骨董建築写真館 新世界篇
骨董建築写真館

新世界篇

左:通天閣本通商店街から通天閣を望む。
右:同商店街の老舗玩具店。この顔看板は戦前から同じ意匠だそう。

「伯爵のページ」のショップガイドで解説しているが、日本橋筋の電気店街は戦後に出来あがったもので、江戸時代は旅籠街、明治〜昭和戦前は古書街であった。つまり時代による変遷はあったものの、歴史の古い繁華街である。
日本橋筋を南下、阪神高速環状線の下を通ると、いよいよ新世界に入る。こちらは明治時代に「新世界ルナパーク」という一大テーマパークとして建設された新都市で、通天閣を中心に北半分は日本では極めて珍しい放射状区画になっているなど、今なお往時の面影を留めている。今でこそ「おっちゃんおばちゃんの街」になっているが、当初はまさに時代の先端を行く最新流行の遊園地であったのだ。この点、東京における浅草と非常によく似ている。
初代通天閣は高さ六十メートルで、八階建てのビルすら珍しかった当時においては文字通り天に通じるが如き高楼であったことであろう。しかも基壇部分はパリの凱旋門を思わせるデザインで、欧化に憧れた明治の気風を感じさせる。まさに文明開化の時代である。昭和の初めが舞台である江戸川乱歩の傑作「黒蜥蜴」に登場するのも、この初代通天閣である。
二代目は1951年に再建された。百三メートルという今となっては三十階建てのビルと同じ程度の高さながら、相も変わらず観光客で賑わっている。高さだけではない、通天閣独特の雰囲気が何といっても魅力なのだ。既に自動エレベーターの方が普通であった時代なのに手動エレベーターが使われ、それが今も現役なのも嬉しい。(※二千四年五月六日追記:通天閣の手動エレベーターは二千三年に取り替えられてしまい、現存せず)
搭の周囲は映画館、パチンコ屋、大衆演芸場、スマートボール、立ち飲み串カツ屋、等が立ち並び、極めて安価に一日を過ごすことが出来る。今の日本はとにかく若者=二十歳前後のガキを主体とした街が多過ぎる。高齢者、戦後の日本を支えてきた世代が主役となってのんびり遊べる街の存在は、極めて貴重であるといえよう。

左:破格に安い裏通りの旅館。純粋な連れ込み=ラブホテルではなく、一人でも宿泊できる。「曖昧宿」という古風な日本語そのままの宿である。
右:同じ旅館の玄関。赤いライトが怪しげな雰囲気を醸し出す。

左:新世界本通「更科本店」全景。関西における更科系蕎麦屋の本家筋の一つである。
右:同店の歴史を感じさせる、年代物のガラス看板。

左:真下から見上げた通天閣。
右:今や数少なくなった貴重な名画座、新世界国際劇場(旧南陽演舞場、昭和五年)。洋画二本立てで、たまに凄くいい映画をやってくれる。ポルノの新世界国際地下は発展場としても有名であるが(笑)、昭和戦前期の映画館建築は最早現存するものが少なく大変貴重である。トイレのタイルなども美しく、手入れが悪い分オリジナルの内外装がよく残っている。この劇場の周辺は、夜になると女装したプロの「おかま」さんが多数現れることでも有名である。

左:新世界国際劇場の装飾窓。
中:同上。トマソン化している。(参考文献「超芸術トマソン赤瀬川原平著・ちくま文庫)
右:新世界にもう一つ現存する古い映画館、新世界公楽(、1947年と実は戦後派)。こちらは邦画の三本立てで、運が良ければ「総天然色」などと書いてあるポスターにもお目にかかれる、名画専門館である。

左:新世界公楽劇場正面。狭い路地に面しているため、全景を撮ることは難しい。
中:公楽劇場前の啓蒙看板。左が二代目通天閣、右は初代通天閣のイラストである。
右:更に路地を曲がったところにある、50円コーヒーの自販機。


左:新世界には大衆演劇の演芸場も二軒ある。こちらは新しいビルの中に入っている朝日劇場
中:バラック建築も味わい深い浪速クラブ
右:曖昧宿松映旅館越しに通天閣を臨む。(現存せず。※2004年3月17日追記)

左:50円コーヒーの路地から通天閣を臨む。
右:別の路地にある薬屋の、恐い恐い痛そうな痔の標本。蝋細工か?

