弐千拾年關東下向記Z
季節外れの豪雪篇



 

左・右:2010年4月15日深夜(16日未明)、一人で運転して、東下りの途に就いた。これは国道23号線(通称名四国道)にて、四日市の石油化学コンビナートの只中を走行中に撮影。



 

左・右:火の噴く煙突を撮影しようとちょっと脇道に入ってみて驚いた。こんなところに住宅街があろうとは。コンビナートになる以前の古い集落をベースに新興住宅地化したところなのだろうが、すごい感興だ。このように、火を噴く煙突をあちこちから見れるのだ。



 

左・右:延々と一般国道を走り続けたのだが、とにかく寒い。沼津で嫌な予感がして、一号線で箱根峠を越えるルートをやめ、246号線回りのルートを選択したのだが、御殿場で吹雪に見舞われた。4月16日の朝である!! 箱根越えルートだと立ち往生していただろう。



 

左・右:御殿場市内にて。ソメイヨシノが終わり、そのあとの造幣局の通り抜けに行った翌朝に、まさか吹雪に見舞われようとは。しかもこの通り、積雪していた( ̄□ ̄;)!!



 

左:神奈川県秦野市で見つけた、「ラ・ジョイ」という無茶苦茶な名前のラブホ。何語やねん(´-ω-`)・
右:横浜から今度は16号線に入った。とにかく秦野市から先、延々と渋滞していて嫌になる。埼玉県入間市で、これまたすごい名前のラブホを見つけた。



 

左:入間市で見かけた教会。ヴォーリズ設計の教団武蔵豊岡教会(旧豊岡メソヂスト教会)らしい。1923年竣工の大正建築である。
右:その近所にあったかなり本格的な洋館旧石川組製糸西洋館本館で、設計は室岡惣七、竣工は1921(大正10)年だそう。



 

左:その日は龍丸邸に到着後、仮眠して、夕方から電車で東京都心に出かけた。そして深夜龍丸邸に帰宅。みぃあとラ・リュミエールさんである。
右:龍丸邸前の積雪状況。4月16日深夜(17日未明)のことである。無茶苦茶寒い。



 

左:龍丸邸前の状況。
右:同上。どんどん雪が降っている。



 

左・右:龍丸邸向いの駐車場。四月も半ばを過ぎてこれは、ありえない光景であった。



 

左:同夜の龍丸邸にて。ハルヒ抱き枕の乳を揉む(笑)洋子ちゃん。
右:みぃあとラ・リュミエールさん。



 

左・右:明けて4月17日、龍丸邸周囲の積雪状況。



 

左:龍丸邸玄関。出てくるラ・リュミエールさんと見送りの龍丸。
右:龍丸邸前の路地。因みに置くの崖の上が元厚生事務次官夫妻殺害事件の現場である。



 

左:路地に止まっていた軽自動車も真っ白。
右:向いの屋根も真っ白。



 

左・右:歩道もこんな状態。繰り返すが、四月も半ばを過ぎた17日の朝である。



 

左・右:車を止めていた駐車場。僕の車は屋根つきの場所だったので積雪は免れたが(´-ω-`)。



 

左:駐車場から龍丸邸を見る。屋根が白い。
右:ともあれ、甲麓庵歌會犬吠埼吟行のため、銚子に向かって出発した。



 

左:霙混じりの雨が降る。
右:「幸」「魂」で「さきたま」と読ませるひどい名前の橋。暴走族の落書き並みのセンスである。しかもこの橋は彩湖という人造湖を渡るのだが、「サイコ」である。サイコパスじゃあるまいし(-公- ;)。



 

左:ゆーみんが運転しているのか( ̄□ ̄;)!!
右:見つめて欲しくないのだが。



 

左・右:散りかけの桜に積もる雪。



 

左:ここまで埼玉県。三色菫が雪割草状態であるσ(^◇^;)
右:茨城県神栖市。これ以上寂れてこれ以上殺風景な街は見たことがない。北海道の原野じゃあるまいし、市役所周辺も「何にも使われていない空き地」だらけだったのだ。畑ですらない。ウィキペディアによると今時野良犬が跋扈しているところらしい。野良猫は幾らでもいるが、野良犬なんてもう何十年もみたことないのだが。



 

左:しかもホテルはひどいセンス。ラブホでもパチンコ屋でもないんだから、恐れ入る。南東北の僻地というのはこういうところらしい。
右:パチンコ屋には謎の巨大招き猫が。



 

左:これが招き猫オブジェ。
右:1970年代に日本を席巻した交通標語、「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」が生きていた!!!!!



 

左:「ラーメン&らーめん」って、意味が判らん(´ω`;)。とにかく、どこからどこまで「美」とは全く縁のない、非常にひどい街であった。二度と行きたくない。
右:利根川を渡って千葉県銚子市に入ると、文果つる化外の地から急に文明世界に戻ったような気がして心底ほっとした。いきなり美しいアール・デコの看板建築が出迎えてくれたのだ。



 

左:山本金具店をもう一枚。まさか千葉の外れの片田舎で「文明」を感じてほっとすることになろうとは。茨城があまりにもひどかったから仕方ない。さすが、腐敗した大豆を食するスカトロ県の文化は凄まじく不毛であった、というべきか。ドライブ好きで知らないところを走るのが大好きでしかも悪趣味なものも結構好きなこの僕が「もう二度と行きたくない」と思うほどひどい光景、そうはないのだが。「山本金具店」で検索しても出てこなかったが、こんなサイトを見つけた。
右:調子の中心部で見つけた、これも看板建築の金物店、「油屋金物店」である。



 

左:銚子駅。帝国海軍香取航空基地の飛行機格納庫を戦後移築して再活用したという珍しいもの。
右:駅前の「浜屋」という蕎麦饂飩店。



 

左:駅前通にあった「あぶら屋」。金物店と関係があるのかないのか、同時代と思われる看板建築であった。書体もいい。
右:再度「油屋金物店」。



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