弐千拾年關東下向記⑭



 

左:前章に引き続き、2010年7月17日、「甲麓庵歌會第拾九囘關東例會~濹東吟行」の模様である。戦後派の「赤線」として名高い「鳩の街商店街に入った。まず目に飛び込んできたのが、「SO」の看板(笑)。廃業した電気店である。
右:そして今度は「HO」の看板。こちらは何屋さんか不明であった。



 

左:鳩の街の街灯。鳩の像と商店街の地図が掲げられている。
右:火事の焼け跡。



 

左・右:ポンプ井戸のある広場。注意書が面白かった。



 

左:古いアパート。しかし擬古調の看板はかなり新しい。
右:一階のギャラリーで使われていたパソコンは本当に骨董品だった(笑)。



 

左:昔懐かしい錻力の手書き看板。いまやこういう看板が書けるペンキ屋さんも少なくなり、つまらないPC製の看板ばかりとなりつつある。
右:銅張りの看板建築があった。鳩の街自体は赤線廃止後に商店街となったわけだが、これは戦前の建物である。



 

左:煙草屋の琺瑯看板。
右:ところどころ、看板建築があった。



 

左・右:1927年築の古い商店建築をリノベーションした「こぐまカフェ」。看板が可愛い。



 

左:これもまだ当用漢字が普及する以前の、戦後間もないものなのだろう。
右:そして江戸の下町につきものの、千鳥破風の銭湯。



 

左・右:正面部分が増築されているのが残念だが、屋号は「松の湯」であった。タイル絵がすごいらしい。



 

左:「柳澤」という廃業したお店。タイル張りだし、もとは散髪屋さんだったのか?
右:路地とモルタル塗りアパートと洗濯物。高度成長期の光景である。



 

左:どういうわけか、梅雨明けの猛暑日に、綿入れ半纏が干されていた。
右:すごい生命力。



 

左:希少な硝子看板。
右:看板建築の酒屋さん。



 

左:何やら恐ろしげなものがあった。
右:銅張りの町家。



 

左:同じ町家。
右:その隣りが、幸田露伴旧宅址、蝸牛公園こと露伴児童遊園であった。座っているのは221系氏。



 

左:同じく。
右:露伴の文学碑。



 

左・右:渋い羊羹屋さん「西むら」と、その並びの看板建築群。



 

左:すごい名前のお店、「がんこや中島洋品店」。飲食店ならありそうだが、洋品屋さんである。
右:そしてとても美味しそうな稲荷寿司専門店「松むら」。このあと結局コンビニ弁当を買う羽目になったので、それならここで買えばよかった。221系氏が写っている。



 

左:なかなかの珍姓である。「いたや」さんと聞いて、この字だと思う奴はいないだろう。
右:派手な色に塗られているが、明らかに戦前の看板建築である「ユニフォーム・ナシモト」。



 

左:界隈の看板建築。
右:地名地番の琺瑯住居表示板があった。東京の市内局番が三桁だった頃のものである。「玉の井駅」も1987年に東向島駅に改称している。



 

左:向島百花園での歌会を終えて、東武電車で浅草に戻り、松屋百貨店で買い物をしてから、更に浅草を散策。浅草寺本堂は修復中で、こんなことになっていた( ̄□ ̄;)!! 些かヤンキー趣味といえなくもない。なお、関東人以外には知られていないこともあるので念のために書くと、浅草の浅草寺は「あさくさのせんそうじ」である。
右:境内脇にある、浅草観音温泉。蔦が物凄いので廃墟かつ近代建築に見えるが、戦後物件(まぁそれでも相当古いが)であり、なおかつ現役で営業している。



 

左・右:観音温泉入口。「男は黙ってサッポロビール」というコピー、涙が出るほど懐かしい。



 

左:花やしきでは唐組の二軍、「唐ゼミ」の公演が行われていた。
右:この店舗長屋、結構古そう。



 

左:「あゆみ」というお店。前彼の名前なのでついつい撮影ww
右:花やしきはなかなか商売上手である。しかし流されているビデオを見ると宝塚やSKDといったレビューの伝統を継ぐ雰囲気ではなく、子供アイドル養成所のような感じだった。



 

左:「営業中」の札も裏返せよ( ̄□ ̄;)!!
右:みっくみっくにしてやんよ~♪



 

左:初音小路、なかなか渋い雰囲気だったが、僕はヴォーカロイドは鏡音レンきゅんの方が好きである。
右:なんじゃこりゃとみなで大受けした探偵社のポスター。



 

左:無茶苦茶渋い、ポルノ映画のポスター。「尼寺の痴漢~便所を覗け!」とか、言霊が宿っている。
右:神社の奉納石柱だが、さすが場所柄松竹やら五代目新門兼次やら、渋い。



 

