弐千九年関東下向記Ⅲ



 

左:2009年前半は毎月東下りの仕事が入ってしまい、しかもそのたびに川越を訪問していた。ということで、やたら川越の写真が多くなる。まずは2月5日の写真から。これは西武鉄道本川越駅近くの古い民家。破壊され、マンションになってしまうらしい。
右:既にこのサイトで何度も紹介している、小杉齒科醫院。昭和線前期のスパニッシュ風洋館である。



 

左:例の「川越名物デムパの家」。
右:川越は猫が多くて可愛い。これは古刹蓮馨寺の境内にて。おばあさんが鳩に麵麭屑をやっていたら、この子がやってきて悠然と食べ始めたのだ。可愛い。



 

左:同じにゃんこ。
右:鳩たちはこんな感じ(笑)。



 

左・右:川越に行くたびに写真を撮っている、明治23年開業のの芝居小屋、鶴川座。



 

左・右:鶴川座前を進むと、大正浪漫通りとの交叉点に至る。この高松屋は看板建築というよりかなり本格的な洋館なのだが、廃墟化していて勿体ない。



 

左:破風には何か装飾の跡がある。
右:その棟続きには看板建築の和森(みこもり)煎餅店が。こちら建物は生きているがお店は廃業。「発狂くん」は食べてみたかったのだが。



 

左:和森煎餅店全景。
右:これがうわさの「発狂くん」。



 

左・右:なんだかもう「見慣れた光景」になってきた、大正浪漫通の街並み。



 

左・右:老舗茶舗「龜屋山崎茶店」の豪壮な蔵造り。煉瓦のアーチ門が洒落ている。川越一の老舗菓子司「龜屋」から明治10年に分家したお店である。



 

左:亀屋茶店前から突き当たりの日本聖公会川越基督教会を望む。
右:その手前にも重厚な蔵造りのお宅がある。既に商売はしていないようだ。



 

左・右:川越も京都や大阪と同じく、間口が狭く奥行きが深い「鰻の寝床」の町割りになっている。



 

左・右:その向には看板建築の散髪屋が。しかしこの屋号は笑える。



 

左・右:日本聖公会川越基督教会。小さいが本格的なヴィクトリアン・ゴシック(煉瓦は仏蘭西積)の教会堂で、パイプオルガンも備えている。1921(大正10)年、ウィリアム・ウィルソンの設計なので、同じ建築家の作品である日本聖公会大阪主教座カテドラル川口基督教会とは兄弟といえよう。そのいずれもが登録有形文化財である。



 

左:とにかく素敵な教会である。
右:蔵の街・一番街以外にも、たくさんの蔵造り建築が残っている。しかし、どこも交通量が多いσ(^◇^;)。



 

左:歴史を大事にしている川越でも、悪法中の悪法、住居表示法は施行されているらしい。
右:側面から見た聖公会。



 

左:地名地番の表示が残っていた。
右:無論、蔵造りでない古い町家もある。



 

左:こういう小振りな蔵造りもある。
右:川越は基本的に「町=都市」なのだが、ちょっと田舎風の萬屋さんもあった。



 

左:鐘つき通りにて、奥に古い洋館を秘めた邸宅があった。
右:鐘つき通りの看板建築。



 

左:城下町川越だが、街のシンボルはお城よりむしろこの時の鐘であろう。
右:時の鐘の下は楼門になっている。



 

左:時の鐘の向かいの看板建築。ここで食事をしたこともある。
右:鐘つき通りと蔵の街・一番街とのT字交叉点、「時の鐘交叉点」。正面、古い看板が見えているのが伯爵の友人である歌人豊島ゆき子女史のお宅、「フカゼン美術表具店」(深屋善兵衛)。



 

左:一番街に出る。これは重要文化財大澤家住宅。1792年に建てられた立派な蔵造り商家である。明治26年の大火でも焼け残ったため、火災後の街の再建にこぞって蔵造り建築が取り入れられたのだ。
左:一番街の街並み。



 

左:一番街の街並み。埼玉りそな銀行川越支店(登録有形文化財)の塔が見えている。
右:「冨士屋食堂」の名物、アイス最中。



 

左・右:裏通りにもこのように小さな洋館が残され、大切にされている。市指定伝統的建造物であった。



 

左:その標章。
右:裏通りにもいい建物と面白いお店が沢山ある。



 

左・右:川越に来たら、勿論必ずこの猫屋敷こと陽気づくめ川越教会に立ち寄らずにはいられない。



 

左:きゃわゆい。
右:菓子屋横丁で購入したばかりの膨れ煎餅を猫様たちに献上している龍丸。



 

左:この仔猫は伯爵邸甲麓庵のハナちゃんにちょっと似ていた。
右:優雅な白にゃんこ。



 

左:この足は221系氏。見上げてる仔の表情がいい。
右:白にゃんこかと思ったら、腰にアクセントが。



 

左:頭に鬘を載せたような子。らぶりーである。
右:221系氏を見上げる三毛ちゃん。



 

左・右:膨れ煎餅、大人気であった。猫にとってそんなに美味しいものだとも思えないのだが(笑)。



 

左:ようやくもらえて、貪るにゃんこたち。
右:電線地中化により役目を終えた木製電信柱。



 

左:一番街から長喜院への参道。このように脇道も石畳にされ、電線も地中化されている。



 

左:長喜院境内から、小さな小さな洋館を附設した町家が見えた。
右:一番街に戻る。埼玉りそな銀行のデータは前章参照のこと。



 

左:「くらづくり本舗」(旧なかじま屋)の脇にも、龜屋茶舗ほどではないが煉瓦のアーチ門が設えられていた。
右:仲町交叉点の廃屋。勿体ない。



 

左:一番街の入口、仲町交叉点から見る菓子司「龜屋」。
右:上の写真と同じ廃洋館。隣の和館とは棟続きである。どちらも空き家となっていて、実に惜しい。一等地なのだが。



 

左:蔵造りだが、側壁は大谷石であった。
右:可愛い看板建築の奥に、川越織物市場が見えている。



 

左:保存が決まった織物市場。
右:中華料理屋の看板にゃんこ。



 

左:ヌコカワユス
右:昭和初期のものと思しき、岡田耳鼻咽喉科。



 

左:川越名物、芋菓子のお店「芋十」
右:昭和初期の近代建築である、旧川越商工会議所ビルヂング。現在はアクサ生命となっている。



 

左:アクサ生命向かいのお店で売られていた不気味な植木鉢。
右:界隈の街並み。看板建築と町家が並んでいる。素晴らしい。



 

左:「芋十」とアクサ生命と町家。
右:その向側、何とも不思議な造りの新しい住宅。歩いているのは221系氏。



 

左・右:再度日本聖公会川越基督教会へ。



 

左:えらく利便性の低い、低すぎるシャトルバスσ(^◇^;)。
右:バス通り商店街にて、例の「おばちゃんマネキン」のお店。



 

左:どうやら屋号は「冨士洋品店」らしい。
右:えらく薄っぺらい建物だなと思って側面に回ったら、こんな看板が。



 

左・右:あとは帰りのバスの車窓より。2月7日撮影である。東京駅八重洲口の駅前、東京建物ビルである。



 

左・右:三菱財閥の偽善と欺瞞のシンボル、今年新築なったまがい物の三菱一号館である。まさにうんこだ。ゴミである。



 

左:重要文化財、明治生命館の勇姿。1939年竣工、設計は岡田信一郎である。
右:日比谷公会堂。1929年、佐藤功一の設計により竣工。



 

左:市政会館(日比谷公会堂)。
右:旧帝国議会議事堂。1936年竣工である。



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