弐千拾年關東下向記⑬



 

左:2010年7月15日夜、今年三度目の東下りに出発した。四日市で、いつもより激しく炎を上げている煙突を発見。
右:翌朝、富士山の裾野にて、「風穴」という交叉点があった。



 

左:東名高速走行中、神奈川県下にて発見した「グランド橋」。いや、「グラウンド」ではないのか(笑)? 確かに発音上は運動場のことも「グランド」と言いはするが。
右:7月17日、「甲麓庵歌會第拾九囘關東例會~濹東吟行」である。よりによって梅雨明けで、いきなりの猛暑となった(-公- ;)。集合地点は浅草で、これはカバーをかけられて悲惨な状態になっている松屋百貨店浅草店(東武ビルディング)。東武鉄道のターミナル、浅草駅でもある。ここのネオン、関西式に「東武電車」と書かれていた。1931年、高島屋難波本店の設計者として名高い久野節の設計で建てられたターミナルデパートなのだが、どうしてこんなひどい有様にされてしまったのか(-公- ;)。



 

左:吾妻橋袂の回転寿司屋。「寿司・ゴーラウンド・レストラン」と書いてあるww
右:「浅草花やしき」の送迎バス。パンダのつもりらしいが(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル。



 

左:いわずと知れた、東京名物「金のうんこ」。フィリップ・スタルクは絶対日本人を馬鹿にしているに違いないww。奧に建っている「団地の給水塔」か「安普請の通天閣もどき」のような下品な塔は建設中の東京スカイツリー。
右:東武鉄道伊勢崎本線は、浅草駅を出るとすぐに急カーブで隅田川を渡る。この鉄橋もなかなかレトロであった。



 

左:橋台は更新されてしまっている。
右:馬鹿と煙は高いところに昇る。



 

左:墨堤通、枕橋から東部を見る。丁度特急が浅草駅に到着するところだった。
右:源森川が隅田川に注ぐところ(源森川水門)に架かっている、枕橋。なかなかレトロで特に街灯が面白いが、1928年の架橋とのこと。



 

左:東武電車の橋台が石積みであることが判る。
右:そのレトロなガード下の廃業したパン屋さん。



 

左:パン屋の名前は「グループF-1」だったようだ。右から洋子ちゃん、ラ・リュミエールさん、なおへ、白糸女史、横内氏。
右:隅堤通りを挟んで向かいには「枕橋茶や」が。こちらはレトロ趣味の新しい喫茶店らしい。



 

左:石の橋台に蔦が絡んでいい感じである。
右:墨田公園の入り口。旧水戸藩邸(下屋敷)である。んで、ググろうとすると、「墨田公園 発展」というキーワードが上位に出ていて(笑)、どうやらハッテン場になってるらしいww。公園としての歴史は1931年からなので、この趣のある門柱はその頃のものだろう。



 

左:結構詳しい説明があった。
右:なにやら削られている石碑。



 

左:「指定区域境界」と旧漢字で彫られている石柱。
右:公園内は大名庭園が残されていて、またこれも邸内だったのだろう、牛嶋神社があった。



 

左:牛嶋神社拝殿。
右:牛のお守り。ちょっと可愛い。



 

左:社務所の屋根が面白かった。左からラ・リュミエールさん、洋子ちゃん、龍丸。
右:神社を出たところに、すごい名前の会社があった。検索したが、レーシングドライバーのサイトしか出てこない。スポンサーなのか、本人が社長なのか?



 

左:牛嶋神社の外壁。古い石塀なのだが、すごい補強がなされていた。全く地面に打ち込まれていないのだが、これで補強になるのか?
右:すごい名前の道。「三つ目通り」である。



 

左:六号線と三つ目通りの交叉点にあった、上竹齒科。なかなかモダンな建物である。隣りは毛塚眼科。
右:区立小梅小学校の掲示板。最近は異常に個人情報にうるさく嫌な世の中になりつつあるが、ここはおおらかに児童の顔がちゃんと判る写真が普通に用いられていた。良識のある地域なのだろう。



 

左:暑い中、歩いて三囲神社に到着。
右:境内にあった燈籠。この神社で最も古いものだと書いてあった。



 

左・右:三井家所縁の神社なので、なんと三越のライオン像が奉納されていた。廃業した池袋三越のものだそうである。



  

左:上の説明にある、銅壺の台石。
右:狐像の説明。江戸時代のものである。



 

左:みめぐりのこんこんさん、吽形。
右:同、阿形。



 

左:社殿の彫り物。
右:裏手には石蔵などもあった。



 

左・右:ちょっとした碑林になっていた。



 

左:顔が欠けてしまったため、猫みたいに見える神狐像。とても可愛かった。
右:面白い屋根が架けられた手水鉢。



 

左・右:三井家所縁の神社なので、三角石鳥居があった。



 

左・右:朱楽管江の歌碑。そんないい歌ではないのだが、有名だったらしい。



 

左・右:普通の狛犬もいる。



 

左:社務所。
右:由緒書は石板だった。



 

左:向島花街のメインストリートなので、見番通りである。関西だと「検番」なのだが、関東は「見番」らしい。
右:古い煉瓦塀が残されていた。龍丸が歩いている。



 

左:古い長屋が残っていた。
右:鋼専門店というのも珍しい。



 

左:駄菓子屋さん。
右:これが見番。戦災もあったのだろうが、全くつまらない現代建築である。



 

左:見番、つまり向嶋墨堤組合の入口。申し訳程度に和風となっている。
右:看板建築の古い薬局。



 

左:ところどころ料亭が残っている。
右:とってもモダンな散髪屋さん。



 

左:若柳流も色々分派があってよく判らないが、とにかく踊りのお師匠さんの看板。
右:「美家古」という料亭。



 

左:路地の奥の料亭「ふ多葉」の看板なのだが、「仮名に振り仮名を振った」代物であった(笑)。まぁ変体仮名は読めないやつも多いが。
右:黄檗宗の古刹、弘福寺。関東大震災では焼失したが、戦災では無事だった、近代和風建築である。



 

左:黄檗宗だけあって、明朝風のエキゾチックな伽藍である。しかし、界隈の料亭に普茶料理を名物にするところはないよう。
右:山門。



 

左:山門を内側から見る。結構賑やか。
右:庫裏は旅館みたいだった。



 

左:鐘楼を撮影する龍丸。
右:本堂。



 

左・右:本堂正面。扁額は「祝国」らしい。



 

左:桃の浮き彫りが施されていた。
右:中国寺院らしく、金ぴかの布袋さんが祀られている。



 

左:門前に止まっていた、日産のフィガロ。「コストカッター」であり、リストラしまくっておいて自分は十億もの年収を日本から吸い上げている鬼畜カルロス・ゴーンが来てから、日産の車は全く夢がなくなった。この車は、そうなる前の、最後の輝きであった。
右:タクシーではなくハイヤー専業は珍しいが、社章がなかなか素敵な「帝都ハイヤー」。

 

左:通りすがりのおじいさんの案内で、羽子板資料館へ行った。この辺り、路地が入り組んでいて、またゆっくり散策に訪れたいところ。
右:杓文字型のモガの羽子板もあったが、「明治初期」とあるのはおかしい。明らかに昭和初期の間違いだろう。



 

左・右:羽子板資料館の展示。



 

左:資料館周囲の街並み。道が狭い。
右:公園にあった、えらく偉そうかつ動物愛護精神に欠けるひどい看板。



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