人物写真篇U
2003年11月〜2004年4月




 

左:国立国際日本文化研究センター京都大学の名誉教授であり現在文化庁長官を務められていた故・河合隼雄先生と伯爵。(2003年11月1日・ヒロポン撮影、奈良国立博物館特設レセプションルームにて)
右:右から伯爵、指揮者・オーボエ奏者の延原武春先生、そしてヒロポン。(パーティー会場に居合わせた御夫人に撮影をお願いしたもの)




上:チェンバリスト・指揮者の中野振一郎氏と伯爵。以上三点は奈良国立博物館にて毎年11月に開催されるコレギウム・ムジクム・テレマンのミュージアムコンサートに於けるワインパーティーにて撮影したものである。(ヒロポン撮影)




 

右:伯爵が実行委員を務める宝塚映画祭では、映画の上映、映像コンクールのほかに、実行委員会による自主製作映画の撮影も行われた。監督は気鋭の若手、草野陽花氏である。伯爵はクリスチャンなのに雲水役で出演。これは楽屋にて衣装合わせの光景。(2003年11月2日・八歳児撮影)
左:撮影終了後の記念撮影。こんな恰好をすることは生涯二度とあるまい。(2003年11月3日・脚本家の石川隆之氏撮影)




  

左:眼鏡を外して。何しろ時代劇だったのだ。(石川氏撮影)
中:実はハゲヅラをかぶったのではなく、メイクさんによってこのようにひっつめ髪にされていたのである。これは台本を読んでいるところ。といっても仕草のみでせりふのない役だったのであるが(^_^;)。(八歳児撮影)
右:久しぶりに髪を切りに行き、かなりのイメチェンになった伯爵。(2003年11月5日・自分で携帯にて撮影・於ムジカ




 

左:第五回甲麓庵歌会の様子。左から風太、櫻子、カヒくん、なおへー爺、水星人、鷹野女帝。(2003年10月25日、於ムジカ)
右:同じく。左から八歳児ことアキト少年、風太、子遷氏。




 

左:同じく。左から鷹野女帝、伯爵、八歳児ことアキト少年、風太。
右:同じく。左からカヒくん、なおへー爺、水星人、丘珠璃子女史。




 

左:同じく。左から櫻子、カヒくん、なおへー爺。
右:「第七回變態の主張」にて、ポーズを決めるキャンディ・ミルキィさん。(2003年12月14日、於シムーン)




 

左:同じく二次会会場にて、伯爵の黒マントを羽織ってご満悦の俳優宮沢仙吉氏。
右:同じく一次会会場の外で、伯爵と女性ドラァグクィーンのミゼラ@蒼蜥蜴嬢。(プロカメラマンの畑智章氏撮影)




 

左:天神祭にて。左から風太、伯爵。(2003年7月25日)
右:関東下向に際して。左からヒロカズ少年(18)、伯爵、元共同管理人のKEN。(2003年6月22日)




  

左・中・右:当時の伯爵の恋人、八歳児ことアキト少年の19歳の誕生日記念。みなで会食のあと。なおへー爺、八歳児、風太、伯爵。伯爵はこの頃まで無造作ヘアーである。(2003年9月11日)




  

左:珍しくメスも混じって。左からなおへー爺、風太、伯爵、水星人嬢、下に八歳児ことアキト少年。(2003年10月25日)
中・右:マルセロ少年(16)が東京から遊びにきたので、「ムジカ」でお茶会のあとにみなで撮影。上段左からマリン、風太、八歳児ことアキト少年、伯爵、下段左からマルセロ、なおへー爺。(2003年12月12日)




  

左・中・右:伯爵の関東下向に際して、東京在住の友人たちが集まった。左と中は伯爵を中心に左上から時計回りで元共同管理人KEN、高校三年生のアツシ少年、女性ドラァグクィーンのミゼラ@蜥蜴嬢、マルセロ少年、タツヤ。右端の写真は時計回りに正午の位置から伯爵、タツヤ、ミゼラ、マルセロ、アツシ、KENである。(2003年12月17日)
※二千四年二月八日より、ミゼラは上洛し伯爵邸の二代目書生となった。(2004年2月13日追記)




