大阪篇09年撮影分H



 

左:まずは前章の続き。2009年9月27日、泉布観の一般公開の折の写真である。元々が造幣局なので、前庭に造幣局のテントが出ていて、メダルのハンマープレスをやらせてくれた。僕も一枚挑戦してみた。存外、簡単に綺麗に刻印できるものであった。写真は僕の次に挑戦したおばあさんである。
右:新桜宮橋から見た大川の屋形船。鉄橋が見えるのは国鉄環状線である。



 

左:新桜ノ宮橋から見た、泉布観とOAPのビル群。
右:橋を渡り、都島区に入る。河川敷に黒猫がいた。可愛い。



 

左:旧藤田伝三郎男爵本邸「太閤園」の刑務所のような高い塀。
右:大正末から昭和初期にかけて大流行したタイル張り町家。



 

左:ここにある、非常に目立つ灯台型店舗。マピオンによると、バロンライトハウスというらしい。男爵灯台か。
右:なんと、舗装されていない路地に面した戦前建築の長屋が残っていた。この辺りである。



 

左・右:京橋駅まで表通りを通らず歩こうとすると、意外と静かな一角があった。



 

左・右:こういう木造二階建てアパートを、関西では「文化住宅」と呼ぶ。共同玄関で靴を脱いで入り、トイレと台所が共同で風呂なしの「古典的なアパート」に対し、各戸に台所とトイレがある(風呂は会ったりなかったり)スタイルは「文化的やろ」ということである。



 

左:餃子が出てきそうなラブホテルがあった。その向こうの「京阪」というラブホテルも、京阪電鉄グループとは全く無関係だろう。
右:環状線のガード。旧城東線時代の古いものである。



 

左:煉瓦積み、周りは石垣であった。
右:民家のように小さい日蓮宗寺院があった。



 

左・右:環状線の窓からいつも「何だろう?」と思っていた、NTTマークのついた巨大な学校のような建物。NTT西日本の研修センターだった。



 

左:表札だらけ。
右:一見大学の校門のようである。



 

左:よほど通らせろ通らせろと言われるのだろうかww。
右:淀川貨物線跡の遊歩道。



 

左・右:この辺りで見つけた、謎の「ドイツ光線治療所」。「ジョジョの不思議な冒険」に出てきたシュトロハイム少佐のような人物が出てきそうで怖いが、ドイツ光線というのはカーボンアーク灯を用いた日向ぼっこのようなものらしい。というとつまり、人口日光浴のような穏やかなものなのだろう。



 

左:激安で有名な定食屋「もとや」の焼肉定食。
右:ここから2009年10月3日となる。場所は泉州岸和田。名門府立岸和田高校前、つまり岸和田上堀端の小祠だが、貼紙が面白かった。



 

左:面白い貼紙のアップ。
右:そのあとお昼ご飯を食べたのだが、その店の前に金目銀目のにゃんこがいて、可愛かった。



 

左:このように、左右の目の色が違う子だったのだ。
右:泉州地方に強い勢力を持った旧寺田財閥の一員、寺田銀行の建物は外壁保存され岸和田市立きしわだ自然資料館となっている。昭和初期の銀行建築の保存である。しかし資料館のサイトには建築について何も書かれていない。非常に水準の低いサイトといわざるを得ない。よほど無能な学芸員しかいないのだろう。



 

左:寺田銀行正面玄関。これより紀州街道に沿って北上した。
右:近代洋風建築のほか、古い町家も沢山現存していた。



 

左・右:旧四十三銀行岸和田支店。1919(大正8)年の銀行建築が、今も金融機関(成協信用組合)として現役なのが嬉しい。いわゆる「辰野式」だが、かなりセセッション(分離派)の影響が見られるので、大阪・北浜の新井ビル、神戸・旧居留地の海岸ビルなどとよく似ている。



 

左:成協信用組合から大通りを渡り、更に旧紀州街道に入る。角の散髪屋が非常にレトロでよかった。
右:その隣のヤナギ時計店の妻壁に、古い琺瑯看板が見えていた。



 

