弐千八年関東下向記T

上:2008年1月19日、甲麓庵歌會第八回関東例会は、厳寒の松戸駅に集合であった。滅茶苦茶寒い中を物好きとしか言いようがないが(笑)、吟行なのである。ということで、まず向かったのがここ、戸定邸。水戸徳川公爵家の分家、松戸徳川子爵家の邸宅である。門はこのように茅葺で小さく、侘びた風情であった。



上:石段を上り詰めて、戸定邸正門を見る。元々は1884(明治17)年に水戸徳川家最後の藩主だった徳川昭武公の別邸として建てられた。国指定重要文化財となっている。



上:戸定邸玄関。この格式のある玄関は、往時は賓客しか使えないものであった。向かって左側に、日常用の内玄関がある。



上:上級武家屋敷の造りの戸定邸だが、明治になってからの屋敷だけあって、庭は芝生。洋風である。



上:決して華美ではないが、非常に質の高い空間であった。但し関東なので畳は小さい。



 

上二枚:戸定邸の庭園。朝方は富士山が見えたとのことであった。



上:凝った細工の釘隠し。



上:空気の澄んだ冬、寒い寒い日だったのに、既に富士山は見えなかった。



上二枚:広いのだが、火の気がなくてとにかく寒かった。せめてスリッパが欲しかった(>_<)。



上:庭の蹲。



上:数奇屋風の照明器具。そういえば、名建築が壊されるのを手薬煉引いて待ち構えて、ハイエナのように集めて回る悪徳ガラクタ商店があった。暴走族上がりであることを自慢する痛いタチバナとか言う男が店主だったが、まだつぶれてないのだろうか? あれこそまさに京都の恥である。



 

左:縁側の鍵は懐かしいタイプ。触ってるのはワカメ女史、横顔は日向燦太。
右:大邸宅の湯殿なのに、浴槽はとても小さかった。青いタイルが美しい。



 

左:ボランティアガイドのおばさんのみ、暖かそうな上履きを履いていた。湯殿はこのように、欄干から一段低くなっていた。
右:湯殿の階段。渡り廊下から一切扉がないのが面白い。



上:湯殿の天井は網代になっていた。



上:この一段高い部分が脱衣場所だったのだろうか? 不思議な造りであった。



 

左・右:母屋から湯殿への渡り廊下。後姿は恐らくリュミ女史。



上五枚:様々なデザインの欄間。雀、蝶、蝙蝠など。



上:玄関の中、早くも梅が綻び始めていた。



上:葵の紋が入った瓦。



上:庭には霜柱が。



上:「まつどし おすい」と書かれたマンホールの蓋。なぜだかコアラの図案である。



上:タクシーに乗って矢切の渡しへ向かう。堤防下の水路は、そろそろ昼なのに凍ったままであった。寒い。



 

左:堤防にあった、矢切の渡しの石碑。
右:矢切の渡しの料金表他。手書きで色々書いてあって面白い。



上:松戸側はこのように本当に何もない場所で、渡し舟と他の公共交通との接続は全くない。ただただ畑が広がるばかりである。



上:松戸川河川敷は、ゴルフ場になっていた。



上:細川たかし筆の石碑。



上:様々な注意書。「音楽、説明等はありません」というのが微笑ましい。



上:寒風の中を進む渡し舟。櫓を使っているが、この写真でも発動機を備えているのが見える。



 

左:葛飾側からやってきた渡し舟。
右:手作り感満点の船着場。



上:船上にて。みな寒さで縮こまっている(笑)。中央はリュミ女史、その右後ろは燦太。



上:葛飾側の河川敷で見つけた、素敵な看板。この辺りにはガメラが生息しているらしい(笑)。



上:葛飾側から松戸側を見る。中央の緑青色のドームは栗山配水塔1937年に建てられた近代土木遺産である。



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