:同じく桃谷商店街にて。非常に近接して同じような看板があった。
右:京都、南座の正面に掲げられた“まねき”。師走の京都の風物詩の一つである。(2001年12月採集)

 

左:招きの下には芝居絵も飾られている。
右:市の再開発により一時的に死の街と化している大阪市阿倍野区旭町地区にて見つけた、空きビルの看板。SMって何の略なのやら・・・(^_^;)。(2002年秋採集)

 

左:同じく阿倍野区旭町本通商店街付近にて。よくある「立小便お断り」を意味する鳥居張り紙なのだが、一体全体どういう意味か「野良犬よし」と書いてあるのだ・・・。野良犬は小便をしてもいいという意味だろうか? しかし野良犬には字は読めない。(2002年秋採集)
右:その近く、西成区山王にて見つけた鉄道廃線跡。南海電車の天王寺支線の痕跡である。左の壁、台形状の部分が線路の路床で、左から右に低いガードがかかっており、道が窪んでいるのは線路の下のアンダーパスだったからである。(2002年秋採集)

 

左:大阪市西成区山王で見つけた、古い古い曖昧宿。どうやらもう営業はしていないらしいが、右手に奥行き深く、入口も何箇所もあり、実にいい感じ。(2002年9月採集)
右:左の写真の大看板の下に、スリット上の小さな硝子看板があり、旧漢字で洒落たコピーが書かれている。

 

左:同じ旅館の壁面。古風な人造大理石の流し台があった。
右:同じ旅館の二階側壁。曖昧宿の象徴、赤い温泉マークも艶めかしい硝子の看板と丸い窓、大変に渋い風合いである。

 

左:今度はキタである。天六(大阪市北区天神橋筋六丁目)の近くで見つけた、もう誰も住んでいない古いアパート。丸窓がモダンな雰囲気を醸し出している。名前は「天六阪○アパート」だったようである。(2002年秋採集)
右:同じアパートのアップ。

 

左:上のアパートを側面から見たところ。左側が正面である。かなり奥行きのある建物であることが判る。
右:コレギウム・ムジクム・テレマンのマンスリーコンサートにて我等が友人中野振一郎氏が弾いたポジティブ・オルガン(小型のパイプオルガン)。(2002年度のマンスリーコンサートより)

 

 

左:同じオルガンを背面から見たところ。パイプが沢山内蔵されているのが判る。会場はもちろん、登録有形文化財大阪倶楽部である。
右:中野氏の愛器、パリのフォン・ナーゲル工房製のバロックチェンバロ。

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