左:旧街道沿いの旧家。
右:古いゴミ箱。



 

左・右:岸和田中央会館。昭和一桁と思われる、ロマネスク風でスクラッチタイル張りの建物は、旧岸和田貯蓄銀行である。



 

左:立派な卯達の上がった町家。
右:関西圏では最近随分大衆演劇の劇場が増えているように思う。ここにも「岸和田だんじり劇場」がオープンしていた。



 

左・右:そのだんじり劇場と棟続きで立派な近代建築があり、しかも美しくリノベーションされていた。こちら→では「泉州信用金庫岸和田支店」として紹介されている、現C.T.L.BANKである。1933年、旧和泉銀行本店として建てられたもので、登録有形文化財である。渡辺節の作品らしい。



 

左・右:そして紀州街道から駅前商店街に入る。銅版張りの長屋商家が沢山残っている。



 

左:更に脇道に入ると、ゼセッション風の門柱が残っていた。
右:マンションの敷地を抜けると、武家屋敷の立派な長屋門があった。



 

左・右:この辺り、北町(きたんまち)は中級武家屋敷の並ぶところだったらしい。



 

左:茅葺だったと思われる武家屋敷。
右:掃部さんである。「かもん」さんであろう。いかにも武家風の姓である。八七七氏は海軍予科練にいらっしゃったようだ。



 

左:狭い道に沿って、沢山の武家屋敷が残っている。
右:そして、NHK文化センターで僕とヒロポンが担当している「関西モダン建築とおしゃれランチ」講座の熱心な受講生、I女史のお宅に。後姿はI女史である。



 

左:I邸前にて、左からrjuka君、T君、ヒロポンである。
右:I邸を辞し、駅前商店街を歩く。なんと、立派な看板建築の焼肉屋があった。「アリラン亭」である。



 

左:焼肉・ホルモンの「アリラン亭」。
右:駅前通は看板建築の宝庫であった。これはお好み焼きの「一休」。



 

左・右:土蔵造りに洋風を加味した、非常に立派な「壽屋結納店」。



 

左:また脇道へ。「小瀬ゴム店」なのだが、看板の一番上の字が欠落しているので「○馬」の○が判らない。
右:非常に立派な町家、「木川ふとん店」。



 

左:これは昭和初期だろう。非常に可愛らしい「理容ナカムラ」。
右:旧国道沿いの渡辺齒科は大きな町家だった。玄関は旧国道に面していない。



 

左:渡辺歯科のお向かいさん。素敵な扉だった。
右:そのまま奥へ進む。「ほねつぎ」も最近あまり言わなくなったな。



 

左:洋風町家の「西出薬局」。
右:なんと、江戸川乱歩の探偵小説にでも登場しそうな素敵な洋館があった。玄関庇の傷みが気になる。



 

左:このサイトでは何度か紹介している、近畿大阪銀行岸和田支店。昭和初期の銀行建築である。
右:そして南海電車岸和田駅のまん前にある、西田クリニック。なんと美しく補修されていた。この建物について「昭和初期」と記している建築サイトやブログが多いが、僕は大いに疑問である。僻地の役場なら、昭和に入ってからでも木造下見板張りもあろうが、ここは城下町岸和田であり、郊外電車南海電車の特急停車駅であり、そのまん前なのだ。この立地で、この古風な下見板張りの洋館は、まず間違いなく大正期と思ってよかろう。



 

左:電車には乗らず、更に駅前商店街を歩く。文房具屋さんなのだが、だんじり尽くしだった(笑)。
右:商人町である宮本町から上級武家屋敷街である岸城町へ入る直前に、大変な豪邸がある。殆どお城か宗教施設のように見えるが、個人邸宅であった。家老の家柄だろうか?
※2010年2月6日追記:I女史に調べて頂いたところ、これは「登録有形文化財和田家住宅」であった。家老クラスの上級武家屋敷と見まごう豪邸だが、庄屋の家柄とのこと。但し和田家というと「岸和田」の語源ともなった南北朝時代の武将和田高家の末裔との伝承もある(史実としては確認できない由)。岸和田藩岡部家としても、和田氏を重臣並みに遇していたのだろう。



 

左:和田家住宅の勝手口門。
右:「オメコやらして」と落書きされた築地塀( ̄□ ̄;)!! どうして落書きって「オメコ」と書きたくなるのだろうか?



