弐千壱拾年關東下向記J



 

左:関東下向記Zからずっと、2010年4月の関東下向時の写真を紹介している。これは4月20日、鎌倉である。「関西発紅茶をたのしむ会」の縁で親しくして頂いている「スリランカティールーム」。
右:たっぷり紅茶をご馳走になって、ティールームを辞去したら、もう真っ暗であった。雨の中、更に鎌倉の路地を散策。文豪の旧宅や洋館などがあった。



 

左:鎌倉駅のホームから見た、ホテルニューカマクラ
右:ここからは4月21日、三鷹市の写真である。駅前商店街で見つけた、不細工な看板。長崎屋の文字を全く消さず、上から「丸正」と貼ってある。



 

左:三鷹の駅前商店街「南銀座街」で見つけた、築五十年ほどは建っていそうな長屋式店舗。
右:すごい屋号の肉屋さん。「肉のアンデス」って、リャマとかの肉でも扱ってそうな勢いである。



 

左・右:南銀座街に、団地マニアが喜ぶ公団の市街地住宅があった。三階までは店舗で、それ以上は集合住宅である。「三鷹中央ビル」というのがその名らしい。



 

左・右:市街地住宅が何棟も連なっていて、壮観であった。



 

左・右:三鷹駅前第三市街地住宅と書かれている。



 

左・右:駅前通からちょっと逸れると、玉川上水が流れているのだが、些か手入れが悪く、樹木が生い茂りすぎてて、水面が見えない。そもそもこの辺りは1965年の淀橋浄水場廃止後は空堀となり、1986年から「清流復活事業」により高次処理された下水が流されているわけだが。



 

左:ジャングル化している玉川上水。
右:かろうじて水面が見えた。



 

左:真っ赤な桜。
右:太宰の碑があった。



 

左:可愛い注意看板。
右:そして山本有三記念館へ向う。



 

左:山本有三旧邸の門前。かなり広いスペースがあった。
右:門前にあった「路傍の石」。



 

左:なかなか洒落た洋風の門であった。くぐり戸はえらく低いが、ゴシックアーチである。
右:山本有三の顕彰碑。



 

左:山本有三邸正面ファサード。設計者は不詳で、1925年頃に貿易商清田龍之介邸として建てられたもの。1936年から山本有三邸となった。大正末年の作品だけあって、フランク・ロイド・ライトの影響が非常に濃く見られるモダンな洋館である。手前の不細工なのはトイレ。何とかならなかったのか(-人-)。
右:女中部屋だった部分が見えているが、窓が非常にお洒落。



 

左:正面玄関脇の、大きな煙突が目を引く。
右:玄関は目立たない。



  

左:玄関上には鳥のレリーフのテラコッタがはめ込まれている。
右:玄関向って右側の特出部は使用人部屋である。



 

左:説明板。
右:そして、玄関を入る。



 

左:玄関ポーチはゴシック風ヴォールト天井になっていた。
右:入るとすぐ、可愛らしいステンドグラスが。



 

左・右:入ってすぐのところに、まずベンチ付の大きな暖炉がある。英国のマナーやカントリーハウス風の造りであった。



 

左:ぶれてしまったが、主階段の親柱は表現主義風であった。
右:階段室の大ステンドグラス。



 

左:二階に上がる。廊下は狭いが、あちこちにゴシックアーチがあった。
右:トラスが露出してアクセントになっていた。



 

左:なかなかいいステンドグラスが多かった。
右:二階廊下。天井はオリジナルではなかろう。



 

左・右:ステンドグラス以外も凝った窓が多い。右など、かなりライト調である。



 

左・右:二階の和室が書斎であった。



 

左:階段踊り場の親柱。
右:二階洋室。ベンチ付の出窓がいい感じ。



 

左:裏階段は簡素であった。
右:ライト調の窓から外を見る龍丸。



 

左:二階バルコニーに出る扉もライト調。
右:ベンチ付で窓が多かった。



 

左:そこに座る伯爵閣下。(有坂博士撮影)
右:洋画家の有坂ゆかり博士と、ピアニストの柳下美恵女史。



 

左:窓から庭を見る。
右:ゴシック風のカントリー調ドア。



 

左:二階奧から主階段を見る。
右:屋根裏部屋への扉。



 

左・右:再度書斎を見る。



 

左・右:一階に下りる。玄関脇暖炉スペースである。



 

左:暖炉脇のベンチが見える。その背後は本棚であった。



 

左:食堂の暖炉。
右:食堂の天井。



 

左:居間の暖炉。
右:サンルーム。



 

左:居間と食堂は一続きで、現在は展示室となっている。有坂博士と龍丸。
右:その奥、子供部屋も小さいながらも濃密な空間であった。



 

左・右:子供部屋。僕なら和室よりこの小部屋を書斎にするところだ。



 

左・右:椅子やテーブルも非常によいものであった。



 

左:室内にもスクラッチタイルやテラコッタが用いられていた。
右:有坂博士撮影の伯爵閣下。



 

左:この子供部屋は現在は休憩所となっている。龍丸、有坂博士、柳下女史。
右:直接庭のバルコニーに出られるようになっていた。



 

左・右:庭のバルコニー。一部、新しいタイルで補修されているのがわかる。



 

左:更に視線を上げる。
右:一階各室から庭に出られるようになっていた。



 

左:居間の暖炉前にて、有坂博士の撮影。
右:これは正面ではなく側面の暖炉の煙突。



 

左:石貼りで非常に珍しいスタイルだった。
右:庭側の外観。



 

左・右:側面細部。



 

左:妻壁下の大窓は階段室。
右:煙突上部。



 

左・右:そして庭側に回り込む。こちらが南らしい。



 

左・右:庭に面したバルコニー。こちらは「裏」なのだが、デザイン的にはこちらの方が正面ファサードとして作られている。右の車椅子様子ロープは勿論後付。



 

左:補修のタイル、もう少し色を合わせられなかったのだろうか(-人-)。
右:庭側ファサード全景。



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