左:既に何度も紹介しているアール・デコの大廈、生駒ビルヂング。堺筋と平野町通りの角に屹立するランドマークである。この写真は2009年6月24日、「月刊あまから手帖」に連載していた写真コラム「『食と建築』クロニクル」の取材で訪れた時のもの。
右:一階に「イル・バール・チェントラル・バンコ」というバールが入っており、冬季以外はこのようにオープンカフェもある。非常に洒落た一角となっている。1930年、生駒時計店本店として建てられた素晴らしい建物で、設計は宗兵蔵とその弟子たちである。国登録有形文化財。
左:ビジネス街で夜は静かになるこの界隈にあって、深夜二時まで営業している。
右:堺筋側より。
左:店内の様子。イタリアワインが揃っている。
右:椅子、テーブルもビルの様式に合わせて作られた特注品である。
左・右:この北船場・北浜界隈は多くの近代洋風建築が現存しており、そして多くがこのように美しく活かされている。神戸の旧居留地と共に、日本で最も美しい近代都市景観といえよう。
左:同日、上新庄付近にて見つけた、洋館つきの大規模な町家。
右:2009年9月27日、重要文化財「泉布観」の一般公開を見にいった。国鉄環状線桜ノ宮駅で下車し、源八橋を渡り、OAPの帝国ホテル大阪付近から、大川の対岸のラブホテル外を見ると、「男爵」と「伯爵」が並んでいるww。
左・右:帝国ホテル側、つまり大川上流からアプローチすると、泉布観及び旧桜ノ宮公会堂の裏側から近付くことになる。敷地の外れは古い煉瓦塀で、かなり荒れている。
左:廃墟と化している煉瓦蔵と、木立の向こうに見えているのが桜宮公会堂。
右:公会堂の裏門。なんと人糞とちり紙が落ちている( ̄□ ̄;)!!
左:公会堂裏側。旧桜ノ宮公会堂はウォートルス設計の玄関だけが有名だが、本体も1935年築のれっきとした近代建築である。
右:その辺りから見た「男爵」と「伯爵」。
左:現在閉鎖され使用されていないため、廃墟感が漂う旧桜宮公会堂。
右:河川敷公園から見た桜ノ宮公会堂玄関。1871年にお雇い外国人として名高いトーマス・ウォートルスの設計で建てられた旧造幣寮鋳造所正面玄関で、1927年に一度解体されてから、1935年に保存石材を使って復元し、新築の公会堂の正面玄関として利用されたものである。なお、1930年当時は明治天皇記念館として建てられた。
左:同じ位置から泉布観を見る。
右:通称「銀橋」こと桜宮橋。国道一号線、大川に架かる武田五一設計(1930年)の美しい橋で、手前は安藤忠雄のひどいデザインで作られた新桜宮橋。奥の超高層ビル群はOBPである。
左:銀橋の階段塔。中は螺旋階段となっており、河川敷に下りられる。
右:造幣局本館。大蔵省造幣局はポピュリスト小泉の愚作により独立行政法人化されてしまったが、それまでは大蔵省の内局で、つまり霞ヶ関以外に所在する唯一の中央官庁だったのだ。
左:曽根崎通り(国道一号線)を挟んで造幣局と向き合う敷地に泉布観、旧桜宮公会堂が建っている。これは泉布観。
右:そしてこれが公会堂。大きな破風をトスカナ式オーダーが支える堂々たる玄関で、玄関部のみ国指定重要文化財。
左・右:泉布観横手から公会堂横手へ渡り廊下が延びているのだが、その屋根に樹木が生い茂り、ナウシカに出てきそうな凄まじい様相を呈していた。
左:ご覧の通り、左の柱は内部を通る木の根によって内側から破裂しており、屋根にも木が二本生えている。この木の根が左端まで延び、更に柱を伝って地面まで達しているのだろう。物凄い生命力である。
右:渡り廊下の屋根に生えている木々。
左:これ以上崩れないようにネットで包まれている。これは補修せず、このまま残して欲しいような気もする。
右:そこから見た公会堂細部。
左・右:閉鎖されている旧公会堂こちらはきちんと補修して、再活用されることが望まれる。
左:ライトアップされているようで、柱の根元にそれらしきライトがある。
右:そして泉布観に入る。
左:このときはたまたま待たずに入れたが、出る時は行列ができていた。
右:公会堂玄関と同じく、ウォートルスの設計で1871年に建てられた迎賓用の洋館で、ぐるりにベランダをめぐらせる、典型的なコロニアルスタイルである。1872(明治5)年、明治天皇の行幸の際に泉布観と命名された。
左・右:玄関脇から車寄せを見上げる。
左:一階のテラスは石敷となっている。柱も石である。
右:テラスの天井は網代風。コロニアル建築とは、熱帯地方の植民地に適した様式なので、日本には合わず、冬は非常に寒いのだ。