左・右:思いっきり洋子ちゃんが写っているがww、なんと「感応稲荷神社」というすごい名前であった。



 

左:「カフェフラミンゴ」にてお茶。僕はカフェオレである。
右:翌18日、龍丸邸にてみぃあと遊ぶ。吾が孫はとても可愛い。しかしこの子も叔母になったわけだ。



 

左:鎌倉へ向かう道中。高速道路の橋脚に「亡 察署」と書いてある(笑)。これだけでは全く意味をなしていない。
右:で、鎌倉投信本社にて、「鎌倉大御堂古楽演奏会」。お陰様で満員御礼、大盛況であった。



 

左:さらに翌19日、酷暑の川越を訪ね、まだ行ったことのないエリアを歩いてみた。
右:「寺山ジェルシー牛乳」の木箱。ジェルシーって何ぞやと思ったら、jerseyのことだそう。ローマ字読みというか、でもseyはセイじゃなくてシーと読んでるし、昔はこういう読み方をしたのだろうか?



 

左:側面を見て吃驚、なんと「ホモヂ牛乳」と書いてある!!!!!! 「ホモ牛乳」、「ホモゲ牛乳」はあるが、これは初めて見た。検索すると「四日市ホモヂ牛乳」というのは出てきたが、寺山のものでヒットしたのは僕の日記だけだった(笑)。
右:絶対ここの子供は「越後屋、お前も相当に悪じゃのう」といわれたことがあるに違いない(笑)。「エチゴヤ靴店」である。



 

左:越後屋前、対になっている石柱には「時宗」と刻まれている。
右:その石柱前の商家の庇を支える金具が素敵だった。理髪店「鈴木家住宅」である。



 

左・右:時宗稲荷山称名院東明寺の近くに、昭和初期と思しきコンクリート洗い出し仕上げの洋館があった。随分日が傾いてきた。



 

左・右:同じ洋館を更に回り込む。屋上に更にマンサード屋根らしきものが見えている。



 

左・右:三階があるようだ。なお、ゴミステーションににゃんこ様がいらっしゃる。



 

左:ゴミ捨て場の猫様。
右:擬石製の塀がこんなことになっていた。



 

左・右:古いものだとすればあまりにもピカピカで、新しいものだとしたら出来がよすぎる、でも新築に見える洋館があった。リノベーションだとしたらやり過ぎである。



 

左:銅版張りの立派な三階建て看板建築。元は1930年に建てられた湯宮釣具店だったらしいが、今は「手打ち蕎麦 百丈」になっている。登録有形文化財。
右:素敵なレトロ銭湯、「旭湯」。格天井の立派な建物だが戦後物件、1958年築とのこと。



 

左・右:旭湯。川越で最後の公衆浴場らしい。



 

左:昔の地名地番が記された琺瑯住居表示板。川越の旧市街ではまだまだ沢山見ることが出来る。
右:川越にもあったミックミク(笑)。「割烹 初音屋」である。明治元年創業の老舗だが、サイトを見るとお値段はわりと良心的だし(何しろカウンター席なら日替わり定食945円である)、一見でも入れるようだ。



 

左:その向かいに、教会のような煉瓦の門があったが、個人住宅であった。
右:「危険、近付くな、責任はとらない」旨の貼紙が二枚もある廃墟。



 

左:確かに、これでは危険である(>_<)。
右:NPO法人が運営する映画館「スカラ座」前にて、この日一緒に散策したマイミクのりゅうくん。



 

左:「おばちゃんマネキンの店」として名高い富士洋品店は閉まっていたが、おかげで風呂屋のペンキ絵のような冨士の絵が描かれたシャッターだと知った。
右:7月20日、龍丸と浦和から東京都心へ向う車中で撮影。何でこんな景色を撮ったかというと、



 

左:このように電光看板が壊れて、「ノーメン」になっていたのだ(笑)。「五反田宝亭」という板橋区常盤台の店らしい。
右:更に進むと「居酒屋らーめんハンサム」という全く意味不明の店もあった。



 

左:これも板橋区。ペット可を「ペット共生」と謳っている。
右:何だかすごく力強い名前のタクシー会社、「陸王交通」。



 

左・右:僕が東京で一番好きな喫茶店、「近江屋洋菓子店」。



 

左:近江屋の向かいにある旧丸菱ビル(第一KSビル)。
右:上方への帰路、横浜で見つけた「大阪梅田 お好み焼本舗 元祖なにわ焼」という店。いや、梅田にそんな店ないし(-公- ;)。会社概要を見たら三河豊橋が本社だし、関西には奈良市に一店舗あるだけだし、幾らなんでも無茶苦茶である。恥知らずにもほどがあるなぁ。法的には問題ないのかもしれないが、これ、道義的、倫理的には如何なものかと思わされる。



戻る