弐千拾年關東下向記[
極寒の銚子吟行篇



 

左:前篇に引き続き、2010年4月17日、甲麓庵歌會第18回関東例会の模様である。会場である銚子市立公正会館の裏手に図書館があり、そこの駐車場に車を止めた。あまり綺麗ではない小川が流れていたが、一部相当古い石垣でよかった。



 

左:川向の奥には、赤煉瓦の塀があった。ヤマサ醤油、浜口儀兵衛家の邸宅である。
右:この石垣も浜口家のものだと思われる。



 

左・右:歌会の会場、銚子市中央地区コミュニティーセンター(旧公正会館)。浜口家が夜学として建てたものである。高橋清輔の設計で1926年に竣工。



 

左・右:正面ファサード。コンクリート洗い出し仕上げで、いかにも大正末らしいモダンで薄い装飾である。表札は「公正市民館」となっている。



 

左:正面ファサードをやや斜めから。ポストが丸ポストだともっと雰囲気が出るのだが。
右:すぐ隣が例の小川。橋のデザインもよかった。



 

左:正面玄関。
右:デザインがいいから戦前の齒しかと思いきや、意外に新しく昭和31年と書いてあった。



 

左・右:復興橋。なかなか洒落たデザインである。



 

左:復興橋。1956年、まだまだ復興期だったのだろう。
右:公正会館前にあった、桐洞・浜口儀兵衛氏像。



 

左:公正会館の脇玄関。
右:正面玄関車寄せ。



 

左:パラペットにはレリーフがあった。
右:玄関を入ると、天女らしき図柄のステンドグラスがあった。



 

左・右:玄関に掲示されていた説明板。



 

左:ステンドグラス。なかなか和風のいい図柄である。
右:裏から見ると顔がないww



 

左・右:内部はかなり改装されているが、階段室はオリジナルの装飾を留めていた。



 

左:窓から復興橋を見る。
右:廊下の天井。配線、配管のためにこれだけ下げられているのだ。



 

左:廊下の椅子は骨董であった。
右:濱口邸の煉瓦塀。



 

左:バス停が旧漢字であった。向いの工場はヤマサ醤油
右:浜口邸。



 

左・右:濱口邸の門。残念ながら建物はあまり見えない。



 

左:濱口邸の向いにあった、一族のものと思われる邸宅。
右:濱口邸の裏に、敷地の一角を開放したと思われる公園があった。



 

左・右:公園にて。



 

左:渋い洋傘屋さん。
右:渋い洋食屋さん。結構いい雰囲気の店が多かった。



 

左:道の真ん中に古くもない時計台があった。
右:古い建物を改修したのか、それとも新しいのか、かなりいい雰囲気の仕立屋さんがあった。



 

左・右:解散後、玄関の犬吠埼灯台を訪れた。ものすごく寒かった。1874(明治7)年、リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計で完成した灯台である。



 

左:灯台の門。
右:岬からリゾートホテル群を見る。



 

左・右:匝瑳市で見つけた建材の看板。書体のせいもあろうが、チョコレートにしか見えない(笑)。



 

左:同じ場所にあったセブンイレブン。さすが千葉だけあって、「集会」するやつがいるらしい。
右:慌てて撮ったので訳がわからないが、かの有名な「三里塚」の交叉点であった。



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