 

左:元共同管理人KENに引きずられていった千葉の“悪の鼠帝国”デゾニーランドの鼠の巣にて、鼠の頭目と記念撮影(>_<)。(2003年10月21日)
右:ある日のお茶会。こんな感じでしょっちゅう「ムジカ」に集まっている。左からマリチン、なおへー爺、伯爵閣下、風太、八歳児ことアキト少年、マルセロ少年(16)。(2003年12月12日・エリオル少年撮影)




 

左:伯爵邸甲麓庵の門前にて、マルセロと伯爵。(2003年12月12日・風太撮影)
右:東京下向の際、新宿にて。左からマルセロ、アツシ少年(18)、伯爵。(2003年12月17日・タツヤ撮影)




  

左:髪を切り、染めて、久しぶりに前髪を下ろしてみたら、ミゼラに五歳若返ったといわれた伯爵σ(^◇^;)。(2004年3月3日、自分の携帯で撮影)
中:春の一日、伯爵、風太、エリオル少年、マオビさん、なおへー爺、そして黒燐少年で神戸に遊んだ。異人館街、風見鶏の舘前の広場にて、銅像に因縁をつけるなおへー爺。猫を撫でているのは風太である。
右:珍しく満面にこやかな風太と、四月から高校三年生になる黒燐少年(17)。(2004年3月14日、伯爵撮影)




 

左:加賀屋新田会所の書院にて開催した、第七回甲麓庵歌会。陽射しの暖かい縁側という一番いい席を確保した風太と天女女史。(2004年3月28日)
右:同じく左から堺谷氏、弘津氏、岸本女史。




 

左:同じく左からミゼラ、妙な子嬢、変な子嬢、八歳児ことアキト少年。
右:第七回甲麓庵歌会のあとは、会場を登録有形文化財「鯛よし百番」に移して「風太君大学入学祝賀会」であった。藤田幸恵女史より花束を贈られた風太。




上:「鯛よし百番」にて、風太君大学入学祝賀会の模様。向かって左列手前よりミゼラ、八歳児ことアキト少年、風太、妙な子嬢、変な子嬢、ドロンジョ女史、右列手前より弘津氏、鈴木教授、藤田幸恵女史、不二子女史。




上:同じく「鯛よし百番」にて、風太君大学入学祝賀会の模様。カメラを弘津さんに交替し、伯爵が写っている。(2004年3月28日)




 

左:「鯛よし百番」にて、付き合いだしたばかりの風太&八歳児夫妻、そして妙な子嬢。
右:京都精華大学の食堂にて、風太とミゼラ。風太の入学式のスナップである。風太のラペルから垂れる鎖は伯爵がプレゼントした懐中時計なり。(2004年4月1日)




 

左:ぐれてしまった二人( ̄□ ̄;)!!
右:ミゼラも混じってにこやかに。




 

左:保護者代わりに出席した伯爵も一緒に。(八歳児撮影)
右:風太の下宿が同志社の近所なもので、今度は伯爵の母校同志社へ。重要文化財ハリス理科学館の前で記念撮影。風太は着替えてベストに懐中時計である。ちなみにシャツとベストは伯爵が貸したもの。




 

左:同じ場所にて、伯爵が入って。伯爵も風太もベストに懐中時計姿である。(ミゼラ撮影)
右:こちらは1920(大正9)年にヴォーリズの設計で建てられた啓明舘の前で。




上:啓明館前でミゼラが撮影。同じ場所なのに、櫻が全然入ってないσ(^◇^;)




 

左:入学式の日の晩餐は西木屋町四條下ルの老舗洋食屋、「コロナ」に入った。店の前にて風太。このあと、米寿のおじいちゃんが作る絶品洋食を堪能することになる。
右:同じ場所にて、仲睦まじい風太&八歳児夫妻。




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