左:大阪のシンボルの一つ、づぼらや本店と河豚提灯。
中:づぼらや前から通天閣を臨む。
右:づぼらやの隣、日吉食堂。派手なずぼらやの影で目立たないが、王道を行く大衆食堂である。些か判りにくいが、お上りさんの少女達が記念撮影をしている。付近はこのように撮影の名所なのである。
※2005年8月16日追記・・・日吉食堂は惜しまれながら、2004年で廃業したとのこと。

左:日吉食堂のショーケース。実に盛り沢山かつ安価なラインナップである。
右:昭和の初めの名建築、天王寺公園の大阪市立美術館。竣工は1936年. 設計は大阪市建築課(伊藤正文・海上静一)で、住友男爵家の寄贈である。岡崎の京都市立美術館、上野の東京都立美術館と並ぶ公立美術館の老舗であり、第一級の展覧会も多い。。高畑勲監督の傑作アニメ映画「じゃりン子チエ」にもそっくりそのままの形で登場した。上町台地の崖の上(茶臼山)という絶好のロケーションにあり、裏手には住友男爵家の寄贈になる名園「慶沢園」もある。動物園と丘と美術館がセットになり、近くにローカル線が集結する大ターミナルがあるという点、天王寺地区と上野地区はよく似ている。この写真は新世界側、天王寺公園正面入口から撮ったもの。元々自由に入れる市民の公園だったのに、高圧的で弱者を抑圧することしか考えない大阪市並びに警察当局により不当にも有料化された。ホームレスを迫害するためである。なお、茶臼山地区の市道は都心の野外系発展場としても知られている。

上:じゃんじゃん横丁の北側入口付近にある廃墟。隣接する建物の壁に付着して、かつてあった棟続きの建物のタイル貼り内壁が残っている。昔の地図で見ると、どうやらこの辺りにあった「新世界温泉劇場」という映画館の一部のようだ。(※2004年5月6日追記)

左:じゃんじゃん横丁南側のJRガード下に店を出している、ハモニカ吹きのおっちゃん。一曲10円で、結構繁盛している。
右:同上。僕も「上海帰りのリル」や「東京ラプソディ」をリクエストした。

左:フェスティバルゲートのイオニア式柱。
右:同上。ジェットコースター。フェスティバルゲートは大阪市交通局の市バス車庫(その昔は市電車庫だった)の跡地に建設された都市型アミューズメントパークで、おっちゃんおばちゃんの街だった新世界にいきなりミーハーな若者が目立つようになるという異変をもたらした。ビルの中をジェットコースターが走る様などなかなかに面白い。隣には都市型巨大温泉スパワールドがあり、こちらもなかなかに楽しめる。僕は特にプールが好きで、夜中に屋上のジャグジーで通天閣を眺めながらプカプカ浮いていると実に贅沢な気分になれる。

左:阪堺電軌霞町駅舎。「二階グルメタウン」のネオンが切れて「二階グル」になってしまっている。二階に定説おじさんがいるのだろうか? と下らないことでウケてしまった。
右:飛田新地近くで見つけた「エクスポ70」マークの入った啓蒙看板。1970年、僕が幼稚園年長組の時、30年前の代物である。※2004年5月6日追記:これは飛田検番の北門なのだが、既にこの看板は失われている(>_<)

左:新世界から第二阪神国道(43号線)を南に渡ると、南北を43号線と飛田新地遊廓に挟まれ、東西は上町台地の崖下と釜ヶ崎ドヤ街の間の部分に、古いアパートや路地が連なり今にもじゃりン子チエが飛び出してきそうな雰囲気の、実に素敵な下町がある。今の地名では飛田新地も一緒に西成区山王とされているエリアである。この写真はそこにある古いアパートの丸窓のステンドグラスで一部割れているのが残念だが、見事なアール・デコ調のデザインには溜息が出る。
中:その近くにある路地。渡り廊下の下がトンネル状になっている。
右:タイル貼りも素敵な古いアパート。いずれも昭和の初め頃のものだろう。右から左に「御園アパート」と書いてる。

左:御園アパート近くの路地。今時笠付裸電球が街燈として現役なのには泣かされる。
中:飛田本通商店街にあった南海電車天王寺支線踏切跡すぐ近くにある、総タイル貼り貼りの旅館。ここまで来ると曖昧宿というよりドヤそのものである。鉄筋コンクリートのホテル式ドヤが大半となった現在、このような昔懐かしい木造のドヤは貴重である。
右:飛田本通商店街で見つけた80円コーヒー自販機。

おまけ:新世界で見つけた空中ドア。(参考文献・「超芸術トマソン」)

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