 

左・右:和田家の。つまり上の門は「勝手口」で、こちらが正門らしい。但し、こちらは殿様やら大僧正やらが来るときぐらいしか使わない感じであった。



 

左:石垣はお城のようであった。岸和田藩は岡部美濃守五万三千石。その筆頭家老ならば数千石の知行はあっただろうから、このぐらいの屋敷であってもおかしくはない。ただ、位置的には「町方」に位置するのが不思議なところ。(※以上は「和田家住宅」と判明する前の記述)
右:椰子の大木があった。



 

左:和田邸は表通りからだと、小高い土地で、鬱蒼とした森にしか見えない。
右:そして通りを渡って岸城町に入る。1921年に建てられた、日本聖公会岸和田復活教会である。戦時中も日本基督教団に加わらず、単立教会として聖公会の典礼を守っていたそうである。



 

左:岸城町はこのように武家屋敷街となっている。
右:面白い塀であった。



 

左:路地と長屋もあった。
右:木の牛乳箱も懐かしい。和泉と新鮮をかけたブランドである。



 

左:子供がだんじりごっこをしていた。さすが岸和田である。
右:武家屋敷の蔵と母屋。



 

左・右:rjuka君、ヒロポンが写っているが、長屋門の邸宅が二軒並んでいた。



 

左:振り返るとこの通り。
右:そして夕暮れてきたが、岸和田城の再建天守に到達した。



 

左・右:このサイトでは既に紹介しているが、岸和田城のすぐ近くにある大正期の名建築、マンサード長屋。悪辣な不動産業者により虫食い状態に破壊が進んでいるので、行政が早急に文化財として保護する必要がある。



 

左:マンサード長屋の玄関。
右:マンサード長屋の街並み。



 

左:マンサード長屋細部。是非住んでみたい。
右:これは泉佐野市の元町整骨院。折角古い銀行建築を再活用しているのに、どうしてピンク色に塗るのだろう(-公- ;)? ともあれ、大正十年築の旧泉陽銀行らしい。



 

左・右:2009年撮影分最後は、撮影日が不明なのだが、大阪大学待兼山修学館である。国登録有形文化財で、大阪大学総合学術博物館として利用されているが、元々は大阪帝国大学医学部付属病院石橋分院として大阪府営繕課の設計で1931年に建てられたもので、裕福な患者を専門に受け入れる精神病院だったそうである。



 

左:このようにモダニズム色の濃い、シンプルな建物。病院とはいえ、この時代の三階建てなのでエレベータは当初はなかったようだ。右側の植え込みの奥がオープンカフェになっている。
右:オープンカフェ。春や秋は気持ちよさそう。



 

左:かつては玄関ホール内にあったという噴水が、オープンカフェに移されているが、違和感なくなかなかいい感じ。
右:正面玄関。



 

左:玄関ホール内、人造大理石による床装飾。アール・デコ調である。
右:玄関ホールから主階段を見る。



 

左:玄関ホール内。
右:主階段の踊り場にはステンドグラスが。



 

左・右:ステンドグラスのデザインはアール・デコというより、デ・スティル風であった。



 

左・右:精神病院だっただけに、細部が丸く処理されている。



 

左:階段の手すりも吃驚するほど丸い。
右:今年、2010年10月1日に開業予定のセントレジス大阪。かつての伊藤萬本社跡、つまり御堂筋と本町通の角という大阪の臍に当るど真ん中の超一等地に、スターウッドグループの最高級ブランドである「セントレジス」の日本初進出となるのだが、近年増えている「ちゃちな偽レトロ」の結婚式場などとは一線を隠す、かなり本格的な「現代レトロ調建築」なので期待している。東京にばかり外資系超一流ホテルのオープンが続いていたが、大阪ではリッツ・カールトン以来となるのだ。



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