左:一階廊下。玄関を入るとどん突きまで廊下で、その両脇に各室が配置されている。
右:廊下の照明。
左:シャンデリア保護のためだろうが、けったいなことになっていた。
右:暗くてぶれてしまったが、カーテンが壮絶なことに。
左・右:豪奢な絹のカーテンだったようだが、どれだけの年月でこれほどまでにボロボロになるのだろうか? これはもう外して博物館で保管して、復元品を実用にするべきだと思うのだが。
左:暖炉は輸入品だろう。この部屋の床は絨毯だった。
右:天井中心飾り。
左:それにしても、随分低い位置まで垂れるシャンデリアである。
右:壁紙がはがれていた。
左・右:暖炉の飾り金具。なかなか可愛い。
左:これはカバーされていないシャンデリア。
右:南側に、中に木が生えている廃墟化した煉瓦蔵があった。
左:別の部屋の暖炉。壁紙が可愛い。床は木組みだった。
右:頓珍漢な質問ばかりしてスタッフを困らせているおじいさんがいた(笑)。
左:また別のシャンデリア。
右:大きな化粧台。
左:美しい床。
右:一階奥の部屋。なんと、木の床にペンキで市松模様を描いてタイル風にしている。暖炉はタイル張りで美しいもの。床にタイルを張るだけの予算がなかったのだろう。面白い。
左:ストロボを焚いて暖炉を撮影。
右:同じ部屋である。床が板張りなのが判る。
左:同じ部屋のシャンデリア。とにかく天井が高い。
右:そして二階へ上がる。
左・右:廊下の照明。
左・右:二階の廊下。これはタイルである。
左:二階の廊下。
右:二階の一室。カーテンなどが外されて床にまとめられていた。
左:同じ部屋。
右:二階にもなんちゃってタイルの部屋があった。しかし結構豪奢。
左:でもカーテンはこの有様だった。
右:このように、板張りなのだ。
左:二階廊下一番奥。
右:二階の一室。天井からの雨漏りがひどいようだ。
左・右:和風の照明もあった。
左:二階の一室。真っ赤であった。
右:その部屋の壁紙。
左:二階バルコニーに出る。柱は二階も石柱であった。
右:二階バルコニーの天井は漆喰塗り。
左:露台の手すり。
右:車寄せ部分の天井は凝った木製であった。
左:テラスから銀橋を見る。
右:テラスから旧公会堂を見る。
左:テラス細部。
左:露台から廊下を見る。
右:露台から造幣局を見る。
左・右:一階に下りて、テラスを歩く。
左:泉布観の正面は東側である。そして、北側側面へ回ると、その奥に先ほどの「腐海の底の渡り廊下」があるのだ。
右:アンコール・ワット遺跡のようになっている。
左・右:凄まじいの一言。一体何年間放置したらここまですごいことになるんだろう?
左・右:とにかくすごい。
左・右:柱が完全に木の根に置き換わっている。
左・右:一体何の木なのだろうか? 本当にアンコール・ワット遺跡みたいである。
左・右:あくまでも渡り廊下なので、下から見るとこうなっている。
左・右:そして泉布観の真裏にも廃墟と化した廃屋があった。フェンスで仕切られているが、全て元々の造幣局の敷地。泉布観と公会堂部分の敷地が大阪市に譲られてからも造幣局側の敷地として残った部分である。かつては官舎など建ち並んでいたので、その名残の建物と思われる。
左:渡り廊下の横に,石榴が実っていた。
右:南側に回る。中に木が生えてしまった百年前の煉瓦蔵である。
左:大阪市の中心、北区なのに、なぜ植物がアマゾンの密林並みの生命力なのか(笑)。
右:泉布観南側。
左:そして裏、西側に回る。スズメバチの巣があるそう( ̄□ ̄;)!!
右:先ほど北側から見た、裏の廃屋が見える。これも近代建築であった。
左:西側の二階を見上げる。左:今ではフェンスの向こう側になってしまっているが、この門が本来の泉布観の裏門だろう。その向こうの建物は造幣局の官舎である。
左:門柱に黒猫が寝ていた。とても可愛い♪
右:これ、文化財指定するほうがいいのではなかろうか? 恐らく明治期の瓦斯灯である。
左・右:大阪の都心というのに、しかも国有地に、こんな廃墟があろうとは。
左:西側は裏なので柱は細く簡素であるが、それでも石柱であった。
右:西側二階バルコニーの天井が剥落していた。下の木造階段はいい感じ。
左・右:恐らく国有地=造幣局と、市有地の境界であろうフェンスの門が開いていたので、国有地側に入り込んで撮影。全くの荒地となっている。
左・右:西側の外階段。泉布観の階段は室内の主階段と、この外階段の二つだけ。
左・右:140年近く前のものとは思えない美しい階段。
左:南側を通って正面へ戻った。
右:泉布観正面。
左:泉布観正面全景。
右:泉布観と櫻宮公會堂。