弐千拾年關東下向記K



 

左・右:山本有三邸の庭の東屋。2010年4月の関東下向記は、これで最後となる。塀が低いので、隣りの不細工な民家がもろ見えになっている(>_<)。



 

左:数奇屋風の凝った東屋であった。
右:山本邸の庭はほぼ前面芝生という洋風のものだったが、奥のほうが和風の設えとなっていて、池や瀧もあった。



 

左:池附近から母屋を見る。
右:敷地の外れは回遊路になっていた。



 

左:竹垣で囲まれているのはポンプである。こういうところには気を使うのに、外周の塀が全く風情ないものなのはどういうことか。
右:小さいながら瀧がある。



 

左:しかも流れは二本あった。奥に龍丸、柳下女史、有坂博士が写っている。
右:庭から見た母屋。



 

左:かつてはシンメトリーであったろうバルコニー。
右:窓の建具が実に可愛い。



 

左:バルコンから子供部屋入口を見る。屋内はゴシックアーチが多かったが、この部分の扉や窓はロマネスク風である。
右:妻壁などのハーフチンバーはチューダーゴシックというよりライト式であった。



 

左:かつての蛇口があった部分は塞がれている。
右:八角形の窓が素敵。



 

左・右:設計者不詳だが、相当な腕の建築家の作品といってよかろう。



 

左・右:一階側面の出窓は廊下の突き当りである。



 

左・右:正面向って左、使用人部屋である。



 

左:複雑な造形の屋根も見事であった。
右:丁度玄関が樹木に隠れているが、正面である。



 

左:門を出る一行。
右:門前のバス停はトトロ型であった。



 

左:車を出し入れするたびに植木鉢を除けるのだろうか?
右:山本邸のすぐ隣が広く更地になっていた。古いお屋敷がつぶされたのだろうか?



 

左・右:しかしそのおかげで山本邸がよく見渡せた。



 

左・右:同上。



 

左:時系列が前後してしまうが、この日三鷹駅を降りて、最初に撮った写真。なんだか可愛い。
右:三鷹八幡大神社の神輿庫。なんか、コンクリート打ちっぱなしでやたらモダンだった。



 

左:こんな感じなのだ。雰囲気ぶち壊しというほかない。どういうセンスをしてるんだか。
右:本殿脇に古い石材が積まれていたのだが、何故だかビリケンが(笑)。



 

左:この犬の親子の土人形は可愛い。
右:貯金魚のようなものもあった。海老か?



 

左・右:三鷹幼稚園。木造のいい雰囲気の園舎であった。1936年創立だから、当時のものか?



 

左・右:私立の小さな幼稚園だが、とてもいい環境であった。



 

左:四月なので、まだ八重桜が咲いていた。
右:全て木造、下見板張りの建物であった。



上:幼稚園の向いのお宅。「新舞踊」などと書いてあるので、「演歌に合わせて踊る」タイプの踊りのお師匠さんのお宅のようだ。



 

左:ここからまた、山本有三記念館をあとにして、という時系列に戻る。ごく普通のプレハブアパート(文化住宅)が見えてきたのだが。
右:なんじゃ、この文字は?!?!?!



 

左:なんとなく江戸時代の偽造古代文字であるホツマ文字(ヲシテ文字)っぽいがσ(^◇^;)。
右:アパートの名称は「フラットオサダ」。そしてウィキペディアに出てたヲシテ文字の五十音表と比べてみたら、やはり右から「フラツト オサタ」と書かれていることが判明した。トンデモ文字を使うなよ(>_<)。



 

左:大家さんがトンデモ史学にはまってる奇人っぽくて、ちょっと住みたくないぞ。
右:山本邸の事務のおばさんが「うちは部屋貸ししてないので、歌会などは井心亭でどうぞ」というので見にきた、「みたか井心亭」。非常に新しい建物で、これは甲麓庵歌會を開催する価値などないところであった。無駄足であったが、まぁホツマアパートという「珍品」を発見できたからよしとしよう。



 

左・右:界隈、猫様の多いところであった。



 

左:とても可愛くていらっしゃる。
右:またお二匹いらっしゃった。



 

左:同じお二匹。
右:更にお二匹。



 

左・右:屋根の上には白猫様もいらっしゃる。



 

左・右:珍しい姓が続く。「常住」さんと「小熊」さんである。



 

左:猫が平和に暮らせる街はよい街である。
右:なかなかいい雰囲気のお宅。ひょっとしたら戦前かもしれない。



 

左:同じお宅。うちは平屋だが、しかしうち(甲麓庵)tとても雰囲気が似ている。
右:煉瓦塀のお宅。



 

左:同じお宅。門はタイル張りだった。
右:井の頭公園に流れ込む多摩川用水。淀橋浄水場に水を送っていた頃までは水量が多く、「人食い川」と恐れられていたという。



 

左:その人食い川で、1919(大正8)年に溺れた児童を救おうとして殉難したのが、東京市麹町區の永田尋常小学校の松本虎雄訓導であった由。
右:変な切り株があった。



 

左・右:あちこちに変な黒い網が。「このネットは防虫用のものです」と書かれていた。



 

左:井の頭公園内に、いきなり斜面がある。武蔵野台地を刻む、国分寺崖線である。武蔵野台地の伏流水が崖下から湧出し、井の頭池、そして神田川となるのだ。
右:井の頭弁才天。あまり趣味のいい建物ではない。それでも一応昭和初期、つまり戦前の近代和風建築らしい。



 

左:大盛寺(弁財天)の参道の石段。これを降りてきて、
右:この橋を渡って本堂にいたるのだ。とにかく色彩が下品。



 

左・右:井の頭池の情景。



 

左:当サイトでは二度目の登場になる、井の頭池の端にある「全く無意味なスロープ」。まるっきりトマソンである(笑)。
右:吉祥寺駅近くに、昭和戦後レトロな「文化ストアー」があった。



 

左・右:こちらは吉祥寺駅の反対側にあるハモニカ横丁。当サイトでは何度目かの紹介である。



 

左・右:ハモニカ横丁。残念なことに今風の店も増えている。



 

左:お好み焼ともんじゃ焼の店で「ぱすたかん」って、どういうことだ?!?!?!? 全く意味が解らない。お店のサイトを見ると、要するにイタリア語で「コナモン」という意味だから、ということらしい。
右:有坂博士お薦めの喫茶店「くぐつ草」への階段。暗かったのでぶれてしまった。



 

左:「くぐつ草」店内の様子。なかなか70年代アングラの雰囲気がしていい。
右:その近くで見つけた「先見」という不動産屋さん。



 

左:その夜、龍丸邸にて、龍丸が造った苺のタルトを食す。
右:みぃあとケーキと僕の鞄など(笑)。



 

左:お気に入りの場所で寛ぐみぃあ。
右:翌日、4月22日。ゴロゴロしている僕とラ・リュミエールさんの間に入ろうとするみぃあ。僕は「DMC」の三巻を読んでいるww。(龍丸撮影)



 

左:いよいよ帰路に就いた。「秋ヶ瀬FC廣田 鯉」と書かれた謎のワゴン車を見た。FCってサッカークラブじゃないのか? 鯉?
右:床机の駒方の看板に、鏡字の「」と書いてある、謎のレストラン。



 

左:「早いです」ってそんなに強調しなくても(笑)。
右:「コンサートホール」という名前のパチンコ屋ww



 

左:屋台のお茶屋らしい。
右:些か卑猥な頃合わせをしたくなる。



 

左:死ぬほど不親切な道路標識。
右:御殿場市にて。「やばい橋」があった(笑)。



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